工場建設の誕生
我が国において工場建築は近代社会とともに誕生しました。幕末・明治初期に政府に雇われた外国人建築家とその指導を受けた日本人によって建築されたのがはじまりです。現在、ニーズや効率などを考えて、より使い勝手のいい工場が建設され、技術も進歩していますが、誕生はどのようなものだったのでしょうか。まず、初期のものとしては、幕末の長崎溶鉄所(1857年着工)があげられます。
長崎溶鉄所
長崎溶鉄所は我が国において最初の本格的な工場建築で、石造り及び煉瓦造りを主体として構成されていたといわれています。(完成時、長崎製鉄所と改名)。創立当初、鍛冶場、工作場、鎔鉄場、倉庫などがあったといいます。小馬力でありながらも蒸気ハンマーなどを備え、一連の工作機械体系をもっていました。
現在、保存されている赤レンガの建物は、国から三菱社に払い下げられて、三菱長崎造船所になり、三菱造船所併設の鋳物工場の木型工場として建設(1898年)されたものですが、造船所の前身である長崎溶鉄所の建設着工から現在までの貴重な資料が展示されています。
横須賀製鉄所
次に登場した大規模な工場建設としては、横須賀製鉄所があげられます。1864年に決定し、フランスのヴェルニーを招いて建てられた横須賀製鉄所は、「製鉄」をする場所ではなく、造船と修理、造船と修理、機械製造などを行う総合的な工場でした。錬鉄・製缶・鋳造・製網などの工場をはじめ、学校・事務所・官舎などがあったと言われています。
建設したヴェルニーは明治政府に職務報告で「建設するためのれんが・モルタルの技法がなく、れんがと木材を合わせて用いた(木骨れんが造建築という)と述べています。工場にはスチームハンマー、ガントリークレーンなどを備えた先進技術を取り入れていました。
横須賀製鉄所は写真だけで、現存していません。
その技術を今日みることができるのは、次の富岡製紙工業です。
富岡製糸場
1871年に着工された明治政府の経営するこの建築は繰糸所および東・西棟の繭倉庫などが原形をとどめています。
富岡製糸場の国宝である東置繭所は、2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場の長さ104メートルの倉庫です。木骨煉瓦造の建物で、アーチ中央には創業年が刻まれいます。(写真)
国宝の繰糸所は、長さ140メートルの大きな工場で、フランスから導入した繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の工場でした。小屋組みにトラス構造(三角形を基本単位としてその集合体で構成する形式)を用いることで建物の中央に柱のない大空間を設けることができました。
工場は実際、建物の中で作業をするものですから、古くから大きな機械をいれることができる空間を確保できる構造など、使い勝手がいい形がもとめられてきたと言えますね。
今、注目されている大空間の工場
日本における工場のはじまりをみてきました。
その後、工場はいろいろな技術がとりいれられ、明治から大正、昭和、平成、令和になり、工場はそのニーズにこたえて様々なものが誕生しました。
現在、注目されているシステム建築(yess建築)は、強くて軽いテーパーフレームの鉄骨構造で最大無柱スパン60メートル。大空間を可能にしました。(中間柱有りで最大120メートルの大空間を実現)
大空間は自由なレイアウト変更、荷物の運搬をラクにし、ヒヤリハットを減らすことで定評があります。
システム建築は、工場がより使い勝手がいい形を時代とともに開発された工法といえそうです。
【参考】
「史料館」にみる産業遺産 三菱重工長崎造船所のすべて(長崎文献社編)特別展示解説書13
横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念展「すべては製鉄所から始まった」「近代日本のルーツ 横須賀製鉄所」パンフレット
ヴェルニー記念館パンフレット
富岡製糸場パンフレット