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エッセイ:5日目 - 「海と牛とポエム」
朝、昨日と同じ海沿いの道を通ろうと決めた。車の窓を少し開けると、潮の匂いがふわりと入り込んできて、まるで「おかえり」と言われているような気分になる。昨日見た老人のことを思い出しながら、どこかでまた会えるんじゃないかと期待していた。だけど、代わりに出会ったのは…牛だった。
そう、牛だ。道路脇の草むらに、普通に一頭の黒毛の牛がいた。あまりにも自然にそこにいるので、一瞬、自分の目を疑った。目が合ったとき、牛が「何か文句ある?」と言いたげな顔をしてきて、思わず「いや、すみません」と心の中で謝る。この道沿いに牧場があるのは知っていたが、牛がフリーダムに道端でくつろいでいるのは予想外だった。
そのまま車を進めると、さらに笑える出来事が。次の信号の手前で、また別の牛が2頭。しかも、今度は道路のど真ん中で悠然と歩いている。前の車が止まって、運転手が困ったようにクラクションを鳴らすが、牛たちは全く動じない。むしろ「今日は俺たちが主役だ」とでも言いたげな堂々たる態度だ。信号が青に変わるのを見届けると、ようやく道を譲るように歩き出す。いや、あんたらのペースに付き合ってたら遅刻するんだよ! と思いつつも、どこか沖縄らしいのんびり感に笑いがこみ上げる。
その後、会社に向かう途中でラジオをつけると、地元のDJが「今日の朝、糸満市で道路に牛が出没しました!」と興奮気味に話していた。いや、それさっき自分が遭遇したやつだ。そんな珍事がニュースになる沖縄の平和さに、またほっこりしてしまう。ラジオのDJは「それにしても、牛はどこに向かっていたのでしょうか? 詩的な話ですね」と締めくくった。詩的って何だよ、とツッコミを入れながら、思わず笑ってしまう。
昼休みにその話を同僚にすると、「それは新しい観光スポットかもよ」と冗談を飛ばされた。牛を見るだけの観光地、案外ウケるのかもしれない。でも、牛たちの堂々とした姿を思い出すと、ただの珍事ではなく、どこかメッセージ性すら感じる。自然が主役の場所では、人間がそのテンポに合わせるしかない。そう思うと、あの牛たちの悠々とした歩みも、人生のヒントのように思えてくるから不思議だ。
帰り道、また同じ海沿いを通ったが、朝の牛たちはどこにもいなかった。代わりに、昨日の老人がベンチに座っていた。帽子を深くかぶり、またじっと海を見つめている。その姿を見て、朝の牛たちのエピソードを教えたくなったが、それを話したらこの静けさが台無しになりそうな気がしたので、何も言わずに通り過ぎた。
家に帰って妻に牛の話をすると、「その牛、実は地元のスターだったりしてね」と言われた。いや、本当にその可能性も否定できない。沖縄では何がスターになってもおかしくない。
明日はまた、何が待っているだろうか。牛でも老人でも、あるいは全く別の何かでもいい。海沿いの道は毎日違う顔を見せてくれる。その変化が、この日常を特別なものにしてくれている気がする。
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