映画「Joker」を観て

前提条件として、
すごくバイオレンスな描写が
ある映画と聞いていた。
たしかにそのとおりで所々妙に現実感がありすぎて
怖いところもあった。

物語を観て思ったことは、自分がどんな環境で生きてきたかによって感じ方が全く違うよねということ。
最終的には、対立という形に至ったけれども富裕層と貧民層の構図から生まれる格差の話に仕立て上げられている。主人公の個人的な災いが、社会的な話題になってしまった。取り上げられたことで彼の人生が大きく変化していった。

人間の価値と不条理な扱い、
彼はその境遇すら笑いに変えようとしていた。
彼は差別を笑えなかった、だからひたすら自分の話をすることで笑いを創ろうとしていたのだと思う。
 テレビに出る話が来たとき、新しい話を考えていた、練習の段階では自分に銃口を突きつけて死ぬというのが筋だった。彼は最後まで理性を持っていた
だが、相手が全くこっちの話を理解しようとも聞こうともしていない頭のおかしな人間の狂言として捉えていた。おそらく話にならないと思い、理性を捨てたのだと思う。

Jokerとは切り札で、正しくもあり、悪にもなれる。
またピエロとは、悲しみを優しさで笑いに変える存在だ。劇中にチャップリンが流れたのも意味深い。

自分の生きてきた環境によって観え方が違う、というのは虐げられた事があるかどうかという点だ。
環境の違いによって、ただひたすらに恐怖しか感じないかもしれないし、嫌悪感を感じる映画だったと思う。

主人公にとっての本当の居場所、
僕らの居場所は、意志と選択、そして人によって変わる。彼はまだ本当の居場所を見つけてはいない、
結局は別の枠組み、作為に取り込まれたのだから。

僕にとっては無視できない深い映画だった。

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