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原体験はユーミン

2019/03/08
昨日、ユーミンのライブに行った。母とふたり武道館。感動して泣いちゃうんだろうなと思ってたけど想像の5倍は泣いた。母にハンカチを借りて鼻水も拭いた。母は終始楽しそうで曲のイントロであ、何々だとか言ってはしゃいでた。チケット取れて良かったよ。

春よ、来いには特に思い出があって前奏が始まった瞬間、その頃に引き戻された。幼稚園の卒園式。最後にピアノ演奏されたのが春よ、来いだった。

家ではずっとかかっていた曲だったからああユーミンか、くらいの気持ちだったのだけどその日は体育館中の保護者が先生がしんみりしていて別の曲のように感じた。最初の歌詞に「いとし面影の沈丁花」とあるのだけど、沈丁花って何?って今じゃなくてもいいことが気になって仕方なかった。

泣いてもいいのよ、と母が隣で言うので周りをキョロキョロすると泣いてる子なんていなかった。ほとんどの子が同じ小学校へ行くし。泣いてるのは大人ばっかりだった。でも悲しい時は泣く、泣いてもいいということを春よ、来いを聞きながら思った。

大人になった今、改めて聞いて歌詞を見てみれば何と美しく儚く温度を感じる曲なのだろうと思う。「春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く」眼差しが肩を抱くだなんて、一生かけたって思い付けない美しい言葉。

ユーミンはダブルアンコールに応えて最後に言った。15歳の頃から曲を作って、19歳くらいから歌い始めて。歌うことに自信なんかなくて、でも運良くデビューできて。それでいつか誰もが知ってるような歌を書けたら歌えたらって。45年の間に色んなショーをやってきて結婚もして、皆さんが聞いてくれて歌ってくれて音楽をやってきて本当に良かった。それじゃあ最後良かったら皆んなで歌ってね。

ピアノ1本で、やさしさに包まれたならを武道館中の全員で歌った。ユーミンが歩いてきた45年の一部やあたしが歩いてきたこれまでや、母の歩いてきたこれまでを思って涙が止まらなかった。歌詞は全部分かるのに全然歌えなかった。ピアノさえ途中からなくなって、ユーミンとあたし達の声だけになった。

「優しさに包まれたなら きっと目に映るすべてのことはメッセージ」

武道館からの帰りも、次の日の朝も母は連れて行ってくれてありがとう。楽しかった、本当に良かったと言っていた。本物の音楽で育ててくれてありがとう。そのことで少し泣いたことはここだけの秘密。

#おやすみゆめであえたら
#エッセイ
#ユーミン

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