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背すじを丸めて生きてみる

夏、母が亡くなった。


母が、7月に亡くなった。
8月の終わりに、納骨を済ませた。
人生100年時代と声高に言われる中、母は還暦を迎えることができなかった。
いつもエネルギーに溢れた、おしゃべりな母だったが、
病が発覚してから2年も生きられず、実にあっけなかった。
母との思い出は、あまりきれいなものばかりではなかったが、
自分を産み、育ててくれた人の、楽しそうに話す声を聴くことがもうできないのかと思うと、やはり切ない気持ちになる。
先日、母が昨年の秋に関東から関西へ遊びに来てくれたときに訪れたレストランに行った。
充実したドリンクバーに目を輝かせ、写真に収めていた母。
その写真を見返し、人にそのレストランの良さを布教としようとする母は、もういないのだと、しんみり思った。

不可逆な人生を生きる

葬儀のとき、お坊さんが、早口に、しかし穏やかに、「人生は無常」「不可逆」といった話をしていたのが印象的だった。
「生病老死」という人生における大変なことがあるけども、それを自ら操作することはできなくて、まぁ病院に行ってちょっと抗ってみたりはするけれど、やはり自分ではどうしようもできない運命というものを、受け入れないといけないんですよね。
時は前にしか進まず、戻ることはないということも、受け入れないといけない。
そんなことを言っていた。
(仏教の教えに基づいたお話だったと思うので、正確には違うことを言っていたのかもしれないが、細かいところはご容赦いただきたい)
母の死の余韻が充分に残っている中で聞いたその言葉は、何だか心に染み入ってきた。

不可逆、とはどういうことか。
アラサーの私。
もう、小学生のときのような感受性で、映画や本に触れることができない。
もう、高校生の制服に身を包んで、あのときの青春をもう一度送ることはできない。
私は新卒で入った職場をやめてしまったが、仕事の経験を胸に刻んだうえで、もう一度就活時代に戻り、就労先を検討し直すことはできない。
流産が分かったからといって、妊娠を自ら無かったことにすることはできない。
瑞々しい感受性や、最高の体力があったからこそできたこともたくさんあるし、
「こうなるとわかっていたらあのときこうしなかったのに」と思うこともやはりある。
が、そういうことを避けては通れない。
不可逆だから、失敗なく、最高点を出す、というのは無理がある。

ほどほどに生きる

今日は9月15日。
私は平均寿命まで生きるとすると、残り60回くらい、9月15日を送ることになる。

日々というものは、目を覚まし、何度か食事して、歯を磨いて、風呂に入って、寝て、と、同じことの繰り返しに思えることが多いので、
この「60回」という、数えられる数字というのは、多いような少ないような、不思議な数である。
そのうえで、あまりにこすられすぎた表現だが、「2024年9月15日」という、今日という一日は、今日しかない。
昨日に戻ることも、せっかちに明日を迎えることもできない。
そう思うと、何か、未来のためになることをしよう、と思ったり、
充実した1日にしなければ、と思ったりする。
しかし、お坊さんの話にあった通り、私は、今の自分の年齢で、今の自分の感受性や身体の状態で、できることをやるしかない。
趣味は、子どもがいる状態で細切れにやるしかない。
勉強は無理ない範囲でやるので、意味があるんだかないんだかよくわからない。
バタバタと一日を過ごすと、気づいたら日も暮れて、「あぁ、今日こそソファの上を片付けようと思っていたのに」「なんだかんだスマホばっか見ちゃったなぁ」と思うのが常である。
かけがえのない1日を、もっと理想的な1日にしたかったのに、と思っても、
やはり「今日も70点くらいかな」という日になる。

この春・夏は、何冊か本を読みながら、後悔のない看取りとは何だろうな、と思いながら過ごしていた。
その中でも、印象的だったのが、この本。

がんとともに生き、「闘病(病と闘う)」というよりはその運命を受け入れながら生きた樹木希林さん。
結婚してから、すぐに別居し、別居の状態を続けた希林さん。
あまり物を持たず、背伸びせずに、肩の力を抜いた生き方をした希林さん。
人によっては、「別居なんてしているとどう思われるか」「大女優なんだからブランド物を持ちたい」と気にしてしまいそうだが、そういう「他人からどう見えるか」ということを気にするそぶりがない。

私の、この20代後半という年代は、仕事で何かしらリーダーをしたり転職したり事業を起こしたり、結婚したり子どもを持ったり、実家を出たりと、ライフステージが大きく変わりうる年代だ。
だから、子どもを持った私は、今仕事を続けていたらお給料が増えていたかもなと、選ばなかった方の人生に思いを馳せることもある。
あれもこれも選ばなくてはいけないような気がするこの年代では、何らかの事情で働くことができずにいるとか、パートナーがいないとか、そういう何かが滞っている状態だと焦ってしまうのも分かる。
だけど、人生はなるようにしかならないのだ。
「何歳までに結婚するぞ」「年収いくら稼ぐぞ」などという志は、自分の背すじをピンと伸ばしてくれることも多いが、たまに振り返ってみると、こういう志は誰のためのものなのだろうと思う。

当たり前の日常をかみしめる

最期、一切物が食べられなくなった母の、入院中のことを思い返すと、
美味しく物が食べられて、気分に合わせて出かけることができることは、かけがえのないことなのだと気づかされる。
ましてや、一人の子を妊娠し、お腹の中でトツキトオカ育て切り、産むことのできる女性の身体の機能、
同時にたくさんの高度なことを考えて、優先順位を整えて臨機応変に物事を判断し、仕事を進められる人間の脳、
相手の表情を読み取りながら、言葉を選び、人に好かれる社交的なふるまいができる状態、またはその余裕があること、
そういったことは、より一層すごいことだと思う。
繰り返される毎日の中でも確実に年を取っていき、その戻らない日々に何となく焦ってしまうこともあるけど、当たり前のような生活を送られることはそれ自体、すごいことだ。

今後、年を取っていけば、そのうち、持病を抱えて、病院に定期的に通いながら生きるようになっていくことになったり、
食の好みや考え方の癖が変わって頑固になっていったりするだろうけど、
ある程度抗って、健康や柔軟性を大切にしつつ、多少の変化は受け入れて生きていけるように、
たまに伸びすぎている背すじを意図的に丸めて、些細なことに感謝しながら生きていけたら。

何となく涼しい日も出てきた9月15日。
母の死から2か月ほど経って、そんなことを考える、2024年9月15日です。



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