【ほぼ日妄言】《「ムラ」社会コミュニティの難しさ。。。》
閉じた小コミュニティ「ムラ」でのイザコザ。
イザコザの当人を無視すればイイじゃん!って思っていたし、最悪ムラを離れればイイじゃん!!と考えていたのだけれど、案外難しいのかもしれないなぁという話。
Twitterコミュニティの課題かもしれない。
僕としては、気に食わないユーザーはブロックすれば良いと考えている。
しかし「〇〇がブロックした」と被害者的に騒ぎ立てるユーザーがいるという。
まぁそんなクズ無視すればいいじゃん?って思うのだけど、厄介なことに周囲の人間がそのユーザーの「被害者的意識」に共感してしまった場合がある。そのコミュニティが「ムラ」だと、全く問題がないはずの自分が、苦手なユーザーをブロックしただけで村八分にされてしまうのだ。
じゃあそんな糞「ムラ」脱村してしまえと思うのだけれど、これがまた「ムラ」の厄介なところなのだ。
「ムラ」が築かれている理由が「推しコンテンツ」の時。村八分にされてしまうと、「推しコンテンツ」を愛するコミュニティに属せなくなってしまうのだ。つまり即売会のような布教活動ができないのだ。
まぁ実際、大半の人間は馬鹿ではないから「被害者的意識」の演出を演出と理解している。
でもリアルの即売会で隣のスペースで地雷源と出会ってしまったり、友人の友人が地雷源だったりして、居心地の悪さがあるのだという。
そういう厄介さを避けるために、その根っこにあるTwitterでの厄介を避けるのが、「ムラ」社会での生き方になってしまう。必然だ。
苦しい。
言ってしまえばコミュニティの為のコミュニケーション法なのだ。「推しコンテンツ」を楽しむコミュニティを維持する為の困難なのだ。
僕としては「推しコンテンツ」と「自分の属するコミュニティ」は関係なくて、一緒に楽しむ仲間は居たほうがいいけど居なくたっていいと思うのだ。
綺麗事かもしれないが、重要なのは「推しコンテンツ」と自分の関係性のみではないのか。
でも同人まで射程に入った昨今のコンテンツ展開がされている以上、楽しいコミュニティを捨てることは即ちコンテンツの数割を放棄するも同義だったりするのだ。
理想を言えば、全力で自分の推しを自分勝手に推しあえるコミュニティに属する事だろうが、少なくととTwitterの「ムラ」社会では実現可能性は低いようだ。。。
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