勝つ家庭の雰囲気【後編】
はじめに
前回の続きです。
まだ読んでない方はこちらから読んでいただければと思います。
本文
□周囲の人への共有
「前回の話で学んだことを、早稲田の同期や国立大を卒業した知人などの様々な方へ共有していた時のことです。この話に特に強い共感を示してくれたのは、僕の周りにいる東大生や、東大や京大、一橋などの難関大学に肉迫する成績を叩き出して“滑り止めとして早稲田に来た”方でした。その共感の内容は以下の通りです。
自分の兄は東大出身だがいつもリビングで勉強していた。
自分は部活前の朝の時間に勉強してた。その時間は親がテレビを消してくれた。
冷蔵庫に英文法のルールを書いた紙を貼って毎日見てた。
などなど、生活と何かを学ぶことが一体となっていることを匂わせるお話をたくさん伺うことができました。」
ーーこれは興味深いですね。ただ、全員ではありませんよね?
「その通りです。早大生の知り合いは『俺は偏差値40から始めたから家庭で勉強するとかなかったな〜』『勉強は塾でやって、家ではスマホばっかいじってたわ』と言っていた方がほとんどでした。『リビングで勉強すること』はあくまでサンプルAに過ぎず、もう少し深堀りしなければならないと感じました。」
ーー考えられるこの後の打ち手としては、自分の話に強い共感を示してくれた人たちと、そうではなかった人たちを分類し各グループの共通点を探りに行く…とかですか?
「正解です。すると、面白い共通点が浮かび上がってきました。」
□国立と私立の対比
「その共通点とは、自分のこの話に強い共感を示した大半が、国立大学の受験者を家族に持つ人、あるいは本人であったということです。」
ーー逆に私立大学のみを受験される方からは多くの共感は得られなかったと。
「その通りです。僕は国立大学と私立大学の受験形態の違いに、その理由を見出しました。」
「まず、国立大学の受験は旧センター試験、現共通テストで文・理系科目を両方とも受験し、2次試験でもさらに難易度が上がった試験を受けることがほとんど。例えば東大ならば、理系の受験では1次か2次を問わず国語を受験し、文系の受験でも1次2次共通して数学の受験を求められます。また、試験の形式も論述である場合がほとんどです。科目によっては400字以上の論述を求めてきます。」
「これに対して、私立大学は3科目での受験です。文系受験だと、一部の数学受験者を除き英語と国語、社会科目から1つで闘えることがほとんどです(だからといって簡単というわけではありません)。また、試験の形式はマークシートがほとんどで、レベルが高くなるにつれて論述を求める傾向があります。早稲田の政治経済学部や法学部などですね。」
ーーまとめるとこのような感じでしょうか?
「その通りです。ここで国公立大の受験を見てみれば、これを経験した方が僕の提唱するリビング勉強へ強く共感した数が多かった理由が分かるのではないかと。」
ーー詳しくお願いします。
「国立大学の受験における科目の対応範囲の広さは私立大学のそれの比ではありません。加えて、論述を通じて暗記したことを答案の上に表現しなければなりません。この対応範囲の広さと求められる表現力のレベルは、高校生になってから勉強を始めたとて、補える確率は低いと言わざるをえません。日常の中でどれだけ物事を深く考え、それを他者との対話を通じてさらに深化させていっているか…ということが求められます。」
ーー学力の向上というよりは、日常の中で深めた思考力が結果として学力に反映されている…という印象があります。
「家庭に学習環境そのものが根付かせようとする僕の話に共感いただける割合が、国立大の受験を経験されている方の方が多かった理由がこれなのではないかと。」
ーーなるほど。1つの側面として、あり得そうな話です。
「リビングに本棚があるとか日常会話に問いかけが多い…といった具体例よりも、こちらを見るべきではないかと思うのです。」
ーー1年で東大を目指す“ドラゴン桜”は、リアルでは起こらないということですね。
「可能性としては低いということですね。絶対ないとは言いませんが、あくまで一つのエンタメとして見るべきであり、受験のロールモデルとして見るのはあまりに危険すぎます。」
ーー自分の受験時代を振り返っても東大や京大を目指される方はそもそも考え方が違うなという印象を持ったことがあります。
「同感です。勉強が深く生活習慣に根付いていないとできない答案の書き方に圧倒された記憶があります。こうした差を“地頭”という言葉で簡単に片付けるのはあまりに短絡的です。」
ーーその通りですね。才能という言葉は便利ですが、こうした生活習慣の積み重ねは僕らでもマネできるものばかり。そこを盗まずに『アイツらは地頭がいい』と語るのは短絡的と言えると思います。
「ここで一旦、まとめます。」
「求められる範囲の広さと試験で求められる能力が習慣の上に成り立つものであるがゆえに、付け焼き刃の対策では歯が立たない。よって、生活に立脚した学習習慣が必要であり、一部の例外除いて国立受験で結果を残した方や合格に迫った方は、日常生活に的確に勉強を組み込んでいた。それが僕の語るリビング勉強への共感として現れたー。」
ーー1つの仮説として、説得力はありますね。
□私立大学受験の家庭の空気感
ーー私立大学はどうでしょうか?
「3科目受験がほとんどであることと、そのほとんどがマークシート形式の問題であることから、国立大学ほどの表現力は求められません。要領良くできる方なら、短期での爆発的な努力によって実力を錬成するのは十分に可能です。」
「そのため、少なくとも自分の観測範囲では、私立大学受験で結果を残された方には次の要素のいずれか、あるいは全てを持っていると考えています。
中学受験や高校受験で結果を残しており、自分がどう努力すれば学力が上がるかを身体で理解している。
部活で結果を残しており、自分はやればできるという自己評価を備えている。それゆえに結果が出るまで努力を継続できる。また、自分なりに結果が出るメンタルや努力の仕方を体得している。
その大学を目指す強い原体験がある
元々本を読む習慣などがあり、勉強に対して苦手意識を持っていない。むしろ自分の人生に必要なことであると理解している。
こうした要素が組み合わさり、短期間で偏差値を上げられた方が多いなあという印象です。」
「特に、自分は早稲田大学に在籍していたので、日本一の学園祭と言われる早稲田祭や、僕のかつて在籍した応援部も活躍する早慶戦などを見て、受験勉強に火がついた…という方が周りに多くいました。こういう経緯を経て早稲田に来た方が多いなあという印象ですね。」
「こうした道を歩んで学力を上げる方の多くが通る道をパターン化してみました。例外が多々あるでしょうが、1つのパターンとして見てみてください。」
【パターン1】
中高時代に元々勉強はできた
高校などでなんで勉強するのか分からなくなってしばらく遊んだ
優れた師との出会いや大学に触れる機会を通じて勉強に気持ちが向いた
目的意識を持って勉強
合格
【パターン2】
勉強はできないがスポーツは得意。部活で優れた結果を出した。
しかし、スポーツでこの先戦うビジョンを描けなかったり、怪我で練習ができなかったりで、引退を決意した。
ここで意識が勉強に向いた。
元から結果を出すのに求められるメンタルや継続力は部活を通じて育てていたので、それがこの段階で花開いた。
合格
ーーなるほど。このような特徴を備えた方が短期的に予備校に通って自習室で“缶詰め”になれば、確かに日常生活に勉強が組み込まれているかどうかとは関係ない軸で結果が出る気がします。
「その通りです。残念ながら、ただ『早稲田に行きたい!』という情熱だけで結果が残るほど甘くはありません。ずっと勉強もしてなくて、スポーツもあまりしていない…そういう方が目が覚めたように勉強して早慶で戦えるような成長を見せる…といったことは、残念ながら中々起こらないのです。もちろん例外はありますが、家庭教師を仕事にしている僕がその例外を採用するわけにはいきません。エンタメとして楽しむに留めるのが適切でしょう。」
□やはり根本は家庭環境
「私立大学受験の方も国立大学の受験の方も共通していることがあります。それは、受験を支えたのは自分で選んだ道を自分で駆け抜けるという強い当事者意識とその努力を継続する力です。」
ーーやはり中高までに努力の継続の大切さを実践の中で体得しているか否かは大きな影響がありますね。
「そうなんです。国立受験だろうが私立受験だろうが『自分はこうすればある程度の結果を出せる』という自己評価を無意識でしていることは重要なことです。」
「そして、その自己評価を形成するには、何かに挑戦して努力を継続する必要があります。そして挫折も同じく経験し、違うフィールドでさらに挑戦を重ねていく意志の強さも必要です。」
ーー話が見えました。その力の原点はどこかといえば『家庭』にあるということですね?
「そういうことです。勉強が得意とか地頭が良いとかそれ以上に、『お子様が自分の意志で自分の人生を切り開く力を持っているか』が本当に大事になってくるんです。その力を育てるのはご両親だというわけです。」
ーー以前大久保さんは『中高で勉強に関して結果は残せなかったが、勉強は好きだった』と言っていました。
「そうなんです。こうした家庭環境の研究の中で僕が真っ先に思い浮かべたのはやはり母の姿です。僕に『勉強しろ』と言うわけでもなく、淡々とベッドの上で小説を読んでいました。その姿を見た僕は、自然と勉強に気持ちが向くようになりました。」
ーー受験結果はともかくとして、勉強自体は好きだったと。
「何かを学ぶことがシンプルに好きだったんですよね。読んだ本について母とディスカッションを重ねたこともあります。母も僕が話す本を読んでくれたりもしましたね。」
「しかし、中高の頃は正しいノウハウで勉強できていなかったんです。身の丈に合わない参考書をこなしたり、自分にはレベルの高すぎる授業を受けてしまったり。」
ーーこれが浪人時代に変わったと。
「その通りです。」
ーー他の方と比べると、やはりこうした学習習慣の積み重ねは大きいと感じましたか?
「もちろんです。自分と同じ講座を受けていて、自分と同じだけの勉強時間を積み重ねているのに、結果が出ない方が大勢いました。これを”地頭”や”質の伴う努力をしているか”といった先天的な才能や努力論に安易に結びつけるのは違うのかなと。」
「また、早稲田の過去問を解いた時、教育学部や人間科学部は『頑張れば行ける』と思ったんです。マークシート方式で、問題文の抽象度もそこまで高くない…。しかし、論述のある法学部や政治経済学部の問題は『無理だろ』と感じましたね。初見では2割しか解けませんでした(笑)」
ーー根本的な“差”を感じたということですね。
「その通りです。その後努力を重ね、結局政治経済学部に合格しました。僕が合格した理由は間違いなく死に物狂いで積み重ねた努力です。しかし、それよりも大きな理由が“母の姿”だったのではないかと。自分を勉強云々以前に“何かを学ぶこと”を好きにさせてくれたあの姿なくして、自分は早稲田に学力を届かせられなかったのではないかと今は思います。」
「僕の話はさておき、こうした“土台”を抜きにして『子供のために』と塾に行かせたり、習い事をさせたり、幼少期から英会話を習わせたり…といったことをしても、うまくいく確率は低いと言わざるをえませんよね。」
ーーその通りですね。それに関しては完全に納得です。
□リビングで勉強したから学力が向上するというわけではない
ーーかなり本質的な話でしたが、伝え方を間違えると『リビングで勉強しよう!そしたら子供の学力が向上するぞ!』という解釈になってしまうかと。
「本当にその通りですよね。あくまで根本にあり、土台となるのは、ご両親がお子様の人生をどう捉え、お子様がご自分の人生を自分の意志で切り拓くにはどのような環境が必要かを考えているか…ということです。」
「こうした根っこの部分があってこそ、前編でお話したようなリビングでの勉強やご家庭で交わされる会話に、その想いが現れてくる…という話です。」
ーー理想的である一方で、中々分かりにくい話だと思います。
「まさしくその通りです。だから具体的な目に見える“行動”の方に注目し、『東大生の家のリビングには本棚があるのか!』みたいな方向に行ってしまう…。そして『東大生の家庭環境の特徴10選』のような動画や本に飛びつき、その特徴を家庭に輸入しようとするわけです。」
ーーうまくいく確率は低いだろうなと感じます。
「そうですよね。前述の通り、恋愛経験のない男がモテる表面的な行動に憧れてマネしているようなものです。『確かにやってることは同じかもしれないけどさ…』という話になってしまう。見るべきはその行動を生み出した背景の部分であるはずですが、これは目に見えない抽象的なものであるがゆえに分かりづらい…」
ーーこうした目に見えない想いの部分にアプローチするのは中々難しいですよね。
「そうなんです。だからこそ、家庭に入ることができるという“特権”を持つ家庭教師がこうした家庭環境を作るサポートをしたいと思っているんです。僕の仕事はここまでやって完遂ですね。これを一言で表すと、色々なところで言っている『家庭教師の仕事は家庭教師の不要な家庭を作ること』となるわけです。」
ーー納得しました。
おわりに
□「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」
かつて慶應義塾大学の塾長であった小泉信三さんの言葉です。
同時に、僕の座右の銘でもあります。
本記事の内容に当てはめるのならば、「明日からマネできる東大生の家庭の家庭環境!」という内容を表面的に解釈して真似しようとすることは、すぐに役立つと見せかけてすぐに役に立たなくなると言えるのではないでしょうか。
本当に大切なのは表面的な家庭の学習環境、塾に行かせるといったご家族の行動ではなく、そこに至る目に見えない(だが見えている人には必ず見える)想いにあるはずです。しかし、受験やお子様の将来などの膨大な考え事がノイズとなり、それを考えるのを邪魔されているご家庭も多いということを、家庭教師としての経験から僕は知りました。本記事は、そんな方々に生意気承知で「すぐには役に立たないけど、一生役に立つこと」を伝えることを意図して作られました。
少しでも、何かを伝えられたなら幸いです。
□ここまでお読みいただいた読者の皆様へ
長々とした文章にお付き合いいただきありがとうございました。本当はPV重視で『東大生の家には○○がある!』という内容の記事を書こうとしましたし、実際に下書きにも残しました。
しかし、そうした記事や動画はもう世の中に出回っています。自分はまだ人の見ぬ文章を書きたいと強く想い、大幅に下書きの文章を書き直し、可能な限り読みやすくするために取材形式として、この長い長い記事が完成しました。最後までお読みいただいたことを本当に嬉しく思います。
この文章を読んだ方が『学力の高い子供を育てる家庭環境』ではなく『自分で自分の人生を自分の意思で切り拓ける子供を育てる家庭環境』を構築されるのに、自分の記事が少しでも役に立てるのであれば、これほど嬉しいことはありません。
ありがとうございました。