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日航123便墜落事故(事件)・第53回〜知る人ぞ知るように複数ある「落合証言」。それら証言の内容を信ずる中で、断ぜざるをえない機の動きとは?
たまたま非番の際に123便に乗り、未曾有のあの事故にあいながら、奇跡的生還を果たした日航アシスタントパーサーの落合由美さん。
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そんな彼女が事故のあらましについて語った証言が、いわゆる“落合証言”と呼ばれるものだ。
一番有名なのは、ノンフィクション作家の吉岡忍氏のインタビューによる長文のもの。氏の著書『墜落の夏』に収録されているが、現在、123便事故に関心を寄せる者のブログやYouTubeなどで目(耳)にすることができる。
他方、救出後の病院にて、日航幹部が聞き取り調査をした流れでの“落合証言”もある。そうして、それらの内容にはいくつかの相違がある由。
再び、123便事故検証動画シリーズ『ワタナベケンタロウ動画』(第117回)から引かせていただくと……。
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初期版の落合証言を、事故調査委員会は信ぴょう性に欠けるとして重要視しなかったようだが、「富士山が左に見えたので羽田に戻るものと思った」という発言は、特に気をてらった内容ではなく、とてもリアルなものに感じられる。
そうして、吉岡忍氏インタビューの落合証言では、富士山がこんな流れで登場する。
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富士山を左に見たあとに、彼女は安全姿勢の体勢を余儀なくされる。以後、機は急降下の様相を呈し、最悪の事態へと突き進んでいく。
言うまでもなく、事故調査委員会が示した飛行ルートや時間と重ね合わせると、これらの内容はまったく合致しない。だが、「お前はどちらを信じるのか?」と問われれば、自分は一貫して彼女の言を信頼する。日本の、ひいては日本人の(空の仕事をする者ならなおさら。見誤るはずがない)、有数の象徴的ランドマークと呼ぶべき“富士山”というスペシャル・ワードを蔑ろにすることなど到底できない。
自分の推論(結論でもいいが)はひとつしかない。
落合さんは、二度、富士山を見たのだ。
①焼津市、静岡市から反転して、羽田空港方面に向かう際と、②横田基地近辺から反転し、例の写真が撮られた奥多摩の上空(18時46分頃とされる)を経ての西方面への飛行の過程。墜落時間まではまだ10分あまりあり、時間的に矛盾はないと思われる。
この推論に関しては、落合証言とは別にもうひとつの拠り所、後ろ楯がある。それは、以下の動画。しながわてれび放送『すずきじゅんのやりたい放題TV2』による123便墜落事故関連回(2015年8月公開)のもの。
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出演者のKyoko氏(元キャスター)によると、あの日、山中湖近辺にいた彼女は、山(富士山ではない)にぶつかりそうなほどに低空飛行する大きな飛行機を目撃。実に、あまりに低空ゆえ垂直尾翼の形がおかしくなっているところまで見えた由!
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山にぶつかりそうな、垂直尾翼までハッキリと見えたほどの低空飛行を考えると、羽田に向かう際の機ではなく、奥多摩から西へ向かう流れでの機だろう。時間は18時50分頃(前か)。
こう書いていくと、「お前があれほど固執した、123便は埼玉県上空を飛んだ話はどうなったのか?」と問われるはずだが、ここに至っては、正直、よくわからないと述べるしかない。
『朝日新聞』でも取り上げられた、武蔵浦和から見えた機はなんだったのか。
埼玉県、長野県の県境周辺(埼玉県西側の秩父市など。山中湖から北上すると、甲武信ヶ岳と雲取山の間を通ることになる)をユラユラ北上する123便だったのだろうか。
なんにせよ、落合さんの二つの証言を信ずると、結論は本稿のようにならざるえない。なお、「例の大月ループの際に見えたであろう富士山」については、落合証言からは読み取れないので本稿では扱わず。本シリーズ執筆において、自分は事故調査委員会が提示する飛行ルートに懐疑的な立場だが、案外、そのあたりに真実の一端が隠されているのかもしれない。
最後に。可能なら、聞けるものなら、吉岡忍氏による落合さんのインタビューのテープ完全版を、ぜひ聞いて(読んで)みたい。
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