見出し画像

僕とコーヒー(改訂版)

朝散歩から帰宅すると、まず手が伸びるのはコーヒーメーカーだ。豆を挽く機械音とともに立ち上る香ばしい香り。それが僕の朝の儀式だ。なぜ僕はこんなにもコーヒーを愛してやまないのだろう?今日はふと、そんな問いが頭をよぎった。

単純に、コーヒーの味や香りが好きだから──という答えだけでは、この深い愛着を説明しきれない気がする。渋み、苦味、わずかな甘み。その複雑な味わいが舌を刺激し、香りが鼻腔をくすぐる。でも、それ以上に、僕にとってコーヒーは「時間そのもの」を象徴する存在なのだ。

コーヒーを飲む瞬間には、日常のざわめきから一歩距離を置ける不思議な力がある。朝のコーヒーは、これから始まる一日の予感を漂わせる「準備の時間」。夜に飲む一杯は、今日という日を振り返る「反省の時間」。特別な何かをしているわけではないのに、カップを手にすると心が落ち着き、言葉にはできない感情が湧き上がってくる。

それだけではない。コーヒーには、ささやかな「健康の味方」でもある一面があるらしい。1日1杯か2杯でがん予防の効果があるという話を聞いた時、僕は「こんなに美味しいもので健康になれるなんて!」と笑ってしまった。もちろん、それだけで健康を維持できるわけではないけれど、コーヒーを口に運ぶたび、そんな小さな喜びが広がる。

さらに思い返せば、コーヒーは僕の人生のいくつかの場面を彩ってきた。友人と深夜まで語り合ったあの喫茶店の一杯、旅先のカフェで出会った特別なブレンド、仕事で煮詰まった時に救われた一杯。どれもコーヒーがあったからこそ、特別な記憶として心に刻まれている。

こうして振り返ってみると、コーヒーは単なる嗜好品ではなく、僕の生活や感情の一部となっていることに気づく。カップに注がれるのは、単に液体ではなく、僕自身の時間や気持ち、そしてその先に広がる物語なのだろう。

これからも僕のそばには、きっとコーヒーがある。挽きたての豆の香りとともに、僕の人生の節目を見守り続けてくれるだろう。そのことに、改めて感謝しながら、今朝もまたカップを手に取る。

いいなと思ったら応援しよう!