この世から”参考書博士”を駆逐してやる
はじめに
「“参考書博士”ってご存知でしょうか?」
(質問者)ーーあ、覚えてます!大学受験で『色んな参考書や問題集に手を出して、何一つものにならない状態』を一言で皮肉ったものだった気がします。
「その通りです。大学受験だけではなく、実は中学時代からその芽はあちこちにまかれています。今日はこの話をしていきたいと思います。まずは、僕の受験の体験談と中学生の指導経験、そこから誰もが自分の中に持つ”参考書博士”を放置するとどうなるかを解説したいと思います。」
(質問者…以下略)ーー了解です。今日も語っちゃってください〜
本文
□僕の大学受験ー現役
「僕は高校3年生の頃、様々な参考書/問題集を買い込んでは何一つものにならずにすぐ別のものに浮気する…ということを繰り返していました。こうした付け焼き刃の知識で受験に挑みましたが、あっけなく跳ね返されてしまいました。」
ーーその気持ちは分かります。なんか不安になるんですよね。
「そうなんです。その問題集をやり切ったわけでもないのに『これで足りるのかなあ…』と言って他の頭の良い人が使っている“頭良さそうな”問題集に乗り換えたくなってしまうんです。隣の芝が実態よりも青く見えていましたね(笑)」
ーー予備校の講座などでも同じことが言えますよね。
「本当にその通りですね。僕自身はいわゆる“日東駒専”のレベルにも届いていないのに、河○塾や駿○予備校などの早慶コースの案内をぼんやりしなぎら眺めていました。自分の高校にも『あの先生の授業は…』と予備校講師の授業について評する人間が多かったですね。自分含めて、漏れなく第一志望には縁がありませんでした。」
□僕の受験生時代ー浪人編
ーー浪人中は『参考書博士』を卒業されたと思いますが、きっかけは何だったのでしょうか?
「同期で結果を出した人間を徹底的に分析したことです。自分の出身高校は偏差値50代で『受験は団体戦』と言い出すタイプの典型的な自称進学校でしたが、明治や青山学院に合格を決める方もいました(少なくとも自分の高校では明治や立教といった“GMARCH”に受かれば大成功と見なされました)。」
「その方たちに共通してたのは、参考書/問題集(以下参考書で統一)がボロボロだったこと。何周もして、電車や学校の休み時間などの隙間時間でも見ていたがゆえにそうなったとか。これを見た後に自宅の本棚を見てみたら情けなくなりましたね。英単語帳だけで3種類ありましたので(笑)」
ーーなるほど。自分も参考書を一冊に絞り使い倒そうとしたんですね。
「いや、厳密に言うとほとんど使いませんでした(笑)英単語帳や古文単語帳は流石に市販で自分に合ったものを一冊購入しましたが、それ以外は予備校のテキストと過去問だけしか使わなかったんです。」
ーーそれでも合格できたと。
「その通りです。英語のテキストは音読に使いすぎて糊付けが剥がれてしまいました。日本史のテキストは落丁しすぎて再発行になってしまったり(笑)」
ーー使い倒してますね(笑)
「ここでも興味深いことが起こりました。その予備校内で落ちた人の方が多くの参考書をこなしており、落ちた人の方が多くの授業を取っていたのです。逆に、僕のような受かった人は『え、そんな講座/参考書あったの!?』と驚くばかり。」
ーーそういうもんですよね。
「必要過多の情報で肥え太った脳味噌では通用しないんだなということがよく分かります。」
ーー自分の進む道に不安はありませんでしたか?例えば『この参考書やった方がいいんじゃ…』みたいな感じで。
「全く不安にはなりませんでした。というのも、志望校が求める学力の方向性と参考書や予備校を通じて到達できるレベルが必ずしも同じとは限らないんです。授業などで鍛えられるのは、基礎的な部分のみ。そこから先は自分で会得していくしかないんです。ここに身体で気がついたのは大きかったですね。」
ーー『志望校が求める学力の方向性』とはどのような意味でしょうか?
「英語で例えるのであれば、短時間で要旨を理解する力を求めているのか、一文を深く理解する力を求めているのかでこちらの打ち手も変わってきます。ところが、求める根本的な英語の理解は、大きくは変わっていません。それを問う方向性が変わっているだけ。その根本的な理解を深めるために必要な参考書や予備校の講座は、そう多くはないということです。その段階で色々な参考書に浮気していては、そりゃあ基礎力も身につかないよなあと。」
「野球のバッティングで例えてみましょう。スイングの型や基礎的な体力を鍛えるのに必要なのは、単調な練習を試合を想定して考えて行う継続力と思考力です。しかし、実際の試合では、投手はストレートと変化球を織り交ぜてこちらを打ち取ろうとしてきます。その応用の段階では自分で試行錯誤することが求められます。ここで、土台となる基礎練習で何一つやり切ることができずに、人の意見に流されて様々な練習メニューを試し、付け焼き刃でしかない能力しか持たない人が、試合での応用に挑んだらどうでしょうか?」
ーー特別なセンスを持っていない限り、結果を残せる確率は低いと思います。
「そうですよね。これととても似ています。基礎的な学力を鍛えるのに必要なものはそこまで多くはありません。それをいかに反復するか、いかに深くやるかということが1番大事。ここで色々な情報に流されても意味はないと。高校3年生の頃の自分はこれに気がついていなかったんですね。」
□自分の指導経験から
ーーこれが家庭教師の現場でも起こったということですか?
「そういうことです。僕に家庭教師を依頼するご家庭の多くに共通する要素として『机の上に使ってない参考書が積まれている』という特徴があります。さらに言ってしまうと、その参考書を買ってきたのはお子様ではなくご両親だったりします。」
ーーあ、これは…。
「そういうことです(笑)」
「少し詳しく話すと、家庭教師のご依頼をご家庭が出す時って多くの場合“最終手段”であることがほとんどなんです。具体的には、
市販の問題集を買おう!→効果なし
安価な通信教材を使おう!→効果なし
塾に入れよう!→効果なし
仕方ない!家にいる間少しでも勉強してもらおう!
家庭教師召喚
という流れです。」
ーー確かにこれはイメージしやすいですね。1番最初に『よーし!家庭教師雇うぞ!』となるのは少数派かなと感じます。
「そうですね。1番最初に家庭教師召喚の選択肢が来るとしたら、進学校を目指して最初からお子様のサポート体制を万全にしようとする場合がほとんどです。そして、たいていの場合、この過程で購入された参考書やら塾のテキストやらが机の上に積もり重なっているんです。捨てない理由は『教科書だけじゃ不安だから』『いつか使うかもしれないから』。」
ーーデジャヴですよね(笑)
「そうなんです(笑)そして、お子様が僕に『この問題集とかどうすればいいですか?』って聞いてくるんですよ。そして、僕は、
と、言うわけです。そして、”雑音”を無視してひたすら教科書の理解とワークの反復に努めていただきます。」
ーーそうすると、不思議なことになぜか成績が上がると。
「そうなんです。」
「しかし、手持ちの教科書やワークで勉強するのに不安を感じる方も多いと思います。そうしたお子様には分からない部分のみをYouTubeの授業動画で補足するという勉強法を提案していますね。現実問題、学校の先生の授業が理解できないという方もいらっしゃいますので。しかし、基本は教科書とワーク。そして学校の授業。ここの軸は絶対に動かしません。」
□“逃げ癖”が身についとる
ーーなぜ人は“参考書博士”になってしまうのでしょうか?『もう情報は揃ってる。というより、学校で配られている。後は実践で身につけるだけ』なのに、予備校や塾の授業、他の参考書の購入へと走ってしまう。
「『逃げ』という言葉で大半が片付いてしまうのではないかなと。逃げている対象は2つあり、1つ目は自身の非力、2つ目は自身の実力がさらされる機会です。
ーー詳しくお願いします。
「まず1つ目の『自身の非力からの逃げ』について。」
「大半の場合、本当に向き合うべきなのは、基礎もモノになってない自分自身であるはずです。それを自分の採用した情報や、ついていくと決めた人の問題にすり替えているわけです。『この参考書/先生の授業は分かりにくくて…』といった具合に。なぜこうなるかと言えば、メンタルの安定化を図れるからというのが大きいのではないかと思います。自分の学力が低い場合に、自分の努力ではなく相手のせいにすれば、自分が負う精神的な負担が軽くなりますから。一方で、他責思考的なスタンスであるが故に、結果が出る可能性は低いと言わざるをえないのではないでしょうか。」
「もう1つの『自身の実力が晒される機会からの逃げ』について。」
「これに関しては関連記事の投稿に説明を任せたいと思います。ぜひそちらの記事をご覧ください」
□情報氾濫社会という現代の姿を踏まえて
「少し話が逸れます。大前提として、勉強で覚えたことって実生活じゃ役に立っているようには思えないじゃないですか。僕、日常生活で『そういえば平行四辺形ってどうやって求めるんだっけ?』って考えたことはありません(笑)」
ーー知識それ自体は役に立たないという印象があります。
「そうですよね。しかし、『それ自体を放置してもたかがテストの点数で良い点が取れないくらいのデメリットでしかないが、その背景にある思考癖は放置したらまずいぜ?』と言いたくなる習慣もあるわけです。」
ーー例えば、宿題を先延ばしにする癖を身につけてしまい、それを放置してしまえば他の面で悪影響が出そうですよね。
「そういうイメージです。そんな中、現代が情報の氾濫するインターネット社会であるということを踏まえて、僕はこの”参考書博士”という思考癖を放置するのは最も回避するべきことであると考えています。」
ーーと、言うと?
「今や世の中はモノと情報で溢れかえっています。書店に行けば所狭しと参考書が並び、SNSを開けば著名人が自身の書いた参考書やオススメの参考書を発信しています。さらにスマホを開けば絶えずLINEなどを通じ人と常に繋がっている状態です。」
「こんな状況で様々な参考書をこなし、様々な先生の授業を受け、空いた時間でスマホを通じて友人とメッセージのやり取りをしていたらどうなるでしょうか?頭がパンクするに決まっています。この努力が行き着く先はただ1つ。『なんか色々やったけど、何1つモノになりませんでした』という虚無感です。このような現代の姿を踏まえたときに、”参考書博士”を卒業できないと大袈裟ではなく人生が崩壊するという自分の主張はあながち間違いではないと思えるのです。」
ーーそこがインターネットが今ほど普及していなかった世代とは違うと。
「その頃なら卒業できなくてもよかったのかもしれないですね。書店に行っても参考書のレパートリーがそこまで多くなかったり、仮に自分を惑わす情報があったとしても、スマホを通じてそれが目の前に流れて来なければ情報がそこにないのと実質的に変わりません。」
「ところが、YouTubeやTikTokで所狭しと情報が発信されている現代では、かつては流れて来なかったであろう情報が嫌でも目に入ってきます。そして教科書やワークの反復に疲れた中高の学生の方々は『こっちの方がいいかも…』と思ってしまうんです。」
「もちろん、その選択が自分を正しい道に導いてくれる可能性はありますよ。ただ、どんな道に行こうと徹底的な反復練習は不可避です。この原則を忘れて『これなら大丈夫かも…』と選んだ道が成功に通じているとは言えないのではないかと思っています。」
「勘違いしていただきたくないのは、昔も”参考書博士”はいたんですよ。ただ、現代の方がそういった情報に飲まれやすくなっているよね…という話です。」
「だから、僕は原点に帰り『教科書!ワーク!こんだけ!』って言っているんですよ。」
□誰の心にも参考書博士は棲みついている
「自分の中に誰もが飼い慣らす“参考書博士”、言い換えれば『非力な自分と実力を晒される機会から逃げる自分』を肥え太らせると、本当にろくなことが起こりません。これは勉強に留まった話ではないんです。
参考書はたくさん知っているし勉強法もたくさん知っているのに、成績が上がらない受験生
YouTubeでプロスポーツ選手の発信を見て色々なメニューを試すが、全て付け焼き刃で終わり試合でも結果を残せない体育会系のプレイヤー
恋愛系YouTuberの発信や恋愛指南本で恋愛心理学を学んで豊富な知識を携えた、彼女のいない非モテ男
ビジネス書たくさん読んでて勉強はしてるが、行動に移さず営業実績は対して良くないビジネスマン
ライティングの講座や書籍を購入し知識はあるが、記事はあまり書いたことのないブロガー
筋トレのメニューに関する知識や栄養に関する知識はあるのに、ジムにはそんなに行かないなんちゃってトレーニー
あなたの周りにも、こんな人いませんか?」
ーーうわ、めっちゃいます(笑)
「そうなんですよ。勉強に限った話ではないんです。前述の通り情報が氾濫する中でこれらの傾向が加速しています。油断しているとすぐに取り込まれてしまうので、僕は『“参考書博士”を頭の中に放置して、情報で肥え太った脳ミソを持て余すのはやめといた方が良いぞ!!』とこうして発信しているわけです。」
「あえて断言しましょう。中学生の学力向上に必要なのは教科書とワーク。そしてその理解のために授業を集中して受けることと学んだことの徹底的な反復。後はテストという形で実力を晒され、それを何度も繰り返して定着を図る。これ以外の市販の参考書などは補足に過ぎません。この流れは勉強に限った話ではなく、他の分野でも全て同じです。」
おわりに
□まとめ
ーー長々と話しましたね。まとめましょうか。
「今年の夏に屋台でアイスを食べた時にふと思ったことがあります。最後はその話で締めさせてください。」
「アイスの選択肢がチョコとバニラとミックスだけなら悩みは少ないと思います。しかし、現代に生きる人々はサーティーワンアイスクリームで商品棚に並ぶ大量のアイスから1つを選ばなければなりません。友人の食べるホッピングシャワーを見たら、自分の食べている抹茶味が何となくしょぼく見えてしまうかもしれませんが、そんな時こそ、ブレずに自分の道を行きましょう。」
ーー本題から逸れている気がしないでもないですが、言いたいことは分かりました(笑)
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