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感謝は一粒が万倍になる


最近、私の世界が変わってきた。
インナースペースというのだろうか。
宇宙は自分の中に在るのだから。
(はい、今回はカッコいい感じで入りました🤣)


私は内気だと自ら公言してきたが、まわりからはことごとく秒で否定されてきた。
内気な人間は自分のことを内気ですとは言わないもんですよと。→主張しないということですね。
実は人見知りなんだけど、と言うと初対面の時からあんなにフレンドリーに話しかけてくることが出来る人がそれは"無い"と断言された。
いや、単に物凄く気を遣って頑張って話しただけなんだけどな。
そんな言い訳は、もはや誰にも通じない。


そんな自称『シャイな』私の心を掴んで離さないあること。それは、

『スキ』と『コメント』の二大巨頭である。


実のところスキもコメントも苦手だった。
意思表示が苦手だからだ。
ぜひこれを読んでほしい。


これは私の目から鱗が落ちた話だ。
いいじゃない、スキっていっても。
心が動かされて伝えたくなった、その気持ちに従って思うまま正直に書いても。
→(誹謗中傷はダメ! 絶対!)
そうして、素直に伝えることを覚えた。


ところで私は今(そうは思えないかもしれないが)非常に悩んでいて、考えると本当にずしんと気が重くなる。そうしたところで解決できるわけでもなく、むしろ悪い方へ促されてしまうことも重々承知、理解しているのにだ。

それは引き寄せの原理。

いいことも悪いことも思念が現実化される。
ああなったらどうしよう、困るなあ、嫌だなあと考えるとそちらを望んでいると神様が受け取り(勘違いをし)はい、これがあなたの望む未来よと差し出されることになる。
理屈ではわかってはいるのだが、やはり心配なものは心配なのだ。
子どもがいくつになっても親は思うもの。
例えば80歳の母親が50を過ぎた子供の身を案じ、風邪を引かないかと気遣うのを誰が笑えるだろうか。



そんな悶々としている私に飛び込んできたある方の文章に求めていた答えが書かれていて心が震えた。
それが光来子(みら子)さんのこちらの作品。


息子は今、休職中の身だ。
ギリギリまで頑張ったのだが善戦虚しく、精神がもたなくなり、体調にも如実に表れてしまった。
(働きながら転職活動をしていた時の息子のことはこちら。よかったらお読みくださいね。)


こんな私の目に上記の救世の言葉が、文章が飛び込んできたのだった。
救われたと感じた私はまた後先なくコメントを書き送った。
すると彼女が今日こんな文章を寄せていた。
こちら。


出会えて感謝です。

私は彼女にそう伝えた。
それに対し、彼女は単純に喜んだ、嬉しかったと書いてくれていた。
私が彼女の言葉に励まされて救われたように、私の感謝の言葉がまた彼女を励ましたのだ。(と思う)


たった一言送った感謝の気持ちが彼女に伝わり、そしてまた彼女から誰かに発信され、またそれを受け取った人が感謝をし、誰かにシェアしていく。
大きなものを小さくして分けるのではなく、小さなものを少しづつ増やしていくこと。
自分以外の誰かに配っていくこと。
たった一粒がやがて万倍になる。
よく見ると、『心配』という字も心を配ると書く。


心配ではなく、他の方達へ感謝と思いやりの心配りをしようとすると自分にも周囲にも喜びが返ってくるのかもしれない。
今日から誰かに『心配り』、始めてみませんか。

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