見出し画像

「子供には自分みたいな人生を送って欲しくない」と思う全ての方へ

はじめに

この記事は自分の人生にある種の“負い目”を感じて、お子様の人生を自信を持って導く自信を持てない方に向けて書かれたものです。

子供には自分みたいな人生を歩んで欲しくないなあ

そう思われる方は、最後までぜひ読んでみてください。


本文

□自分の人生失敗ばかり

「自分の家庭教師の経験から話をさせてください。自分の伺ったそのご家庭のご両親は口癖のようにこう仰っていました。

子供には自分たちのような人生を歩んでほしくはない

お母様曰く、

自分は家庭の経済力の関係で大学に行くことはできなかった。だから子供にはちゃんと良い大学に行って欲しい。

お父様曰く、

自分は若い頃遊び呆けてしまった。仕事はちゃんとしているし、良い大学に行くことが良い人生を送ることを保証することはないことも分かっている。しかし、それでも子供にはちゃんと良い大学に行って欲しい。

お二人曰く、

そのため、子供にはできるだけ良い学習環境を提供したい。自分たちのような人生にはならないでほしいー。

とのことでした。」

(質問者)ーーズッシリと重い話ですね。自分の人生に対する負い目と、それをお子様には感じさせないようにしようとするご両親のお気持ちが伝わってきます。

「一般的な感想はそうなりますよね。しかし、僕はこれに対して『まずい』と思ったんです。」

(質問者)ーーえ?何でですか?

「お子様のお話を聞いていたからです。お子様はこう仰っていました。

気にかけてもらえるのは嬉しいんですけど、そんな期待されても…って感じなんですよね

この言葉を聞いていたので、ご両親の悲壮な決意が、自分達の人生に対する”負い目”をある意味で押し付けているなと感じてしまったんです。要は、『重い』と受け取られてしまっていた。」

(質問者…以下略)ーーこれは悲しいことです。想いが強いが故に受け取ってもらえていないとは…。

「これを説明するために、一旦家庭環境から離れた方がむしろ分かりやすいのではないかと思いますので、まずは自分の大学時代の話を聞いてください。」

ーー了解です。詳しくお願いします。

□“反面教師”の限界

「僕は大学時代に早稲田大学応援部という組織に所属しており、YouTubeなどで検索していただければ分かる通りそれなりに厳しい練習を乗り越えてきました。その過程での同期のぶつかり合いや腹割った対話を通じて得られたものは、大袈裟でなく人生における人間関係のあらゆる問題に通用すると考えています。」

「今から話すのは、そんな部活の中で過ごした僕が、2年生から3年生の前半の中で経験したことです。」

ーー前提把握しました。続けてお願いします。

「応援部に限らず基本的に組織内において“直属の1個上”とは基本的に仲が悪くなります。バチバチになる。」

ーーそうですよね。分かります。けど2個上は無条件に尊敬してしまう(笑)

「そうなんです。よって、応援部に限らず、学生団体は“代の色”が隔世遺伝します。自分の“子供の代”は自分たちを反面教師にし、自分の“孫の代”は自分たちを尊敬してくれる。」

「そして、この”反面教師の関係性”に限界を感じたことがありました。僕自身も他の方に漏れず、『1つ上の代(以降、親の代)にやられて嫌だったことは自分の1つ下の代(以降、息子の代)はしない』という価値観で動いていました。しかし、それではなぜか後輩とは上手くいかなかったんです。」

ーーなぜでしょうか?

嫌われるルートAが消えただけだからです。僕は他のことでやらかしまくっていたので(笑)、その部分で『大久保さんはなー、ああいうところがあるからなあ』と(おそらく裏で)言われてしまっていました。」

「また、僕が息子の代に見せていた姿は、本質的には、親の代に対して反抗する、反面教師にするというものでした。その姿を見た息子の代は、そりゃあ自分たちの親の代を反面教師にしますよね。鏡に映るように、自分たちの動きを真似しただけなんです。」

ーーこれはその通りですよね。『親の代に反抗してできた代のカルチャーは”祖父の代”と似ていたー。』みたいな感じで繰り返していくのかもしれません。

「また、自分の無力感を知った時期には『自分たちを反面教師にしてほしい』という伝え方をしてしまっていました。後輩からしたら“重い”ですよね。居酒屋で『俺らの代はこういうところがうまくいってないからお前らは…』なんて言われちゃ。」

「シンプルに、当時の自分はプライドが高かったのだと思います。相手に自分の欠点を指摘される前に『俺らこういうところがあるからさ…』と先制攻撃で自分を落としておく。すると、相手に自分の欠点を指摘されません。しかし、相手からしたら苦笑いを浮かべる以上の反応はできません。当時の自分の言動行動には大いに反省しています。」

ーー気づいた後はどうされたのですか?

「これに気付いた自分の4年生(大学スポーツにおける最高学年)時代、僕は“親の代”を研究することから始めました。本当は嫌だと思うところもありましたが、振る舞い方も似せました。『あの人たちにこんなことをしてもらった。自分の代ではさらに良いことをしよう』という雰囲気を作れるようにしました。」

「すると、面白いことが起こりました。みんな着いてきてくれたんです。」

ーー先程とは逆ですよね。“親の代”を尊敬する姿が“息子の代”に伝わり、結果として自分達が残したものが、自分たちの引退後にも尊重してもらえるー。

「その通りです。単純に考えてみてください。飲み会において、

  • 『俺は1つ上にこんなことしてもらったから、俺もこうしたいんだぁ』とニヤニヤしながら語る大久保

  • 険しい顔で『アイツにこんなことされて嫌だったので俺はこんなことしない』と語る大久保。

どちらが一緒にいて楽しいでしょうか?どちらがついていきたいと思えますか?」

ーー前者です(笑)やはり、愛がある方がいいですよね。


□家庭環境に転用して

ーーこれ、前述の家庭環境にそのまま当てはめられませんか?

「そうなんです。もちろん部活の関係と親子の関係は全く違うのでそのまま当てはめることはできません。しかし、話は整理しやすくなるのではないかと。」

「先の話に出てきたご両親の教育のご方針は、僕の応援部に在籍していた頃の“親の代”を反面教師にしていた時期、自嘲的に自分の代を反面教師にしろよと言っていた時期に近いのかなと思います。」

「よって、このまま進んでしまうと、仮にお子様が十数年後に親という立場になった時、こう考えてしまう可能性が非常に高い。」

親が自分に良くしてくれたことには感謝してるけど、重圧をメッチャ感じたんだよな。自分は子供の自由にさせてあげよ。

ーーこれは考えられる話です。そうなったらこれほど悲しいこともありませんね。

「そうですよね。それと同時に感じたことがあります。そもそも、ご両親は自分の人生に負い目を感じて、自分達の人生を反面教師にする必要がありますか?ご両親はお子様に家庭教師を付けるほどの収入を得ているわけです。こんな素晴らしい方々なのに、。『自分たちのようにはならないでほしい』って違くないですか?

ーーたしかに。逆ですよね。自分たちの人生を負い目に感じる必要はないです。

「だから僕は本音を言うと以下のようにお子様に言っていただきたかったんです。」

我々の人生は失敗続きだったが子供が産まれてきて全てが幸せだ。努力するのは大変だが、楽しく自由にやってくれ。

ーーたしかに、こちらの方が愛されている実感が湧くとともに、自分も頑張ろうと思えますよね。勉強してても“楽しく”できそうですね。

「しかし、僕はこれを伝えることができませんでした。理由は簡単で、ご両親の想いを否定する根拠がなかったからです。」

ーーどうしてですか?

「自分は結婚したこともありませんし、子育てをしたこともありません。唯一こうした子育ての方針に“物申す”部活時代の人間関係も、親子関係に当てはめていいかは正直分かりませんでした。それなのに『子供には自分たちみたいな人生を歩んでほしくない』というご両親の悲壮な決意に石を投げていいのかが分からなかったんです。」

ーーたしかにこれは厳しいですね。例えそれが正しかったとしても、ご両親に正しく受け取ってもらえるかは分かりません。

「そうなんです。さらに問題があります。ここでお子様に『俺たちは幸せだ!お前も自由にやれよ』というメッセージを伝えたとしても、それが”心からの言葉”であるとは限らないんです。むしろ、僕に言わされた感が滲み出たが故の”ぎこちなさ”がお子様をさらに縛りつけてしまう可能性すらあります。」

ーーたしかにそうですね。表面上の言葉を繕っても意味がない…。

「やはり、『色々失敗続きだったが、今の自分達の人生に負い目はない。自分の子供にも堂々と生きてほしい。』という自己評価をご両親に”自然体で”抱いていただかなくてはならないと感じました。」

ーーしかし、今こうして記事にされているということは、ある程度成功したのだと思います。どのように変わっていったのでしょうか?

「これを解決したのも早稲田応援部時代の繋がりでした。ホントにこの部活には足を向けて寝られません(笑)」

ーー詳しくお願いします。

□人生自分語り

「時は2022年の5月のことでした。僕の後輩の子と夕食を食べに行った時のことです。その子は人の心を開き、人を幸せにする力を持つ子でした。」

「その子が同期とプチ旅行に行った時の話をしてくれました。同期みんなで夜に“人生トーク”をするテンションになったそうです。」

ーーそういうテンションありますよね(笑)深夜だとなおさらです。

「そこで、自分の生い立ちから今部活をするに至るまで何があったか…自分の人生を各自尺を30分取って語ったみたいなんです。そこで、今まで断片的にしか知らなかった同期の過去を知ることができたと。今まで知らなかった同期の過去を知ることができて、さらに同期を大切にしようと思ったと語ってくれました。」

「そこで、じゃあ俺らも今からやろうぜと持ち掛けて、幼少期から大学生に入り応援部に入るまでをひたすら話すようにしたんです。」

ーーとても楽しそうですね。単なる部活動の先輩後輩から、さらに深い信頼関係を築いているのが伝わってきます。

「本当に楽しかったです。その日は自分にとってもとても意義深い1日となりました。」

「そして、ここで終わらせたくないなとも思って、他の方にも同じことをしたんです。自分と仲の良い同期先輩後輩の全てに対してです。また応援部以外の繋がりに対してもこれを行いました。そしたら『これ自分が部活やってた頃に聞きたかったなあ』と思う話が出るわ出るわ(笑)」

ーー楽しそうですね(笑)

「僕が家庭環境に関するコンプレックスを先に曝け出していたので、自分に関するプラスもマイナスも話しやすかったのもあるのだと思います。僕はこの対話を『人生自分語り』と勝手に名前を付けて、色々な人との対話の中でこうした時間を作るよう尽力するようになりました。」

「この過程で、自分は1つの気付きを得ました。それは、誰しも自分の人生を語りたい、どんな気持ちで何をしてきたかを知ってほしい…ということ。」

ーーその通りですね。部活でそれをやりたかったんだろうなと思います(笑)

「本当に(笑)もう少し早くここに辿り着きたかったなと思います。しかし、今それをやれる方がいらっしゃるわけですよ。」

ーーご両親ですね?

「その通りです。自分の倍の時間を生きてきているご両親が『本当は話したかったけど自分語りになっちゃうから話さないでいいかな』と封印してきた話題を持っていないわけがないですよね。早速次の週から試しました。」

ーー実際に行ってみて、その反応はいかがでしたか?

「本当に楽しかったです。そして自分にとっても勉強になりました。自分がまだ経験したことのないことを先に先輩方が話してくれるわけです。楽しくないわけがありません。」

「そして、僕はここに行きつきました。これをお子様に聞いてもらえばいいんだと。

□家族会議で人生自分語り

「次のお子様の指導日に、僕は家族会議の時間を設けました。そして、お子様同席の上で、ご両親にご自分の人生を語ってもらったんです。」

「多くのご家庭と同様に、そのお子様も『お父さんの仕事の話』や『お母さんが専業主婦になる前に何してたかの話』を知りませんでした。そしてご両親もそれを話していませんでした。今回その領域に、僕が人生自分語りをもって飛び込み、ご両親が尺30分(約2時間超過)の中で色々なことを語ってくれました。

  • 学生時代の学びと後悔

  • 企業戦士として闘う日々

  • 専業主婦という道を選んだ時の話

  • ご両親2人の出会い(馴れ初め)

  • お子様が産まれた時の話

  • 子育ての中で葛藤

などなどです。」

ーーうわ、これ楽しそうですね。

「尺30分じゃ足りませんでした(笑)」

ーーそりゃそうだ(笑)

「そして、次の週はお子様の番です。何度か電話やオンライン会議ツールを通じて作戦会議を行い、何を話すか決めました。そして、

  • ご両親にされて嬉しかったこと

  • 正直めんどくさいって思ってたこと

  • 今までどんな気持ちで部活や勉強をしてきたか

  • これからどのように生きていきたいか

などをたくさん語っていただきました。一生懸命話すお子様をまっすぐに見つめるご両親の眼差しが忘れられないです。」

ーーその後はどうなったのでしょうか?

『家庭教師が不要なご家庭』になりました。その信頼関係やお互いを尊重する姿勢が、お子様の学業面に与えた影響をあえてここで説明するのは野暮でしょう。」

ーーどのような心理状態でそうなったのか、そこを詳しく聞きたいですね。


□子は親の人生を知らない

「考えてみれば当たり前ですが、お子様ってご両親の人生の半分を知らないんですよ。自分が産まれる前のことって断片的にしか知らないわけで。」

ーーたしかに、これを知らないのってもったいないなと思います。

「そして、僕が提供した機会でそれを知っていただいたことで、お子様もご両親が何を思って自分に様々な教育を行ってきたかを知ることができたし、今まで断片的にしか聞いてこなかったお仕事の話も聞けた。」

ーーこれは大きいですね。勉強云々以前に、社会に出た時の話を先行して聞けるのはお子様にとっても大きな意味があったと思います。

「その通りですね。また、ご両親も自分の葛藤を吐き出せたことで、自分の人生に負い目がなくなった…いや、負い目を感じる必要がなくなったようです。家族がお互いの良さも悪さも受容し、『まあ色々あったけどみんなで頑張りましょうや』という空気感になった。そこには『自分たちのような人生は歩んでほしくない』と語っていたかつての姿はありませんでした。

ーー僕の話になりますが、社会に出てから父親と仕事の話をするようになったんですよ。自分も社会に出て働き出したことでようやく父親の言っていることが分かるようになった。それと同時に『学生の頃に聞けていればなあ』とも思うんですよね。お子様がこうした話を中学時代に聞けたのは、大きな意味があったのではないかと思います。

「僕自身も最近、母が専業主婦という道を選ぶ前の話を聞きました。やはり仕事を捨てて家庭に入るという選択をするのには相当な覚悟が必要なようです。そうした決意を多感な中学時代に聞けていれば、あの頃の自分の反抗期も少し違ったものになるのかなって思います。」

ーー気持ちはとても分かります。こういうのって後になってから知りますよね。


□親は子に自分の人生を隠す

「一方で、自分の人生をお子様に語らないご両親もいるわけです。というか、そういう方がほとんどだと思います。」

ーーここまで読んでみると、語らない方が損なのではないかとも思えます。

「そうですね。」

「僕が担当したこのご家庭に限らず、多くのご家庭は、お子様の教育方針を建てられる際にそこに至るまでの葛藤を伝えません。その過程を知らぬお子様からすると、上澄み1%のメッセージが一人歩きしたまま伝わってしまう。」

ーー本記事で取り上げたご家庭ではそれが「自分たちのような人生にはしないでほしい」というものでした。たしかに、過程を見る見ないで受け取り方が変わりますね。

「そうなんです。これは親子の立場が逆転しても同じです。お子様がどんな気持ちで部活や勉強に取り組んでいるかを知らなければ、表面的な反抗だけを見た指導しかできないかもしれません。」

よって、双方ともに自分の人生の喜怒哀楽を全て吐き出す時間が必要なんです。それは家族会議でなくとも構いません。これは別のご家庭でのお話なのですが、ご家族と僕でドライブに行き、ドライブ中にご家族全員で人生トークをする…といったこともしました。司会は僕です(笑)手段は何でも構わないんです。」

ーー単に『ご両親の自己肯定感を上げるにはどうしたらいいか』といった安直な選択肢を取らなかったのがミソですね。

「その通りです。ご両親が自分の人生の負い目を軸にお子様の教育方針を建てられている状態を変えるには、一般的な自己啓発本に書かれているようなアプローチでは表面的な解決策にしかならないのではないかと。喜怒哀楽、プラスとマイナス、正の感情と負の感情…文字通り全てを曝け出して家族構成員がお互いを受容し合い、尊重し合える空気感を作るほうが、より本質的な解になると考えています。」

ーーこのご家庭では、その解が家族会議だったということですね?

「そういうことです。」

ーーこれは一般論としての質問です。どうして親は子供に自分の人生を語らないのでしょうか?

「僕の現時点での答えは『親は子の手本とならなければならない』という信条(常識…信念…思考パターン…ビリーフ…?思い込み…?うまい言葉が見つかりません)です。」

「子供に対して手本を見せようとすると、過去、そして現在の自分の弱みを話せなくなってしまいます。そして、親としてのプライドから悩む姿も見せられない…。カッコいいところだけを見せたい…。」

ーーとてもよく分かる話です。

「だから、この記事で取り上げたような、真剣に子育てに向き合おうとするご両親の子育ての方針が、お子様からすると『重い』と感じられてしまうわけです。」

ーー完璧な姿を演じるのがとても難しいであろう家族という関係性で「自分の弱みもいつでもさらけ出せる」という関係性が構築されていないのは、たしかにしんどいと思います。

「今回の家族会議で、ご両親も今まで隠してきた自分の負い目をさらけ出せたことで楽になれたのではないかと思うんです。そして、お子様も『親が自分に弱みを見せてくれている』と思えれば、それはそのままご両親に対する信頼に繋がるでしょう。」

ーー安心感も得られますよね。「あ、親って完璧じゃないんだな」とプラスの意味で思える。そしたら今度はご両親に対して恋愛や部活の悩みも相談しやすくなる。

「そしたらまたそこに信頼関係が生まれますよね。」

ーーこのサイクル最高ですね(笑)

「こうした積み重ねが、本記事で取り上げたご家庭の場合、自分の人生に対する負い目がなくなるという方向で現れたのではないかと思うのです。そして、気づけば『自分たちのような人生は歩まないで欲しい』という言葉はご家庭から消え去りました。消し去ろうと動いたわけではないにもかかわらず。たしかにお子様の学力改善に僕が貢献できたのは事実だと自信を持っていますが、僕が本当の意味で遺したものは、むしろこちらだったのではないかと。」

「僕はこうした関係が構築されたのを指して『家庭教師が不要になったご家庭』と表現します。」

ーー「納得しました。」

□親から学びたくても学ぼおうと人たちへ

ーーその一方で、ご両親との関係に苦労されている方からしたら『学びたくとも学べないよ』と言いたくもなるかと思いますし、大久保さんもそんなことを考えたことがあると思います。そんな方がいらっしゃったらどういう言葉を掛けますか?

「まずは『自分が1番陥りやすいであろう人生の失敗パターンを先行して教えてくれる存在』として向き合ってみてください。そして、話はここで終わりません。」

「話を聞くうちに、自分では反面教師だと感じていた親の姿にある種の愛おしさを感じる瞬間があるはずです。」

ーー経験談があれば是非お願いします。

「僕の話でいくと、ずっと父のことを反面教師にして生きてきましたが、僕自身にも仕事がうまくいかなくなると人に八つ当たりしてしまう瞬間がありました。その時の周りの反応、自分を怖がる目は、かつて自分が父に対してしていたそれと同じであるように感じました。すると、『あの人も大変だったんだなあ』って思えるんですよね。その気持ちになると、意外と大嫌いだった人の話も聞けるようになったりするんです。」

ーーこの記事に漏れず、自分にとっての負の体験を軸に「こうはならないようにしよう」と反面教師にしていたことが、別の形で実現してしまっていたことって、意外とあるように感じます。

「そうですね。例えば、DVの被害に遭われた方がいらっしゃったら、それを反面教師にして行動しても、DVを働いてはいないかもしれないが、周囲に対して高圧的な態度(≒モラハラ)を取ってしまう…という形で表面化してしまうかもしれません。つまり、“失敗ルートA”が消えただけで、実際はAと同じ根を持つ“失敗ルートB”に入っているだけなのかもしれない。」

↓↓↓これに関する僕の葛藤をまとめた記事↓↓↓

ーー「アイツみたいには絶対ならん!」という発想ではこれが怖いですね。

「さらに、こうした発想の怖さは、失敗ルートAを回避しただけでBにハマってることに自分で気付けないということにあります。」

ーー詳しくお願いします。

「先程の例で説明しますね。DVを受けた方が家庭を持ったとき、その方のお父様を反面教師にしてお子様を殴らなかったとします。しかし、別のところで何かしらお子様の心を傷つけることをしていたー。」

「この時、そのことに気付きにくいんです。なぜなら、自分はご両親から受けた暴力をしていないということにある種の自信を持ってしまっているから。『けど俺、父親みたいに子供殴ってないし…』と。」

ーーなるほど。“失敗ルートA”を避けるのが目的化してしまっていて、“B”にハマったことに気付けない。ありそうな話です。

「そうですね。こうした反面教師的な発想の限界はここにあります。だからこそ、いっそのこと開き直って“1番同じだと思われたくない人”の話を聞くことに意味があると思うのです。」

「ここで、『自分は親ガチャで外れ引いたから』『自分の親は、自分と仲良くしたいだなんて思っていない』と思ってしまう気持ち、正直痛いほど分かります。しかし、ゆっくりでも良いから前に進んでみると、大きな発見があるかもしれない。」

ーーそれは辛く困難な道のりかもしれませんが、やり切れば何よりも大きな財産になると思います。

「それでも親が自分に向き合ってくれないなら、その時初めて『あ、あの人は俺にとって反面教師でしかないわ』と思えばいいと思うんです。恐らくその時、あなたの心はある種の晴れやかさに満ちているのではないかと思います。いつか自分に子供ができた時、人生自分語りのネタになるんじゃないのかなと。」

おわりに

□自分と同年代の方へ

ぜひ帰省の際にご両親と人生自分語りの時間を作ってみてください。全く違う人格をご両親の中に見出せるはずです。

□中学生/高校生の方へ

反抗期の中で親の人生を知ろうとすることは大きな抵抗があるかもしれませんが、やってみて損はありません。外食のついで、ドライブのついで、そんなちょっとした時間からで構いませんので、親の人生を知る機会を能動的に作ってみてください。大きな気づきを得られると思います。

□謝辞

実は、この記事は僕の応援部時代の先輩との対話が執筆の発端となっています。

その方は自分が新人の時の4年生であり、新人監督(1年生を勧誘して立派な部員に育て上げる、応援部内で1番大事だと僕が思っている役職)として僕のことを真剣に叱ってくださった方です。

その方は応援部を卒部後に就職された会社で技術関係のお仕事をされているとのこと。営業などと異なり、学校で専門的な技術を学んでこられた方と仕事をする機会が多く『俺って大学で何をしてたんだろう』と思うことが多々あったようです。

勉強をする…良い大学に入る…良い企業に就職する…

考えてみれば、一般的に良いと言われがちな、こうした人生のステレオタイプには“その先”がない。自分の学んできたことをどのように活かすかを学ぶ道がない。よって、職業選択の道に悔いを残し、少しずつ自分の人生に“負い目”が積み重なっていくー。

そうした自分の人生に対する“負い目”を感じずに生きていくには…。

いつか子供ができたとき、その負い目を子供に背負わせないためにはどうすればいいか…。

というお話が、先日の電話のメインテーマでした。

僕はその電話の最後にこう言いました。

「家庭教師でドンピシャの経験をしました。記事書きますので見ててください。」

そうして書かれたのこの記事です。
上述のトークテーマに対する僕の現時点での答えがこれです。

『負い目のない人間なんていないから、負い目を感じる必要はない。等身大の素直な自分を人にさらけ出せばいい』

失敗をたくさんするのが人間で、自分の人生に負い目のない人なんてこの世にいないはずです。その姿を隠すよりも、むしろその情けない姿をさらけ出した方が、愛されて信頼されるような人間関係を人と結べるのではないでしょうか。そして、自分の欠点を受け入れるからこそ、人の欠点も受け入れられる…。

また、ご家庭でそんな関係を結べたお子様は、クラスや部活でも同じように周囲とそうした関係を築くことができるでしょう。

そんな人間関係の中で部活/勉強も全力で取り組めば、自ずと努力も継続できるはず。それがテストの結果という形で反映されるなら、家庭教師の僕が、勉強を超えてお子様やご両親の人生に向き合う意味もあるのではないでしょうか。

他者とそんな関係に踏み出す1つの契機として、本記事で紹介した『人生自分語り』は本当に便利です。自信を持ってオススメできます。

この記事があなたが自分の人生に負い目を感じる必要はないということに気付き、少し楽に生きれる助けとなるのであればこれほど幸せなことはありません。

いいなと思ったら応援しよう!