第二章の2. 83年積み上げられた公益への壁
「貴の乱」のショックと、協会や北の波への不信に苛まれつつも、六角は皆と同じように声をあげて協会を糾弾する気にはなれなかった。
なぜなら、今回の騙し討ちのような「貴の乱」が成功した原因は自分たちにもある、と六角は感じていたからだ。
協会の表向きの仕事しか知らない者たちと違い、自分は「新弟子リンチ事件」のマスコミ対応をサポートする際、思い知らされた経験がある。
角界しか知らない人間は、情報戦では外に太刀打ち出来ないということを。
しかも、自分は皆を率いて革命を起こすとか、策略を巡らせて立ち働く、といった器ではない。
相手は北の波であり、貴乃桜だ。
どう考えても自分たちとは格の違う相手である。
そういう格上の者に仕えて奉公することで、なんとか今の地位を確立してきた六角にとって、腸が煮えくり返るからといって、今在る物すら失いかねない闘いを挑む気には、とうていなれなかった。
六角は忸怩たる思いを抱えながら、目の前の仕事に向き合うしか術が無かったのだ。
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六角が半ば強制のように手伝うことを義務付けられた「新制度申請チーム」とは一体何だったのか。
その仕事は、角界の仕組みを一から作り変える程の規模と破壊力を持ちながらも、当事者たちの無知と無関心が原因で難航し続けていた仕事だった。
「貴の乱」で後に相撲協会を混乱に落とし入れる、改革の種が撒かれたのは2008年12月1日。
公益法人制度改革「改革三法」の公布・施行である。
この制度の概略だけをおさらいすると、日本の第一政党である国民共和党が2000年から推し進めた「行政改革大綱」の中のひとつの政策である。
「行政改革大綱」は読んで字のごとく「今まで長年当たり前にされてきたものを、今の時代に合わせて見直しましょう」というのが表向きの理屈。
本当の狙いは「行政や公的サービスを出来るだけ民間に移すことで、そこから新たな税収を確保」すること。
その中の肝入の政策が「公益法人制度改革」だったのだが、これはある財団法人で起きた汚職事件が「税を優遇される立場の社団・財団法人が補助金横領や裏金の隠れ蓑にされている」ことを世間に知らしめる結果となったことで、一躍注目を集めた。
毎月の僅かな給料から強制的に税金を天引きされている市民と違い、全国に2万4000(当時)もの税制優遇団体が税金を優遇されているばかりではなく、実体を精査されることも無く100年以上に渡って放置されていた、となれば「行政の怠慢」として批判されるのは必須の出来事だった。
そこで、財団法人(当時)相撲協会も蚊帳の外では居られなくなったのである。
相撲協会が財団法人に認定されたのは1925年。
昭和より前の元号、大正14年のことだから当然、どうやって認定を受けたか、なんてノウハウを知っている者は居ない。
そればかりか、相撲協会には財団法人認定を受ける際にも黒い噂が残っている。
審査の段階では「興行主の分際で」と有識者たちから反対が出たり、財団法人認可の条件を整えることが出来なかったり・・・
終いには、相撲好きだった当時の皇太子(後の昭和天皇)の気持ちを汲んだ陸軍の要人などが手を回して「特別扱いで駆込み認可された」という話が、まことしやかに囁かれているのだ。
そしてこの時、天皇陛下や陸軍が「相撲は国技だから継承したい」と言ったとか、言わないとか。
この言葉が「たかが興行団体」と蔑んでいた有識者たちへの「天下の宝刀」になったのは間違いないようで、平成の世になっても角界が持ち続けた「相撲は国技、だから守られるべき」(実際、特別扱いで守ってもらった)という特別意識の理由になっていた。
しかし、この時に興行体質が改善されなかったことが故に、2008年の公益法人制度改革が寝耳に水の災難に感じるようになってしまっていることに、角界の殆どの人間が気づいて居なかった。
悠に83年も経って一段階ではなく二段階上の「新しい制度に対応できる定款や体制を作って審査を受けなさい」「それが出来なければ、優遇取り消しますよ」と言われたことになるのだ。
庇うわけではないが、世間から隔離された角界は、前年2007年の「新弟子リンチ事件」2008年「角界大麻疑惑事件」で北の波が辞任し、9月からMが理事長になったばかり。
Mが理事長になってすぐ「外部理事の招聘」と前代未聞の改革が出来たのも、本当のところは中からの声に答えたのではなかった。
新弟子リンチ事件の加害者である元親方が逮捕されたのを受けて、当時の監督官庁、文部科学省から「外部の識者を相撲協会の理事に迎えて、相撲ファンの声が届くような体制にして戴きたい」と強く指導されたためだ。
でなければ、北の波を始めとする角界保守派をうん、と言わせることなど出来るはずもなかった。
とりあえず、2つの事件の騒ぎを収めたい。
この年の角界は、自分たちのことだけで精一杯の年で、この年の年末にも施行されるという「公益法人新制度」について、専門家達がレクチャーしてやろうと言っても、ただでさえ「難しい」「ややこしい」話が苦手な力士出身の親方や年寄たちが耳を貸す様子はどこにもなかった