そして「大企業病」になった《2》
・土管企業を買収
この頃からADSL事業に関連しJR系の通信企業買収の噂が出てきた。ADSLは加入者回線網を使う。将来的には光ファイバーが「ブロードバンドインターネットの本命」とされていたが、この時点で光ファイバーはまだまだ高価で一般普及まではやや時間が必要だった。だからそこまでのつなぎ役の「高速ブロードバンドサービス」としてADSLは当面需要がある。しかし問題(課題)もあった。加入者回線網はNTTに握られており、サービス初期には「回線握り」と呼ばれ総務省から指導が入った苦い体験があった。本音は「ウチが原因じゃない」だ。
ADSLは加入者回線の局内設備にDSLAMを経由させる「ジャンパ」という作業が発生するが、これは物理回線をラック間で引き回す作業で、手作業だ。NTT東西はギャランティ(確約)型の作業予定を出してくる。最大に作業が混み合ったケースを基準にした「完了予定」なので、やけに日数がかかる「完了予定」で「これだけ貰えれば必ずやります」という意味合いだ。しかしスケジュールに余裕があり即作業が出来る状況でもその予定を前倒しにするなどの柔軟対応はしてはくれない。たとえそれが完全にNTT東西の都合であっても顧客側から観るなら申し込んだISP側のせいと思われてしまうし、これに関してはISP側に企業努力の余地はなく以前から強い不満があった。
そこでNTT東西以外のいわゆる『第二電電』系の通信事業者を買収する事でサービス提供スケジュールの大幅短縮を目論んだ。そうなればアナログ加入者回線網も販売できるし「悪いことはひとつもない」と考えていたようだ。
——そこに頑として反対したのが技術部門で「天才」「ドクター」
と呼ばれるCTOだった。2003年からのスマホの影も形に出てきていない時点で「まもなくモバイル・インターネットの時代になる」と見越しており、実は社長もほとんどこのCTOからビジョンを授かっている。曰く「これからモバイル・インターネットの時代なのになぜ今さら固定回線の企業を買収するのか。大勢のロートルが押し寄せて来るぞ」と厳しく警鐘を鳴らした。ちなみに会社に「天才」は2人いて1人は社長と、2 人目はこのCTOだ。他の役員は替えがきく単なる凡人だ。そんな彼らは目先しか視野に入らない。誰ひとりとしてCTOの忠告をまともに聞こうとせず、ひたすらに凡人の頭で
具体的に会社に対しどのような影響が及ぶかをまるで見えていなかったのだ。
——「IT企業」の定義は今や広義になる一方だが、一般的に携帯電話や固定回線の通信領域も「IT企業」だと思われているし、「寄らば大樹の陰」なのかそれらの企業もそのフリをしたがる(笑)これはスマホゲーム業者も「ITベンチャー」を名乗りたがる事に似ているが、界隈で通信事業者は「土管屋」と呼ばれており、OSI参照モデルでも「ネットワーク層」あたりまでしか関わらない。本来「IT企業」とは土管屋の上のレイヤーを使ったサービスを生業にするモノを言う。
このCTOは東京大学工学部から京都大学医学部へ転部し臨床医免許を得ているという、現在のIT領域なら人工知能/ニューラルネットワークのスキルは必須とも言えるが、このCTOはまるで次元が違う。しかし確固たる実力者が往々にしてそうであるように、その卓越したキャリアとは裏腹に、私のような平社員でも気さくに相手にしてくれる。私は密かに「この方がいる限り会社は大丈夫」とメルクマールにしていたのだった。
——だがCTOの警告虚しくJR系の回線事業者は買収された。馬鹿げた話だった。元の企業規模の倍以上リソースを持つ企業を買収するとどうなるかは簡単に予想がつく。突端の営業社員をはじめ、2004年時点でMSのOfficeSuiteを使えない「紙ベース業務」のロートル社員が大挙して押し寄せてきた。ある筋からは「社員の平均年齢が10才以上上昇した」と聞いた。
・瀕死のMNOを買収。そして「詐欺師呼ばわり」
——この頃か会社としても「勃興期」で展開が性急で外資系MNOもまもなく買収した。
現在の姿は外資系企業だがそのMNOも先に買収した固定回線事業者も、元は同じJR系の企業。一時的に有線/無線に分割されたが、何の縁かウチの会社で再び合流したのだった。
早速MNO事業もスタートし始めていた。私は自ら手を上げMNO領域業務
に身を投じた。買収したMNOは保有する2GHz帯の基地局数が2万に満たない窮状で、界隈では「ドコモ・KDDIの草刈場になる」と言われていた。
目下基地局数の増強が最優先であり私はモバイルネットワーク構築のプロマネに就いた。ブランドを刷新し宣伝広告費をふんだんに使い華々しく登場した「第三のMNO」も、その派手なCM群と裏腹に回線品質は惨憺たる内情だった。と言ってもマクロセルなどそう簡単にポコポコ立てられるものではない。
土地の交渉から始めると1基でも半年はかかる。数をブースト出来る免許の包括化もまだ始まっていなかった。そこで、検討を重ねた結果リピーターを目一杯設置する事になった。
リピーターとは——その前に基本として、まず携帯電話の3G(第3世代)サービスでメインの2GHz帯は直進性が強く、建物の窓からしか電波が入らない。コンクリートや金属は貫通しない。従って建物の地下部に電波は入りにくい。この場合対策は概ね二通りで、「屋内無線局」を使う方法が1つ目。ビル内の機械室などにラック型の基地局設備を置き主に屋内の通路や窓のない個室にサービス(出力)アンテナを張り巡らせる方法。
但しやはり半年ほど工期はかかるしコストもかかる。そして2つ目がリピーター。建物の外部に外を飛んでいるマクロ波をキャッチするドナー(受信用)アンテナを設置し、物理ケーブルで屋内に引き込み増幅した上で屋内にサービスアンテナを設置する。リピーターは早ければ1週間以内には設置可能で、都合のいい事にこの頃はリピーター1台が「1基地局」とカウントされていたので、数が纏まれば「基地局数◯◯達成!」と謳うことが出来た。安価で設置が容易だが、あくまでマクロ基地局が増えなければ本当の意味で快適に電波に繋がるようにはならない。あくまでリピーターは一時しのぎの対策に過ぎないのだ。
携帯電話の基礎知識など一般ユーザーはわからないし多くは興味もない。わかるのは契約した携帯電話が繋がるか繋がりにくいかだけだ。電波対策要望の窓口も設置され、その要対策関東エリアのリストを手に連日私は歩き回った。訪問するたびに「詐欺師呼ばわり」され、「騙された」などとケチョンケチョンに言われるが、独自に技術知識を学習し平易な言葉でわかりやすい説明を身に着け、懇切丁寧に説明しながら動きに動いた。その結果、2006年度上期は設置数で全社員中個人トップの数字を達成した。しかし褒美は何もなかった。それは頑張っても「焼け石に水」だったからだ。
変わった潮目
サービス初年度の2006年は事実上買収前のMNOの設備と変わりがなかった。あくまでマクロ基地局を増強しなければ根本改善にはならない。それが
ない限り今日も明日も顧客に「詐欺師呼ばわり」をされに客先へ出向くことになるのだ。
——ただ、会社も手をこまねいてばかりではなく「今出来ること」としてイメージ戦略に力を入れていた。11月の末にはブラッド・ピット、キャメロン・ディアズといったメジャー俳優を使ったイメージCMを打ち、一定の効果は上げているようであった。事実、訪問先でその話題が出るようになっており、こころなしか、最初の頃のように訪問時に罵声を浴びる事も減っていた。
しかし決定的だったのは2007年から白いアイヌ犬を使った家族シリーズからで、元々買収したMNOは、実際は先行の2強に対して苦肉の策(通話料を無料
にするのは自殺行為でもある)であったのかもしれないが、同キャリア同士の通話料を無料としていたので、一家で契約すると家族内の通話は無料になるし、仲の良い友達に勧めるとやはり通話料が無料になる恩恵が享受出来たので「ファミリー・フレンドリー」のイメージにそのCM はピッタリだったのだ。但し悪く言えば「悪ふざけで、貧弱な回線品質の本題を一時しのぎで回避していた」とも言える。
しかし現実には「大量にデータを扱えて次世代向き」と考えられて総務省
から割り当てられた3G(第3世代)用の2GHz周波数は伝搬特性(電波が飛ぶ距離)も回曲性(建物間の回り込み)も悪く、膨大な基地局数を必要とするシロモノで、理想を言えば先行2社が2G時代から割当てを受けている「プラチナバンド(800MHz帯)」が欲しい。2004年9月には意見広告を出して政府に牽制をした。この年、MCA無線デジタル化に関連して800MHz帯の再割当てがあり、あわよくば割り当ててもらえないかという腹づもりだった。
——しかし結局は既存3社へ元と同じ割当に終わった。TU-KAはKDDIと昵懇の仲であり買収による周波数獲得も出来なかった。
「プラチナバンド」と呼ばれる700〜900MHz周辺の帯域はテレビやMCA(業務)無線にもともと使われており、担当省庁である総務省は将来的な産業への転用を企画し常にこの整理を行っている。小さな民家を数件まとめて買収し土地を広げマンションやビルを建てる作業に似ている。
——つまり当面は「プラチナバンド」はもらえない。これで戦って行くしかないのだ。しかしこのときに社長はモバイル業界を、いや一般ユーザーをも
驚かせるウルトラCの武器を懐に入れていた。総務省から一度は割り当てられた1.7GHz帯をわざわざ返上しMNOごと買収する策に作戦変更に由来する
必殺の武器だった。ただしその武器の登場まで丸2年が必要だった。