第一章の6 コンプライアンスってなんだ 7 相次ぐ騒動、変化に苛立つ協会
6 コンプライアンスってなんだ
同じ協会に属する別の部屋で、死亡事故があったにも関わらず、無関心だった相撲協会の面々。
そんな彼らを育てた特殊な世界の背景をざっと知った上で話を元に戻していこう。
亡くなった新弟子は「素行に問題のある特殊な個人のケース」として、自分たちや協会には責任のない話だと思っていた六角や、相撲協会だったが事態は急変する。
その子の両親が自発的に検死解剖を依頼し、その検死内容が発表されたからだ。
親方Tの隠蔽工作や虚偽の証言の数々が明らかとなり、最初の発表とはまるで違う新事実が次々とて出てくるにつけ、マスコミと世間はその悪質性と、被害者である新弟子および両親への同情から「新弟子リンチ事件」として大きく騒ぎ立てた。
そして加熱するマスコミは、改に容疑者となった親方Tの部屋だけならいざしらず、他の部屋にもコメントを求めて押しかけた。
それと同時に、各部屋を統括する協会事務局にも、取材と苦情の電話が鳴り止まない日々が訪れる。
「協会としての管理責任はどうなっているんですか」
「コンプライアンスをどのように指導しているんですか」
長年、理解者に守られて外の世界から隔離されていた角界が、突然パイプ役も挟まずに、外の世界のモノサシをいきなり押し付けられ、糾弾されたのである。
当然、こんなことは初めての役員たちは泡を食った。
とりあえず「解る人間に対処してもらうまで、余計なことはしゃべるな」と戒厳令が引かれたが、そもそも相撲の世界の中のことに、外野が口出しすること自体失礼だと思っている面々にとって、ハエのようにたかるマスコミはただの無礼者としか映っていかなった。
その無礼者に対し、無視したりカメラを振り払って取材拒否しようとしたら、今度はその態度を「横柄だ」「暴力的だ」とワイドショーで取り沙汰されてしまった。
彼らは気づいて居なかったのだ。北の波の改革以来、相撲ファンは拡大し、角界の彼らが知っているような、清濁併せ呑んで相撲を見ている昔ながらファンだけではなくなっていることに。
そんな騒動の中で、マスコミ側が天下の宝刀のごとく振りかざしてくる言葉に、協会役員や年寄衆は苛立っていた。
「コンプライアンスってなんだ!知ってるか?六角!」
事件が起こった2007年といえば、すでにコンプライアンスという言葉は、企業関係者なら常識で、
2年前の2005年に施行された「個人情報保護法」やJR福知山線の脱線事故からは、一般にも市民権を得ている言葉だった。
しかし角界に詳しく理解しているものは皆無といってよかった。
自分たちではマスコミ対応すら出来ない協会役員たちは、またも使いやすい六角を使った。
とはいえ、力士の中では実務に長けた六角でも、所詮この相撲の世界しか知らない人間である。
外の世界から突きつけられた「コンプライアンス」が何なのか、なぜその言葉で協会が糾弾されているのか理解できず、外のブレーンに「何がどう問題なのか、どうすればコトは収まるのか」を相談するために走り回るハメになった。
外の人間から話を聞いて回った六角は「これは厄介なことになった」と頭を抱えた。
角界の価値観が、外の世界とあまりに違い過ぎることで、訳がわからなくなったのだ。
特に法律や広報に詳しい人に話を聞けば聞くほど、自分たちの世界に、当てはめて考えることが出来ない対策ばかりが出てくる。
悩んだ末に六角は、支援者でもある経営者の、このアドバイスを協会本部に伝えた。
「角界みたいな伝統ある世界は、一朝一夕に世間の新しい価値観に合わせることは出来ませんよ。だから、まず今は姿勢を見せて、マスコミと世間を黙らせることじゃないか?」
協会幹部たちは一番の悩みである「世間とマスコミを黙らせよう」に即座に反応しこれに同意した。
容疑を認めて逮捕された親方Tや、実行犯の兄弟子たちを、解雇してマスコミの人身御供にし、協会は関知していないとする。
いわゆるトカゲのしっぽ切りだ。
また、リンチ事件をきっかけに他誌も追随を始め、再燃した「八百長疑惑」も客足に響くことを懸念し、法的手段に打って徹底的に火消しを図ろうとした。
問題を起こしたのは、一部の人間で、角界全体が悪いのではない。
管理責任については、この場ではシラを切ることにしたのである。
これで騒ぎは収まるだろう、と喜んだ協会幹部だが反してマスコミや世間の目が離れてはくれなかった。
新弟子リンチ事件は、事件として一般紙やニュースで報道されていた。
これはつまり、拡大した相撲ファンやスポーツ好きのみならず、一般市民にも知れ渡ったということだ。そこには、前述した「清濁併せ呑む昔ながらの相撲フアン」の甘さは無く、同じ社会の一員として角界を見つめる人々が大勢居たのである。
7 相次ぐ騒動、変化に苛立つ協会
シビアな目にも注目されるようになった角界は、図らずも次々と話題を提供してしまう。
この時期、最強にしてやんちゃで最悪と言われていた、モンゴル出身横綱「明徳龍」の言動にバッシングが集まり、加熱する批判報道で遠のいてきた客足に苛立った理事長・北の波が「批判ばっかりして邪魔しに来るなら、来なくていい!」と記者クラブ会友の記者証を取り上げ、ますますマスコミとの溝を深めてしまった。
翌2008年には、また事件が起こる。
ロシア出身で当時未成年の幕内力士が、大麻が含まれたタバコを入れたままの財布を落とした。
そこから「相撲界の大麻疑惑」が発覚し、他の人間の関与がないことを証明しようと協会が行った抜き打ちのドーピング検査で、あろうことか他のロシア人二人の力士に陽性反応が出てしまったのだ。
警察の取調では最終的に、この二人から所持の事実は確認されなかったが、協会はこの二人を解雇した。前回学んだ「協会としての素早い対応」でトカゲのしっぽ切を行ったのである。
すると、この二人は協会に対して「容疑者になっただけで解雇処分は不当だ」として地位保全の裁判を起こした。
親方の言うことは絶対、上の者には逆らわない
21世紀に入っても、そんな掟がまかり通っていた角界にとって「解雇を不服とした地位保全の訴え」などは青天の霹靂であった。しかもその訴えの中でロシア人力士たちは自分たちと同じように疑われながらもお咎め無しだった日本人力士の存在を明らかにし「差別だ」という声も上げていたのだ。
「解雇を納得しないばかりか、協会を訴えるなんて身の程知らずにもほどがある。けしからん、生意気だ。日本人じゃないから、そんなことをするんだ!」
常日頃、外国人力士の角界参入そのものに不満を持っている親方や年寄衆は、明徳龍の騒動に加えての、この屈辱的な裁判の訴えに、いきり立った。
協会内での不満の声、そして益々加熱するマスコミ報道に加え、自身の弟子もこの大麻疑惑に関与していたことが発覚したことから、理事長として4期目を迎えていた北の波は、責任を取る形で任期途中での理事長辞任を発表した。
そして次の理事長の座には、北の波と同じ一門のMが座った。実際には退任を受けての選挙でMが選ばれているようにみえるが、協会内での選挙は昔ながらの出来レース。辞任前に北の波が指名したMを事実上「追認」したに過ぎないものだった。
要は、世間のほとぼりが冷めるまで院政が引かれただけのことだった。
後を継いだMは「六角にアドバイスをしてくれたような存在を協会の中に置き、マスコミに晒される前に対応を協議すべきだ」という年寄衆の声を受け入れることにする。
昔ながらの「不可侵の角界」を維持したい北の波やその一派は不満を漏らしたが、実際に相撲ファンを拡大したのは北の波である。そしてこれからも北の波の方針である興行路線でファンが増え、注目を浴び続ければ、収益拡大と同時に批判される機会も増えることになりかねないのだ。
「拡大の途を止めないためにも、外が理解できる角界の味方は必須だ」
このことを強調すると北の波は渋々了承し「外部理事招聘」が発表された。
不可侵だった角界の決定を左右する理事の中に、外の人間を入れる。
この意味を深く理解する協会員はわずかしか居なかった。
みな難しい話は、「上が(協会が)うまいことやってくれているだろう」「自分たちは相撲を頑張るだけだ」と聞き流している。
しかしリンチ事件の際、協会がコンプライアンスで責め立てられた時、外部に相談に出向き、直に話を聞いている六角は違った。
現役引退後、何年も掛かって上役や、協会に尽くして信頼を得て、やっとこれから自分が協会幹部への道を歩こうとする今になって、目指した場所が変わっていこうとしている。
その不安は的中した。
2010年、初めて相撲協会の役員待遇になった六角は、変わり始めた協会の心臓部で「火中の栗を拾う」または「猫に鈴をつける」貧乏くじの仕事を、真っ先に押し付けられるのである。