見出し画像

大学院に飛び級してわかったこと

※失礼な表現もあります。

僕はいま大学院に通っている。

同級生(同い年の人)が次々に内定を取っていく横で、僕は研究室にいる。

ちなみに文系。MARCHクラス。と言ってしまうと、自ずと限られてきてしまうが、とりあえずそんなことは置いておく。

さて、これを見てくれた人の中には、これから大学院に行こうかどうかと迷っている人も多いことと思う。

そこで僕が心からオススメする意思決定への手順をお教えしたい。ちなみに僕は文系なので、ここでお伝えすることも文系学生を対象にしていることを、ご了承願いたい。

まず、
1.大学院に行って何をしたいか、何のために行くのか

大した理由はなくていい。自分で納得できればそれで良い。しかし、就活がめんどくさいとか、とりあえず、などという意思で行くととんでもない目に遭う。
➡課題が莫大
➡なのに、やる気のある、刺激をもらえる優秀な学生はごく一部
➡文系院生は、その時点で他の就活生に対して二年間の遅れがある。遅れである。
➡大学院で何を得たのかが、学部生以上に厳しく問われる

2.自分の行こうとしている大学院のレベルは適切か

MARCHクラスで優秀層は一部なのである。それ未満では語るまでもないと思う。
旧帝大などであったとしても、院生の多くが学歴ロンダリング組で、彼らが優秀である保証はない。
また、本当に優秀な教授がいるかどうかもしっかりと見極める必要がある。
当たり前だが、経歴がどれだけ輝かしく見えようが、本当に優秀かどうかはわからないし、そもそも自分に合う先生かどうかもそれだけではわからない。

➡あらゆる意味で「レベル」は大切

3.大学院に行かなければ学べないことがあるのか

最も重要である。
わかると思うが、大学学部の文系の講義など、屁のようなものである。それは東大だろうが大して変わらない。
そういうシステムなのだ。
入学に関する壁は高く、単位取得に対する壁は低い。これは間違いない。

その体質は、実は大学院でも大して変わらない。
課題は多いが、受け流そうと思えばいくらでも受け流せる。

つまり、自分で勉強して得られることの方が圧倒的に多い。

これも当たり前ではあるが、
「教えてもらえる量」と「自分で学ぶべき量」は、必ず後者の方が多い。

学校で教わることは、あくまで自分の学びの補助である。
したがって、本当に興味があって、自分で積極的に学べるのであれば、わざわざ大学や大学院に行く意味もない。

唯一ある意味が、学歴のためなのである。
残念だがこれも現実だ。

日本において必要な学歴は、ほぼすべての人にとっては大卒まで。大学院は国際公務員になりたいとか特殊な資格を取りたいなどでない限り必要ない。

では、そういう希望もない普通の人が大学院に行く意味があるか。

➡それを自分で果てしなく考えろ

それを言いたいがためのこの記事である。

ちなみに僕が飛び級したのは、以下の理由による。

➡「飛び級」の肩書きがあれば、経歴に箔が付くと思った。
➡文学部卒だったので、社会システム等に関する知識がほぼなく、それを学ぶための基礎を付けたかった。
➡飛び級なので、一年分学費も時間も節約できる。

僕が思う一番重要なポイントは三つ目。
一つ目の箔が付くから、などという理由は馬鹿である。(笑)
たぶん箔など付かない。

さて

日本において二年の遅れは相当大きい。
浪人でもなく、意味もなく大学院というモラトリアム期間を伸ばした人にとっては、あまりに厳しい遅れだ。
いや、文系院生の学びはほとんど就活の一点においては役立たない。
とすると、ほぼ大学院に行く意味がないとすら言える。

僕自身は学ぶことの重要性を痛いほど感じるので、多くの人に学んでほしいとは思うが、それを社会は許さない。
大学院に行くことは、文系学生にとっては、ほとんどの場合、デメリットしかない。

それを踏まえた上で、自分を納得させられる理由があるのなら、ぜひ大学院に行ってほしい。
少なくとも、やる気があるのならば視界は広がることを約束する。

さて、あなたはどの道を選ぶだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?