平凡を恐れない
2020/10/30
生活が荒れ、心もささくれだっていた。今月は本当に荒れ果ててしまって、本を読むだとかラジオを聴くだとかちゃんとしたご飯を作るだとかが全然出来なかった。そしてまた生活を再開した。
いま長田弘の『なつかしい時間』という本を読んでいて、乾燥して炎症さえ起こしていそうな心に言葉が染み入る。なんてことはない、よく聞く言葉なのに。「もっとも平凡なもの。平凡であることを恐れてはいけない。わたしたちの名誉は、平凡な時代の名誉だ。」明日戦争だからと駆り出させることもなく、内戦で国を追われることもない。(コロナ禍ではあるけど)
そんな言葉を見た時に、特別でない毎日こそを書き留めたりするべきだと思った。特別ではない自分で作ったお弁当や、いつもと同じ抜け道、いつものお店のコーヒー。昼下がりに野菜を入れた袋を持ってゆっくり歩くおじいちゃん。ラーメン屋の店主とその隣のバーの店主が吸うタバコ。
昨日行った焼肉屋の隅で勉強していた女の子。お父さんはひたすらお酒を飲みテレビを見続け、ふたりの妹は座布団の上で器用に丸くなって寝ていた。時々、プリクラは盛れるまで撮るんだよ、1回400円などという言葉も聞こえた。もくもくとした煙、背後のうるさいテレビ、裸足のお父さん、勉強する娘。何かすべてがミスマッチで、でもすべてが収まるべきところに収まっている感じもした。
今日、十分に胃を休めてから午後パスタを食べに行った。レモンクリームパスタ、今月限定のメニュー。3日前の火曜日に同じものを食べて、美味しすぎてまた食べに行った。だって今月限定だし、自分では作れそうにないし。同じものを同じ角度で写真を撮ったら、別日とは思えぬ写真になった。そりゃそうか。
パスタを食べる前には気に入っている本屋さんにも行った。先日そこの店主の方が、わたしが働く古着屋の前を奥さんとまだ歩けぬ娘さんを連れて散歩していた。気が付いて挨拶をして、近所に住んでるんです、今日も13時からはお店開けます、ええみたいな話をした。オープン前で掃除をしていたわたしは、不意のオンモードにうまくスイッチできただろうかと後から不安にさいなまれた。
写真で撮ったら正確に記憶できるだろう瞬間が、日常にはたくさんある。それをわたしは言葉で書き連ねることで、不完全な記憶として留める。そんなことあったっけ?というようなことが、後に思い出すと何だか味のある特別な日常だと感じられるとわたしは知っている。
特別ではない毎日は、振り返れば特別な毎日のことであって只中にいるわたし達のほとんどはそれに気が付けない。平凡であることを恐れてはいけないと、長田さんがいうのであれば胸を張って書き連ねようと思う。