ohno_5

とても遅ればせながら返信させていただきます。
「継続は力なり」という言葉がありますが、ぼくは完全にパワー不足だなと痛感しています。

須賀さんに指摘されていた歴史における「自分のパート」についてよく考えていました。
「過去の自分をどう定義付けするのか」と初めは思っていたのですが、須賀さんが言っていた「過去から現在を経た、未来的な指向を持った言葉」の方がもしかしたら近いのでは、という気がしていました。

というのも最近、コーディネーター的な仕事をする機会が少しずつ増えていて、いま開催中のストリーミング・ヘリテージという展覧会でもそのような役回りで仕事をさせていただいて、

そこでのことですが、
自分に与えられる役割をあまり意識せず現場入りしてしまい、仕事を進めるうちに自分の役割を確認しつつ、徐々にその役割を広げていくみたいなことがありました。

結構当たり前なことかもしれませんが、それが今までの自分にできることを踏まえて、今の自分の居場所を確保し、そして拡張していく。これが未来まで続いていくような感覚がありました。
今までは自分の(または他人の)バックグラウンドってなんだろう、みたいなことに興味があったのに対して、未来的な指向をようやく自分で獲得できた、みたいな。大学院を卒業してから徐々に自分の作品の話をしなくなった気がしているのですが、それはそれかなとも思いつつ。

自分の話ばかりですみません。笑

ナラティブって必要なのか必要じゃないのか。
ぼくは出来事をひと続きの時間の流れ、として捉えているので、そこにどうしてもそこに物語のようなものが入り込んでしまうと考えてしまうのですが、純粋な事象だけとか全然ありうる話で。
その両方が須賀さんの中にある状態で一体どんなものが表象されるのか、とてもとても気になります。
そちらの話もぜひ聞かせて欲しいです。

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