第二章の5. 崖っぷちの反乱
快傑の本意は、表立ってMを手伝いたかった。
しかし、出来ない事情があった。
最初にMが理事会で話をした時、補足のつもりで口を挟んだら、元横綱の他の理事から「黙れ」という合図を送られたことがある。
「理事会で意見を言うのは、元横綱だけ」という暗黙の了解、である。
そんな暗黙の了解がどうのこうの言う前に、もっとMさんの仕事を分担したらどうなんだ、と快傑は思ったが何とか堪えた。
問題の大きさが大きさだけに、自分が出しゃばるまでもなく、遅かれ早かれ皆も気づくだろう。
今回の案件は、法律顧問達と文科省にも相談に行っているというから、何らかの道筋は出来るに違いない、と自分をなだめる為にも、いいように考えようとしたのだ。
しかし、何度と無く「新制度移行について」の会議が行われる度、Mと顧問達が作った叩き台は「変わりたくない」と愚図る者達に、白紙撤回させられた。
しかも彼らは仮にも理事長であるMが持ってきた提案を、まるで御用聞きを門前払いするかのように突き返し、どうすればいいかの建設的な意見や妥協案を出すわけでもない。
兎にも角にも、今ある利権を何一つ失うことなく公益財団法人になれるような提案をしてくれ。
それが角界全体の総意だと言わんばかりの態度だったのだ。
そんな無茶な要望を持つ者達と、会議になるはずがない。
結論の出ない会議は、毎回またMと顧問達に丸投げされる形で終わっていた。
この期に及んで当事者意識も危機感もない理事や幹部たちの姿に、快傑は呆然とする。
本当にこの人(理事)たちは、この事態が理解出来ていないのか。
新制度の認可を受けられるような、新しい定款やルールを協会内で作って5年位内に申請しないと、そして認可されなければ今の財団法人で居ることすら難しくなる。それすら解らないのか。
快傑は苛立ちと、もどかしさで年甲斐もなく声を荒げそうになるのを、必死で抑えていた。
若い頃は、角界の掟やしきたり全てに反発した快傑ではあったが、引退し理事となった今では、全てを否定しているわけではない。
快傑なりに角界に対する愛情も持ち、角界の絆として是々非々で認めている部分もあった。
しかし、何一つ変えること無く新制度の認可を得られるはずが無いことも解っていた。
弟子たちの将来や、相撲を伝統として残すためにも、今は目先の保身や、変わりたくないなどと我儘を言っている場合ではない。
角界はあくまで社会の中の一部であって、治外法権ではないのだ。
ここ何年も続いた不祥事の対応で、散々痛い目にあったはずではなかったのか。
快傑の心配は、相撲に関わる人すべての心配だった。
高齢化する相撲ファンへの将来の対策と称して北の波が推進してきたファン拡大路線は、若貴ブームが去ったダメージが大きかっただけでなく、特に女性が嫌う「暴力や犯罪を匂わせる不祥事(疑惑含む)」の影響で、あからさまに翳りが出ていた。
それだけでなく、固定客とも言える年配の相撲ファンからも「見ていて面白くない」という声が、快傑の耳には入っていた。
その一番の要因が、日本人横綱の不在だった。
昔もハワイなどの外国人力士居るには居たが、大きな外国人力士と小さな日本人力士との対比、という構図あってこその醍醐味だったはずだ。
それが今ではどうだ。
「日本の国技、大相撲」の看板を掲げながら、この時期に横綱として土俵に立って居たのは、モンゴル出身の白旺ひとり。
「あくまでも日本の国技として、日本人力士を育てるのも部屋の使命だ」と協会も苦言を呈したが、最初から体も大きく、格闘技経験がある外国人力士はそのパワーだけで、給料の取れる十両くらいまですぐ駆け上がる。
部屋を運営する親方衆にすれば、てっとり早く稼ぎを出してくれる即戦力なのだ。
だから協会も「部屋に外国人力士は一人」などの規制で対抗してきたが、親方衆の本音は外国人力士や学生相撲チャンピオンなどの即戦力をスカウトしたいのがミエミエだった。
しかも必ず出て来るのがこの言い訳だ。
「今どきの日本の若い子は根性が無くて、相撲部屋の厳しさに絶えられない」
快傑は、必ずしもそればかりではない、と考えていた。
稽古の厳しさや体力的な問題は確かにあるだろう。
しかし、今の日本の子どもたちが耐えられないのは、自分が入門した頃に感じていた理不尽なのではないか、と。
戦後生まれの自分ですら違和感を覚えた「角界の悪しき慣習」を平成の子供たちが受け入れられないのは当然ではないのか?
相撲部屋という、生活と密着した封建制の中で「可愛がり」と称して行われる、理不尽な暴力行為。
悪いことを悪いとして指導するのではなく、部屋・協会が一体となって身内を庇い倒す隠蔽体質。
そして江戸時代から脈々と続く興行団体としての、表裏を問わない権力との行き過ぎた接近。
いくら快傑が率先して、自分の部屋から悪しき慣習を無くそうと努力しても、やはり無理があった。
「快傑のように悪しき慣習を拒もう」とする若い親方が居たとしても、大多数の部屋で今まで通りの行いがまかり通っている現状では、多勢に無勢。一門からの強い圧力で従わざるを得ない状況もあった。
それが証拠に、角界の噂話とは疎遠な快傑の耳にさえ、記者や支援者たちからの話が聞こえてきていた。
やれ、どこかの部屋で暴力事件があった、酒でのトラブルがあった、被害を受けた女性からクレームが入った。
そしてそれを記者が追っかけ始めたら、協会から締め出しにあったとか、いつまにかもみ消されていたとか。
新弟子リンチ死事件があり、大麻疑惑があり、角界に疑いの目が向けられ、客足も遠のき始めている。
この崖っぷちの状況だからこそ、強制力のある「公益財団法人への移行」という、大きな枠組みの変化に乗って、角界の体質そのものを変えなる気にならなければ、世間と角界の乖離を埋めるチャンスは二度と来ないかも知れない。
居ても立っても居られなくなった快傑は、余計なお世話は承知の上でMと密かに連絡を取った。