第三部「穢れた土俵」公開記事 第二章の9.ドラスティック文科省

(これはフィクションです)

2009年、年明けの総会で話したにもかかわらず、Mたちの奔走と苦労を知っているものは、角界にはまだわずかしか居なかった。

それでも、快傑のサポートもあって、Mたちは少しずつでも文科省からも「認可を前提とするなら」という前向きな仮定における具体的な是正箇所を指摘してもらえるようになり「還暦を過ぎたジイさんたちが走り回った甲斐がありそうだ」と希望の光を見つけようとしていた。

そんな時、大きな変化の波が、彼らを飲み込んだ。

2009年9月。長年に渡って日本の与党として君臨していた第一政党「国民共和党」が倒れ、民主社会党を中心とする連立政権への、15年ぶりの政権交代が実現する。

トップが変われば、芋づる式に繋がっている末端まで影響が出るは世の習い。

永田町と霞が関は、人と荷物の入れ替えのため、何十日も騒然とした状態が続いていた。

Mたちが何度も通って関係を作り上げようと努力していた相手方の担当者も、煙のように消えてしまい、文科省詣はまた一から出直しになった。

そればかりでなく、二ヶ月待ちでやっとアポイントが取れた新しい担当者は、いかにもキレ者といった40前後の、まだ青年と言っても良さそうな男だった。

彼は、平身低頭で訪れたMたちの挨拶もそこそこに角封筒を手渡し、見るよう促した。

「なんですか、これは?」

恐る恐るMが聞くと担当者は淡々と答えた。

「今度、公益認定新制度の移行審査を担当する委員会を管轄される、副大臣のご意向を書面にしたものです。」

一緒に付いていた法律顧問が慌てて、封筒の中身を出すと、一部はマニュアルのようなものと、もう一部にはびっしりと箇条書きで、相撲協会に対する疑義とも要望とも取れる文章が書き連ねてあった。

「移行申請について相談に来られてきた他の方にも、お話したことなんですが」

担当者は、抑揚のない声で「あなたの団体だけではないんですよ」という前置きを口にした。

「長年、国民共和党政権で放置、というか優遇されてあぐらをかいておられた団体が、かなりの数あるようなので。
一種の第一次審査のような形を取らせて頂き、言葉は悪いですが、篩(ふる)いに掛けたいのです」

「ふるい? 国技である相撲を篩いに掛けるのですか」Mが慌てて口を挟んだ。

「いえいえ、内容ではなく。あくまで現在においても、財団法人として相応しい運営がなされているか、という書類審査です。現に、業務内容と運営がシンプルに一致している団体には、この案内だけお渡ししていますし、何ならもうすぐ認可が降りる寸前のところもありますよ。ただ・・・」

「ただ?」

「相撲協会さんには、この書類審査を通過してから、申請を出して頂きたいというのがウチの判断です」

「いや、しかし」法律顧問がたまらず反論した。

「今までの担当者の方は、どこを改善して申請したらいいか、相談に乗ってくださっていましたが」

「申し訳ないが、私達にはそんな時間はありません。前の担当者のように、手取り足取りは出来ません。」

担当者はピシャリと制した。そして、すかさず

「間違えないで頂きたいのは、我々は限られた時間の中で、今回の公益認定新制度の、真の目的を果たしたい、ということなんです。つまり、今の時点で財団法人の要件を満たしている団体の中から、より公益に見合う団体に認可を与えたい。わかりますか?」

今の時点で財団法人の要件を満たしている団体・・・

外の世界に疎い角界の人間ならともかく、何度と無く苦言を浴びてきたMたちには返す言葉が無かった。

Mたちの様子に気づいた担当者は、茶をすすりながら(言い過ぎたか?)とMの顔色を伺った。

「・・・とはいえ、私達も国民が愛する大相撲の団体を、無下に切りたいわけではありません。

ですから、こうして特別に問題点を教えて差し上げています。申請と同時進行で結構ですから、改善を実行し、変わる姿勢を見せて頂きたいということなんです。

幸い、と言いますか。 相撲協会さんの変化や動向は、こちらにわざわざ出向いて頂かなくてもマスコミが報じてくれますからね。他の団体と違って、あなた方は努力の姿勢をアピールしやすい、恵まれた団体なんですよ。」

担当者は同意を求めたつもりだったが、Mはただただソファに沈み、法律顧問たちは改善点の書かれた書類を老眼鏡を上げ下げしながら、回し読みしていた。

どうやら、MUST事項、やらなきゃいけない、という事だけは理解してくれたらしい、担当者は締めに入った。

「さきほども言いましたが、現在ある財団法人、社団法人の数が物凄いので、我々としましても認可の可能性の高いところだけに、注力したいのです。

この書類審査を通過出来ないところは、認可どころか、そもそも申請も出来ないわけですから、我々も関わらなくて済むというわけです。

言うなれば、自然淘汰ですね。」

自然淘汰。

江戸時代から続く大相撲が、自然淘汰・・・

ようやく担当者を見上げたMたちの顔から、血の気が引いていった。

彼らが理解した、と思った担当者は立ち上がると、Mたちに退室を促すかのように扉を開けた。

「新制度移行期間の期限まで、まだ時間はあります。

襟を正し、新しい制度に対応する、そのための猶予期間なんですからね。」

新しい政権から送り込まれた大臣以下の面々は、今までの国民共和党政権と違って、それからも角界に対しドラスティックな改革を求め続けた。

理事選についても、投票形式から会場のレイアウトまで細かく改善が求められていて、Mには理解が追いつかなかった。

幸い、快傑がサポートしてくれるようになってからは、何をどうすればいいのかは解るようになったが、実際に文科省が認める改定案に沿った理事選が2010年2月に行われると、その規定に沿った貴乃桜が立候補し、角界は大騒ぎになったが、正直それどころではなかった。

さすがに還暦を越えた自分たちだけで、あちこちを説得して回るのが辛くなり、他の者に比べて交渉事に携わった経験の多い六角をアシスタントとして引き入れたが、六角とて嫌々引受け、言われたことだけやっているのは目に見えていた。

それでも、あの担当者が言った「自然淘汰」という言葉を思い出すと、角界が崖っぷちに在ることを思い出して、Mは夜中に飛び起きてしまうほど焦燥感にかられた。

そんなMと角界を憂う有志達が奔走しているのをよそに、理事選の嵐からわずか三ヶ月後、また角界にスキャンダルが発覚した。

大相撲野球賭博事件である。

Mは二重のショックを受けた。

こんなに角界に取って大変な時期に、という協会員たちの「自覚のなさに対する失望」に加え、それに自分の弟子も関わっていたという情けなさ、である。

このことは「角界のみんなのために」と、ギリギリの精神状態で走り続けていたMの気力を断ち切った。

事件を精査していた特別調査委員会が、親方であるMにも監督責任として謹慎を命じ、理事長代行に元検事の外部理事を据えると、Mはこの元検事と快傑をこっそり引き合わせた。

「留守を頼む」と引き継ぎはしたものの、Mに戻る気力は残っていなかった。

引き継ぎを終え、ホッとした途端、Mは倒れた。

トラブルのさなかにリリーフで交代し、そのまま公益認定新制度の交渉等で、Mの身体は限界に来ていたのだ。

謹慎期間中に持病の高血圧で入院すると、その検査で胃がんが発見された。

そして手術を終えた後、Mは療養生活に入った。

年齢的にも体力的にも、Mが理事長に復帰する可能性は無くなった。

幸か不幸か、弟子が事件に関わり、大病が発覚したことで、Mは理事長を辞め、渦の中から抜けることが出来たのだ。

そして、その後に起こる様々な事件を見届け、数々の元力士たちの葬儀に参列する立場となっていくのである。

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