見出し画像

「琵琶湖の水止めたろか」論(2023年版)~力づくで水を止める計画を立ててみた~

※本記事には地域間の対立を煽る目的は無く、「琵琶湖の水止めたろか」をキーワードに滋賀県および琵琶湖水系の郷土の知識を高め合うことを目的としています。一部不遜な表現がありますが、ストーリーに緊迫感を与えるための演出です。あらかじめご了承ください。

「琵琶湖の水止めたろか」

近年は関西圏だけでなく、各種マスメディアを通じて全国的に知られるようになった滋賀県民を特徴づける名調子である。
そもそもは経済的社会的につながりの強い関西圏で、その主導的な地位にある大阪や京都の府民と、縁辺にあたる滋賀県民との邂逅において、府民が自身の優越性を誇示しようと滋賀県や琵琶湖を嘲るときに、滋賀県民がカウンターとして発する言葉である。

このあたりの地域的な関係については、かつて別の記事で紹介しているので、そちらを参考に。

さて、滋賀県民の「琵琶湖の水止めたろか」に対し、府民どもは待ってましたと言わんばかりに「止めたらお前たち琵琶湖に沈む」だの、「そもそも琵琶湖疎水は京都市の管理で滋賀県民には止められない」だの再反撃をしてくる。

こちとらそんな次元の低い話をしているのではない!

府民よ。
そもそもお前たち多くの家の蛇口をひねれば出てくるのは琵琶湖の水だ。
飯を炊く水も、お茶を沸かす水も、毎日の湯あみに使う水も、八つ橋の原料のもち米を炊く水も、たこ焼きの生地を作る水も琵琶湖の水だ。
そして、お前たちの体の6割を構成している水は、元をたどれば琵琶湖の水だ。
琵琶湖の水でその生を送っている事を蔑ろにし、琵琶湖をその眼中に置かず、母なる水のいずる地を貶すことは甚だしい自嘲自傷に他ならない。

我われ滋賀県民は近畿の水瓶としての琵琶湖を守護し、世界有数の都市圏である関西を盛り立てている矜持がある。
だのに、なぜ愛する故郷を貶され、県民としての尊厳を詰られなくてはならないのか。
ことは既に、悠長に非暴力を貫き対話で解決しようという段階をとうに超えているのだ。

琵琶湖に沈むのであれば本望である!
母なる湖に還ることは魂の救済である!
わが身が琵琶湖に還り、永劫なる平穏のうちに滋賀の地に留まり続けるのであれば、それこそ滋賀県民の本懐である!

「琵琶湖の水止めたろか」!
それは滋賀県民を永久の栄光に導く言葉である!

滋賀県民よ立て!
共に琵琶湖の水を止めようではないか!

琵琶湖の水を止める計画

さて、なんか途中で変なテンションになってしまったが、割と真面目に琵琶湖の水を止めようと思う。
なによりも「滋賀県民に琵琶湖の水を止める権限はない」という愚考に反論しないといけない。

琵琶湖から水が流れ出る先は2つしかない。琵琶湖疎水と瀬田川だ。水を止めるのであれば琵琶湖疎水と瀬田川洗堰の水門を閉じればよい。
ただ、琵琶湖疎水の管理は京都市だし、瀬田川洗堰の管理も国土交通省近畿地方整備局が行っている。
府民たちが「滋賀県民に琵琶湖の水を止める権限はない」という所以だ。だから滋賀県民の意志によって琵琶湖の水を止めることはできない。

平時であればな。

滋賀県民の魂の救済を求める覚悟は、実力行使によってのみ結実するのだ。

※以下は土木と農業の知識が皆無な筆者によるあまりにも拙い考えを述べます。もし専門家の方が読まれましたら、より詳細なシミュレーションをしていただきますと、計画遂行の実現性を高めることができると考えます。

計画①琵琶湖疎水を止める

さあまず琵琶湖疎水を止めよう。
通常、疎水の取水口は電力で開閉を行うのであるが、停電や非常時であれば手動での開閉も可能なようだ。

実力行使を使い制圧し、手動で水門を閉める。
確かに最短経路としては良い案かもしれない。

しかし、相手は世界に名を轟かすハイテク産業都市京都だ。水門とて京都の作りしもの、何が仕組まれているか分からん。
二の矢を用意せねばなるまい。

よし取水口を土砂で埋めてしまえ。これぞまさに実力行使だ。物理こそパワーなのだ。
これならば、滋賀県民の手によって、滋賀県民のみの力によって琵琶湖の水を止められる。

京都の持ち物なのだから京都市民の諸君ならご存知だと思うが(京都しぐさ)、琵琶湖疎水の取水口は2か所ある。ひとつは桜の名所としても有名な第一疎水の第一トンネル、ふたつめは第二疎水の取水口である。

第一疎水のトンネル口を土砂で埋めるのは実に容易い。
トンネル入り口の幅はせいぜい10m、深さは周辺の琵琶湖の深さから見積もって2.5m程度。
仮に土砂を底辺20m、上辺5m、高さ3m、奥行き10mの台形に積み上げるとして、必要となる土砂の量は375立方メートル、重さにして675トンだ。


土砂埋め立てイメージ図

第二疎水は少し骨折りだ。
取水口が琵琶湖に直結しており、尾花川橋付近から土砂を流し込まないといけない。取水口近辺の水面の幅は20m、深さは第1疎水と同様に2.5m程度。
ここにも土砂を底辺20m、上辺5m、高さ3m、奥行き20mの台形に積み上げるとして、必要となる土砂の量は750立方メートル、重さにして1215トンだ。

合わせて1890トン、安全目に見て2000トンとしようか。
結構な量かと思うが滋賀県内には979台のダンプカーがある。仮にそれらが10トンの土砂の積載が可能だとすれば、30%も使役せずに琵琶湖疎水の水を止めることができる。

後悔するがいい京都の民よ。
我われはいともたやすく琵琶湖疎水を止めることができるのだ。

計画➁瀬田川を止める

さあ琵琶湖疎水の次は瀬田川の水を止めてみせよう。

真っ先に思い立つのは大津市南郷にある瀬田川洗堰を止めることだ。
ただしこれは有効な策ではない。なぜなら、止めたとて行き場を失った水は洗堰の上部から流れ出るからだ。

こうなると現実的には、より下流においてダムを作るしかない。ダムという構造物の特徴上、急峻な谷であり抵抗を稼ぐことのできる地点が望ましい。
瀬田川を下っていくと、見つけた!立木観音と妙見山の間の急峻な谷筋。ここがよかろう。

堤頂を標高100mに設定すると、提高30m、堤頂長100m程度のダムを作ることができる。治水ダムのサイズとしてはやや小ぶりなサイズではあるが、堤頂の標高は琵琶湖の湖面の標高86mよりも高く、琵琶湖の水を確実に止めることができる。

ここにダムを建てよう

ただネックとなるのは工事の期間である。
国内の一般的なダムより小規模とはいえ、それでも5年程度の時間は必要となる。仮に琵琶湖疎水のようにいささか乱暴に土砂を積み上げたとしても2-3年は要するであろう。
この間、外界からの妨害を阻止しつつ、ことに当たらねばならない。

仮に食糧・物資の移入が禁輸された場合、食料自給率が47%の滋賀県は瞬く間に飢えてしまう。穀物の備蓄を進めると同時に、県内の開拓が急務となる。
滋賀は近郊野菜や果樹の産地であるが、やむを得ない。琵琶湖に還ることが本望であり、飢え死にしては本懐を遂げることはできない。カロリー確保のためにも田んぼに転用してもらおう。さらば、守山メロン。
労働力は心配しなくていい。従来、県民の労働人口の半数近くは他府県に働きに出ているのだ。職を失った彼らに職場を与えることは農業増産五か年計画において有効な労働政策だ。さあ明日の労働英雄は君だ!

かくして滋賀県民は琵琶湖の水を止めること成功した。
滋賀県民は琵琶湖に還り、琵琶湖とともに悠久の時を生き続けるのだ。

エピローグ:京都と大阪の末路

さて、琵琶湖の水を止めた後の京都と大阪の姿を見ておこう。さぞかし慌てふためき、経済活動がろくにできない状態になっているだろう。

まずは大阪。
ぶっちゃけた話、大阪は大きなダメージを受けない。
なぜなら、淀川河口の流量のうち瀬田川経由で得られる水は12.5%に過ぎないからだ。琵琶湖疎水から鴨川を経由して流れる水を加えたとしても20%に届くかどうかだ。その多くは木津川と桂川からもたらされる。また、淀川水系だけでなく、猪名川や大和川といった河川からの取水も可能だ。
滋賀県民はえらそぶるが、琵琶湖の水が止まったところで、大阪が壊滅的な被害を受けるかというと、そうではないのである。

他方、京都はどうなのか。こちらは一時的にえらいこっちゃになる。京都市の上水の99%は琵琶湖疎水から取水しているからである。
ただ、京都市の水にとって琵琶湖疎水が必要不可欠かというとそういうわけではない。あくまで琵琶湖疎水には明治当初、水道だけでなく発電や輸送路の役割が期待されていた。ゆえにわざわざトンネルを掘りにも掘って琵琶湖の水を求めたのである。
しかし、京都には西に桂川が流れている。流量だけで見ると琵琶湖疎水をはるかに凌ぐ量だ。なので、滋賀県民が瀬田川にダムを作るというなら、京都市民は西京極あたりに浄水場を作ればいいだけなのだ。浄水場の方がはるかにコスト安に作ることもできるだろう。

つまり、京都や大阪から見たら、琵琶湖の水が完全に止まったとて、それは滋賀作の犬死になのである。

シン・エピローグ:止められへんけど やめられへん

犬死になら「琵琶湖の水止めたろか」というのをやめるのか?
否、やめない。滋賀県民として、一生、言い続けるだろう。

東狂アルゴリズム「琵琶湖の水止めたろか音頭」という楽曲でこういう歌詞が出てくる。

笑われても 蹴られても 
必ず最後に勝利へ導いてくれたその言葉(註・琵琶湖の水止めたろか)
今更やめるわけないでしょう 
止められへんけど やめられへん

東狂アルゴリズム「琵琶湖の水止めたろか音頭」

そう「止められへんけど やめられへん」のだ。
なぜやめられないのか。最後に自分なりに考察しておこう。

まず「琵琶湖の水止めたろか」は知的なプロレスなのである。
例えば、従来のマスメディアやSNS上で周知されているカウンターは、冒頭でも紹介した通り、「琵琶湖に沈む」や「滋賀県民には止める権限がない」といったものであり、滋賀県民の再反撃は一般的に知られていない(というか自分くらいしか主張していない)。
これほど耳目を集めるパワーワードに対し、有効なパンチラインを考える。これが知的なプロレスという所以である。
今回はそれに対し「魂の救済」であるという狂信者的な側面や、「実力行使」という方法を検討した。なんなら、琵琶湖の流量を調べて、セルフツッコミまで入れる次第である。今となっては、止める影響が少ないのであれば、どのようにすればいいのか、と頭の中で色々と思惑が巡っている。
こうした思索はばかげていながらも純粋に楽しく面白い。

ただ、やめられへん理由はそれだけにとどまらない。

昨今、世界ではSDGsの名のもと、持続可能な社会を目的とした運動が行われている。滋賀県もそれを模してMLGs(Mother Lake Goals)という開発目標を掲げている。それらを計画・実践していく過程において、具体的な地域への理解は不可欠なのである。
琵琶湖の水は淀川の流量の20%に満たないと述べたが、たかが20%、されど20%である。経済・社会・自然のエコシステムは絶妙なバランスの上で成り立っている。それらに対し私たちは愛着を持ち、もっと豊かになるための生を送っている。となると、20%は決して無視できない。しかし、どれほどの事を私たちは知っているのだろうか。
今回は「琵琶湖の水止めたろか」から発し、琵琶湖や流域の状況、県内外の経済状況まで調べるに至った。今後も有効なパンチラインを考えるためにいろいろ調べるだろう。こうして得た知識が、地域を考える出発点になると考えられる。
一つのユーモアなパワーワードから、そうした大きな関心や社会課題や地域理解に繋がりうる、そんな力を持っていると理解している。

だからこそ、やめられへんのである。

「琵琶湖の水止めたろか」
そう、それは滋賀県民を永久の栄光に導く言葉である。


参考サイト(登場順)

京都市水道局 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html
国土交通省近畿地方整備局 https://www.kkr.mlit.go.jp/biwako/rivers/seta/sluice/araizeki.html
国土交通省資料より「都道府県別車両数」 https://www.mlit.go.jp/common/000998490.pdf
国土技術政策総合研究所「ダム諸量データベース」 https://mudam.nilim.go.jp/home
農林水産省「都道府県別食糧自給率について」 https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/zikyu_10.html
国土交通省「淀川水系河川整備基本方針」https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/yodo_sui/qgl8vl0000000zx3-att/houshin.pdf


いいなと思ったら応援しよう!