【#あんクリ製作委員会】あんクリ小説版/いろり庵のあすかさん-11
「え……うそ……」
私は、洗顔フォームを片手に洗面所で立ち尽くしていた。
季節はもうすぐ冬、手を洗うだけなら水でも我慢できなくないけど、さすがに顔を洗う時はお湯の方がいい。
蛇口をお湯が出る方向にひねり、温かくなるのを待ったものの、いくら待ってもお湯が出ない。
………嫌な予感がする。
私はキッチンに向かうと、コンロを回して火がつくかどうか確かめてみることにした。
——ボッ。
五徳の上で炎が小さく踊るのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
ガスの不調じゃないなら、とりあえずお店を開けることはできる。良かった……。
キッチンのお湯は出るんだろうか。
…………。
出ない。
これは……給湯器が壊れてるのかな?
水道屋さんに連絡しなきゃな、などと考えていたその時、私は大事なことに気がついた。
———私、しばらく家でお風呂入れないってこと、だよね?
***
おばあちゃんが子どもの頃から今までずっと、街の人たちの心と体を温め続けてきた銭湯、
花乃湯。
最後に来たのはいつだっただろうか。
夜ご飯を食べた後、花乃湯を訪れた私は、足を伸ばせるほどの大きな浴槽に浸かり、ふうっと息をついた。
寒くなると尚のこと、温かいお風呂に入るとほっとする。
おばあちゃんが生きていた頃は、月に1度ここでお風呂に入って、フルーツ牛乳を買ってもらうのが楽しみだったのに。
社会人になって就職して、多忙な日が続いて。いつしか、足が遠のいていたんだ。
ゆらゆらと立ちのぼる湯気を見ながらぼんやりと考えていた、その時。
「あれ?あすかちゃん?」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、パッと顔を上げると、
「……! 紗希子さん!」
ニコニコと微笑んだ紗希子さんが、お湯に入ってくるところだった。
***
「紗希子さんはよくここに来るんですか?」
「そうだねー、週に1回は来るかな」
「結構頻繁にいらしてるんですね」
「ここの広ーいお風呂に入って、お風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むのが私のごほうびなの。頑張って働いてるんだし、ちゃんと自分を労ってあげないとね!」
あすかちゃんもちゃんと自分にごほうびあげてる?とにこやかに言う紗希子さんを見ながら、私は考える。
退職して、いろり庵に戻って来てからずっと、おばあちゃんの味を、店を守ることに必死で、ごほうびなんて思いつきもしなかった。
………私は、自分にごほうびをあげられるほど頑張れてるのかな。
ひとり考え込む私を他所に、紗希子さんはニコニコと話し続ける。
「ここに来るといつも思うんだけど、日本の銭湯ってほんっとに素敵で幸せな文化よね〜。
海外だと浴槽にお湯を張って入る習慣がない国も多いし、ひどいと綺麗な水さえ確保できない地域もあるし」
「あすかちゃんのたい焼き屋さんって、元々はあすかちゃんのおばあさまのお店だったのよね?
おばあさまと一緒にここに来たりもしてたの?」
「ええ、祖母と一緒に住んでた時は、月に1回ここに来るのが楽しみでした。
就職した後は一人暮らししてたので、それ以来来てなかったんですけどね」
「……今日は、おばあさまとの思い出を振り返りに?」
「いえ、家の給湯器が壊れてしまって……」
「あら、それは大変だったわね。
でも、こうしてここに来ることができたなら、それはそれで良かったのかもね」
「……そうですね。
給湯器が壊れてなかったら、きっと来てなかっただろうなと思います」
「番台に立ってたおばあちゃんとお話しした時に聞いたんだけど、ここの銭湯、昭和初期からずーっとやってるんですってね。
きっと、たくさんの人たちの暮らしや思い出のそばに寄り添い続けてきたのね」
「………そうですね、私も祖母と来ていた頃を思い出しながらお湯に浸かってました」
時の流れを、世代をいくつも超えて残り続ける街の銭湯。
いろり庵も商店街にとってそういう存在になっていけたらいいな、なんて、今の私には大きすぎる夢なのかな。
「………そういえば、前から気になってたんだけど」
「はい?」
「あすかちゃんて彼氏とかいないの?」
「あー………いないですねぇ、今は」
「あら、もったいない! 気になる人とかもいないの?」
「正直、今は祖母が遺してくれたお店を守るので精一杯で………」
「そっか、あすかちゃん一人で全部やってるんだもんね~。
いつか、頑張り屋さんなあすかちゃんを支えてくれる素敵な男性に巡り会えるといいわね」
素敵な人、か。
そんな出会い、私にもあるのかな………。
「でも、意外とすぐそばに想ってくれてる人がいたりするものなのよね~、気づかないだけで」
「え………?」
思わず驚いて紗希子さんの顔を見ると、紗希子さんはやっぱりニコニコと微笑みながら私を見ていた。
***
冬本番を目前にして給湯器が壊れるという、なかなかなハプニングから始まった第11話でした😂
昔ながらのレトロな銭湯、最近はスーパー銭湯が多いからか、なかなか見かけなくなってしまったなと思います。
こんな風にお話に登場させつつも、実はわたしも昔ながらの銭湯には行ったことがないので、いつか行ってみたいなぁと思います………!
最後までお読みいただき、ありがとうございました✨
*「あんこちゃんとクリームくん」作品集