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メリークリスマス Dear バッハ
バッハの旋律を聴いた翌朝には
目力強めになる事で知られる男
髙橋です。
今後とも宜しくお願い致します。
今回のnoteは偉大なる音楽家
ヨハン・ゼバスティアン・バッハについて書かせていただきます。
私は幼い頃からクラシック音楽を聴いて育ちました。
クラシックが好きな母親の仕掛けで
嫌々エレクトーン教室に通っていた時期もあります。
クラシック音楽家の中でも一番好きな人物が
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/41564142/picture_pc_2407db4177a7158a64ca16dc80dce6f2.jpg?width=1200)
こちらは元祖ドヤ顔と言われた有名な画像です。
小学校4年生の夏休みの自由研究で、
バッハの研究をして彼への想いを原稿用紙3枚に書いたことがあります。
周囲から高い評価を得て、PTAの会議で話題になっていたそうです。
思えばこの頃から私のテキストライティングセンスは頭一つ抜きん出ていたのだと思います。
(ドヤ顔)
それでは本題に移ります。
【バッハの生涯】
バッハの父はトランペット奏者であり、
音楽の血を引く家系に生まれました。
彼は7歳でラテン語学校に入ります。
10歳の時に母親を亡くし、続いて父親も亡くしてしまいます。
孤児となったバッハは、修道院の給費生を経て
教会のオルガン奏者になります。
演奏スキル、作曲スキルを向上すべく
街から街への移動を繰り返しました。
やがて周囲から認められ、
音楽家として最高の地位を手に入れました。
その後、ライプツィヒ市の音楽監督の職を得ます。
バッハはそこで旺盛な音楽活動を始めます。
5年間にわたり、かなりの数の曲を作りあげたといいます。
そして今、私は飽きてしまいました。
正直こんなに早く飽きるとは思いませんでした。
6~7行目くらいから
このまま書き続けていいのかどうなのかの葛藤がありました。
書いていて面白くない記事など、私には書けません。
もう、頭がさらにおかしくなりそうです。
完
気を取り直して次回は
私が一番尊敬するプロレスラー
武藤敬司について書きたいと思います。
いぃーーやっ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/41564188/picture_pc_3004ad5f52fb2084e287050e2c79d4af.jpg?width=1200)