そして「大企業病」になった。《1》
・バトンタッチ制度
私が元勤めていた会社に「2018年退職組」という言葉がある。
——その企業には「退職金」がなかった。いわゆる「確定拠出年金=401k」が採用されていた。ところが社の経営戦略上、企業買収を続けざまに行った事で管理職以上の社員が異常に増えすぎた。実業務では判断力やスピード感が落ちるし、一方順番待ちの若手管理職候補者が下に大勢つっかえており、「若返り施策」として「バトンタッチ制度」がスタートした。まず現在課長で45歳以上、部長は50歳以上はすべて一律にラインから外れ副役職になる。入れ替わりで新たに任命された管理職が配置される。外されたマネージャーは当然大幅減収となるが、これは強制的で、嫌ならば選択肢は退職のみ。
一度、この制度対象の一群がグループMLで不服の言い合いをやっていたものを誤って「全本部ML」に転送してしまい中を覗くと「子供がこれから大学に行って金がかかるという時期に会社は鬼か!」といった阿鼻叫喚。会社への批判の嵐だった。当然誰も納得していなかった。
次に退職金ではないが「転進金制度」と銘打ち希望退職・転職者に金を出す事になった。55歳までなら1000万、55歳以降なら500万とされていた。
グループとしては一応最大65歳まで在籍可能だが、60歳以降は嘱託化され大幅減収を受け容れた上でさらに1年ごとの契約更新になる。
——「転進金制度」自体は魅力的だった。55歳前であれば転職の機会も少なくない。腕に自信がある向きなら迷うことはないだろう。
そう考える者の中に私もいた。死ぬまで働いていたい私は「なにか新たなチャレンジをやるなら50歳前半までだろう」と考えていた。65歳でおっぽり出されたら、体力も気力もかなり厳しいであろうから、もともと65歳まで会社に世話になるつもりもなかったし、多少残るローンの支払も転進金を充てる事が出来る、と考えると総合的に迷う事はなかった。2018年の年末に私はその制度を使い退職した。
そしてこのタイミングで同制度を使い退職した者は案外少なくなかった事を知った。在職中に懇意にしていた者もいた。そこで声をかけ、縷々話を聞いてみると退職を検討した理由として「もう大企業病で組織がまるでダメになっていた」と口を揃えていう。「そう思っていたのは私だけではなかったんだ」——と。以前から組織戦略では画期的試みを外向きにアピールしていたが、それは度重なる企業買収と合併で機能不全に陥り実態の伴わないものとなっていた。その結果が今般の施策なのだ。
私はまだこの会社が「ベンチャー企業」の域を出ないながらも「速度重視」で活況だった懐かしき時代を思い出していた。
——私は元々ISPのコールセンター運営経験者として2002年に入社したのだが、IT企業というものはある日突然出来る。そしてそれまでにない新たなカテゴリの業種である故、そのリソースの多くは派遣社員だった。そこから見込みがありそうな者を正社員に採用していた。社長自身も「私には人を育てている時間などない」と公言していたし、実際それで間に合ってもいた。雰囲気も若年層が多く、どこか大学のような空気がある。オーナー社長の会社なので連日朝令暮改。朝の話が昼休憩後に白紙撤回など日常茶飯事。急な変更にガタガタ言っていると仕事が進まない。その頃から「走りながら考える」が「裏社是」として浸透していった。
しかし組織が機能していない会社にありがちな「声の大きい者の意見が通る」体質があり、アピール目的の空アクションが多く「自分で手を挙げておいてやらない」不埒な者もいた。本社は箱崎(水天宮)で、インターネット関連の部署はその周辺のビル・マンションに細かく散らばっており、社長は必要があればそれらに足しげく通っていた。今なら考えられないが、当時は毎日のようにどこかで社長を見かけるような状況だった。
本社社屋も手狭を通り越しており、まさかパーテーションが買えなかったわけでもないのだろうが、会議室までダンボールで壁を造りマジックで「会議室この先50m」などと書かれている。まるでおかしな組織のアジトのようだ。
ADSLサービスではそれまで横置きだったモデムを縦置きにしたのも社長自身だ。以降、社のフラッグシップとなり新サービスは必ず自ら陣頭指揮をとりどんな細かなことでも最善を尽くしていた。そして流れが出来るや引き継ぎをし、次のサービスに執心となる。この繰り返しだった。
毎回競合他社をあっと言わせるサービスや技術投入を常に時間に追われながら投入し、天下晴れて発表する日々は本当に痛快だった。しかしその頃、大学のような雰囲気の職場に魔の手が伸びていた。それが後の、その手の企業事件としては不名誉なさきがけとなった『顧客情報漏洩事件』だった。
・顧客情報漏洩事件
実態は意図的に盗まれたもので、こちらはむしろ被害者だが、前年に成立した『個人情報保護法』によって「個人情報も個人の持ち物」と潮目が変わってそれはれっきとした「企業責任」になっていた。
それまでは「性善説管理」だった事が主たる原因で、この事件を境に「性悪説管理」に切り替わり物理的にデータが盗まれないようにコスト度外視で予防策が徹底して講じられた。この時は再発防止目的で様々なプロジェクトが走ったが、私は急遽開設された専用コールセンターのマネージャーに就いた。簡単に言えば「クレーム窓口」だ。この窓口は特殊で、一般的な冒頭の「ユーザー確認の資格」そのものが問われるため、ユーザー/非ユーザー問わず受付された。そこではまだ耳に新しい「個人情報」を前にしたユーザー自身も「実被害の感覚がよくわからない」というジレンマが感じられたし、なにやら「焼け太り」を狙った入電、「おまえじゃなく会社を動かしている役員クラスを出せ」と悪態をつく相手など経験としては得難いが、もう二度とごめん——と言いたくなるハードな現場だった。