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当たり前は当たり前になっているけれど、実はそれこそが奇跡なのかも…というはなし。
痛いんですよ。
先日、ジャガイモの皮をむいていたら、ピーラーで指先をガリっとやってしまいまして。
爪の四分の一ほどが消えてしまいました……。
なにかと支障があって、はじめて指先ってこんなに何気なく使っているんだな、と理解しました。痛い。事あるごとに痛い。
文字通り怪我の功名。
こんなに支障のあるケガをしたのも、すごく久しぶりだなと思い、これまで何事もなかったことが当たり前になっていたなとも思いました。
護られていたんだな。
ここ数年、何日も寝込むような病気もしていません。せいぜいが、だるいから早めにたっぷり寝ようと、睡眠時間を多くしている程度です。
不調は感じるけれど、日常生活はそのまま送れている。そんな程度です。
護られているんだな。痛いけど。
当たり前というのは当たり前なので、なかなか当たり前であることに気づくって難しいように思います。
だけど、本当はいつ何が起きてもおかしくない。
むしろ、”何事もない”ということこそが奇跡なのだな、と改めて思ったのです。痛いけど。
昔のわたしだったら、きっと不満でいっぱいだっただろうな。
文句言って、嫌だ嫌だって言って、不快エネルギーをまき散らしていたんだろうなと思うのです。
”ない”ばかりに気を取られて、”ある”を全然みられなかったですから。
こういうときの考え方が、とりわけ自然と思い浮かぶ考え方が変わったのは、天宮玲桜先生の教えとお導きのおかげさまなのだろうな、と思うのです。
意識的に考え方を変えるというのは、やろうと思えばだれでも今すぐにできますが。無意識に浮かんでくること、潜在意識レベル?で何かが変わっていたりするのって、正直システムはよくわからないんですけれど、なんだかすごいんだろうな、ということだけはわかります。
なにげなく「ありがたいな」なんて思っていたりしますからね。出会う前ではありえなかった。
同じ痛いなら、文句いっぱいで過ごすより、ありがたいなで過ごせたほうが本人が一番ラクですよね。痛いけど。
そういう理屈の説明できないことが起きているのが天宮玲桜先生の世界。
確かに現実的に色々と取り組みをさせて頂いた結果ではあると思うんですけど。それでもやっぱり不思議だなと思ったりするのです。
護られているんだな。
わたし、父方の祖父母がなくなっているので。こういうとき真っ先に、ばあちゃんの顔が浮かびます。生きづらかった子供時代に一番かわいがってくれたばあちゃん。今も見守って応援してくれてるんだろうな、と思うと涙がでます。(もちろん、じいちゃんも見守っててくれてる気がします)
”なくなった人は生きてる人の応援団になってくれる”そうですよ。
ですが話が長くなりそうなので、そのことはまた別記事にていずれ書かせて頂けたらと思います。指も痛いですし。
では、ここまでご覧くださりありがとうございます。
最後に、以前、天宮玲桜先生が教えてくださった詩をご紹介して終わりにさせて頂きます。感動的なのでぜひリンク先の詩を見て頂けたら、なにか響くものがあるかもしれません。