社会保険労務士試験に4回連続落ちた話
昨日は、自分にとって人生4度目の社会保険労務士試験でした。
自己採点してみた感じ、結果を待つまでもなく、落ちています。
4回連続で落ちた試験というのはたぶん初めてなので、ここで振り返りをしてみたいと思います(一旦振り返らないとかえっていつまでも考えてしまうので)。
1回目(そもそもなぜ受けようと思ったのか?)
2021年4月。
私は、新卒で就職した職場の2部署目におり、心病んでいました。
当時、仕事が充分にはできないような環境に置かれてしまい(他責な言い方ですね)、私は、自分で頑張り、能力を発揮する場を欲していました。
そこで選んだのが勉強。
その中でも、仕事というものについてもっと学んでみたいと思ったので、労働に関する法律を含む、社会保険労務士試験を受けることに。
ギリギリ期限に間に合って申し込めたから試験も受けられたものの、準備期間も短く、結果はもちろん不合格。
それでも、試験のおかげで自分がいきいきとできたので、キラキラした不合格でした。
2回目・3回目
それなりに対策してもう1度、もう1度、と試験を受けました。
2回目はそれなりに内容を理解しはじめて、勉強自体は楽しかった覚えがあります。でも、試験はちんぷんかんぷんでした。
3回目は、引っ越し後のため初めての会場でした。妊娠もしていて、バスの混雑もあり、ドキドキでした。
偶然にも「あと1点!あそこの足切りさえ突破していれば!」という結果で、もしかして合格は近いのかも…?と思っていました。
毎年、その年なりに独学で対策をし、ドキドキしながら試験会場に向かい、試験の次の日から、解放感を感じて趣味を楽しむ、そんな夏を過ごしてきました。
4回目
そして迎えた4回目、昨日です。今回は、11月終わりから産休、続けて育休(しかも夫婦ともに)に入っていたこともあり、例年にないくらい勉強時間がたっぷりとれました。
可愛い子どもの成長を見届けながら、勉強、勉強。
4回目ともなると、勉強内容はこれまで触れたことのある項目ばかりで、忘れかけているところがあってもすぐに記憶に再度定着させることができ、かなりのアドバンテージを感じていました。
しかし、自己採点してみると、去年よりも点数が下がる結果に。
問題を解いていても、自信をもって回答できたものは、想定より少なかったです。
行きのバスで自信満々だった自分が不思議でしょうがないくらい、自分の無能感を感じました。
敗因は何か
これまでの敗因を振り返って、一つ言えることは、本気度が足りなかったことかなと思います。
今の仕事は、資格を取ったところで特にランクアップするようなものではなく、それでいて楽しいので、転職への意欲も特にありません。
収入も上げなくても充分暮らしていけるし。
こんな中途半端な心意気だから、勉強していて曖昧になってしまっている項目があっても、流してしまうことがあったように思います。
予想問題の復習も気分次第になってしまっているところがありました。
一般常識の対策も、気に留まったものをやっている感じで。
試験では、見たことのある項目、整理したばかりの項目も多数出ましたが、2択に絞れる程度の実力しかなく、「どっちだっけなぁ」を連発しました。
私の勉強は、大体7割くらい理解できるとOK、としてしまう場面が多くあったように思います。
ストイックの対極にいました。
根本的に、勉強そのものがそこまで苦ではないうえ、例年分からなかったところが分かると何だか楽しい気持ちにまでなってしまって、自惚れていたように思います。
社労士試験は運によって、実力が弱くても合格してしまう人、実力があっても不合格になってしまう人、というのも少なからず出てしまうタイプの試験ですが、私は、「全部マークシートだし運よく受かるのでは?」というのを毎年期待していたように思います。
改めて振り返ると、脳みそは4年分も詰まっていなくて、けっこうスカスカだったような。
それでも、予備校講師みたいな方々は、どの年の試験でも、満点ではなくても合格すると思うから、その意味で、どんな運でも受かるような圧倒的な実力をつける覚悟がないといけなかったと思います。
大人の勉強、ここが楽しい
社会人になってから、たくさん勉強する機会がありました。
毎年何かしら資格試験を受けることが多くて、漢検準1級、HSK(中国語)3級、年金アドバイザー3級、と、都度、そのときの関心に合わせて、気の向くままに資格を取得してきました。
漢検1級は2回くらい受験して取得を諦めたし、フランス語や韓国語は、少し触れただけで、受験することなくマイブームが過ぎました。
そのほか、手話、英語、福祉系の資格など、頭にちらついては、挑戦せずにきた資格がたくさんあります。
いずれの分野でも、知っていることが増えると、たとえばお店の名前に使われているフランス語の意味が分かるとか、
産休や育休で自分がどういう仕組みのもとで手当を受け取ることができているかわかるとか、
世界が広がる楽しさがあります。
学生の頃より財力もあるので、少し良いお菓子やお茶などを息抜きに食べたり飲んだりし、良い感じの音楽をかけたりすることもできて、勉強そのものはなかなかに優雅な思い出になりました。
勉強はかなり自分に合っている趣味だと思います。
受からない社労士試験への対策は無意味だったのか
4回も落ち続けた試験にかけた時間や労力やお金は無意味だったのでしょうか(独学なのでそこまで出費はありませんでしたが、時間は人よりかかっていると思います)。
これ自体は、noかなと思います。
正直漢検1級の勉強をしていたときは、その漢字や四字熟語を日常で見かけることはあまりなくて、
復習のために検索しても中国語っぽいページにしか飛べないこともあり、
この勉強に意味はあるのか、と思うこともありました。
でも、社労士に関して言えば、知識がある分、自分の人間としての基礎力が上がり、いろいろな情報へのアンテナが張れるようになったと思います。
私は、勉強は勉強として大事にしながらも、それなりに家族との思い出や友達とのお出かけも大事にしていたので、あまり何かを犠牲にしていたという感じもありませんでした。
これまでの生活から勉強を抜けば良かった、とは思いません。
そもそも人生は暇つぶしだ
最近身内を亡くして思うことは、身も蓋もないことを言えば、どうせいつか人は死んでしまうんだよなーということです(唐突)
どんなに脳みそに知識を刻んでも、肌の手入れをしても、人に優しくしても、お金を稼いでも、
自分の身体が終わりを迎えると、そこで、それまで積み上げてきたものはゼロになってしまう。
何かのために努力して、その努力が本当に報われる、ということはあまりないような気がします。
というか、報われるとは何なのか。無駄とは何なのか。
そういうことを考えてから、目の前にあるものが無駄かどうか、判断するといいのかもしれません。
結論:今あるものに感謝して、また頑張ろう
不合格が分かると、それまでその試験に費やしてきた労力が水の泡になったような気持ちになりますが、
これまで叶えられなかった夢の中で、自分がすでに叶えてきたものもたくさんあることにも気づかされました。
今の会社に入るための面接も、落ちている人がいるわけで。
子どもを授かりたかったのに、一人目が流産になって、泣いていた私もいたわけで。
他の人に取られないうちに今のマンションの賃貸契約を結んだから、今、気に入ったマンションで暮らせているわけで。
社労士試験に受かることは、幸せの保障ではないし、不合格は、不幸せの証ではない、と思います。
来年は、子どもを保育園に預け、復職して、今よりだいぶバタバタしているだろうけど、
そのバタバタも、自分を雇ってくれる会社があり、子どもがそれなりに安心できる保育園に入れるようになるからこそ叶う、バタバタです。
来年の自分を構成する一つ一つのものにも感謝して。
当面、いろいろなものを犠牲にしない範囲で、引き続き自分のペースで勉強しようかな、と思います。
もしこの記事を読んだ人の中に同じく受験された方がいたら、お疲れさまでした。
(何か不快に感じさせてしまったら申し訳ないです。)
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