見出し画像

歌ったり奏でたり聴いたりするだけが音楽じゃないのかもしれない。

わたしは、大学2年生の頃から社会人合唱団に入っている。

大学4年生の時は就活と卒論に専念したくて1年休んでいたし、社会人になってケータイショップのスタッフとして働いていた時は、毎日何時に帰れるか分からないような状況で練習に参加できていなかったし、転職したと同時にコロナウイルスが蔓延し始めたせいで、あんまり活動できていないけれど。

そんな合唱団での活動は、緊急事態宣言が出ると解除されるまでミーティングさえも開くことが出来なくなるため、このご時世になってから、言うまでもなく本格的に行うことが出来ていない。
宣言が出されていない時は参加していた団員もいたみたいだけど、わたしはミーティング以外は極力参加しないようにしていた。

———そんなわたしたちの活動がさらに狭まることになるだろう決定が、先日下された。
どうにか開こうといろいろな面で努力していた定期演奏会が、とうとう中止になったのだ。

メールを読んで、当然のことだと感じたし、仕方がないとも思った。
本来なら1年前から開催のために準備をするところ、遥かに足りない時間で形にしようと動いていたし、感染状況から考えても開くべきではない。

………それでも。
必死に蓋をして抑えてきた何かが、心の中からぶわっと溢れてくるのが分かった。

この状況でまともに歌えるなんて思っていない。
だけど、最後にわたしたちが心置きなく歌ったのはいつだった?

歌いたい。何も気にせず、思いっきり。
身体が、心が、歌うことを求めていた。

———だけど、そんな風に激情に駆られたからといって、この状況が変わる訳ではない。
頭は次第に冷静さを取り戻し、わたしはこれまでと変わらない毎日に身を任せて過ごした。

***

多くの場面で行動に制限をかけられている今、わたしにとってnoteで文章を書くことは、何にも邪魔されず楽しむことができる貴重な趣味だ。

もともと小説を書くのも好きだったわたしは、エッセイを書くだけでなく創作をすることも多く、その中の一つに【音楽×小説】がある。

好きな曲の歌詞を基に構想を練って小説を書くというもので、noteを始める前からやってみたいと思っていた小説の書き方だった。

書き出した頃は、歌詞を熟読しながらストーリーを作り上げるのがただただ楽しくて、「やりたいからやっている」という感覚が強かった。

だけど、2本書いて気づいた。
歌いたくて、歌えなくて不満を募らせたりもしていたけど、こんな風に歌詞を基に文章を書くことも「音楽」の一つなのかもしれない、と。

歌ったり奏でたり聴いたりしている訳ではないけれど、こんな楽しみ方もあっていいのかもしれない。
コロナ禍が終息するまでは、しばらく変わり種な方法で音楽に触れることにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?