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保護者代表の挨拶を二つ返事で引き受けたわけ

「スピーチしたい!!!!!」

10年前、原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』を読み終えた私は、スピーチしたい願望にあふれていた。

この小説。平凡なOLが、伝説のスピーチライターに弟子入り。幼馴染が選挙に挑むにあたり、スピーチライターを依頼され…。というような話。

本に出てくるスピーチが素晴らしく、涙ぐむことしばしば。
さらに、どういうスピーチが良いかなど、具体的で勉強になる。

この本を読み終えた私は、めちゃくちゃスピーチしたくなっていた。

ただ、残念ながら、当時今後の人生でスピーチができそうな場面はなかった。

夫の転勤の辞令の翌日に出産し、翌月に引っ越し。
それから1年。やっと知り合いができたり、土地勘ができたりした頃だった。

縁もゆかりもない土地に住み始めたばかりの専業主婦の私が、スピーチを任されるチャンスは、ない。

まぁ、仕方ない。
私は過去の数少ないスピーチ経験を思い出してはしがんでいた。

初めてのスピーチは、中学のとき。
生徒会に立候補する友達の応援演説をした。
皆が真面目に演説する中、私は選挙カーよろしく、「〇〇、〇〇をよろしくお願いします!」と訴えてまわった。
これが、けっこうウケた。
私は、大人しくて真面目で、目立たない中学生だった。友達も少なかった。でも、大勢の人に話を聞いてもらえて、それがウケる、という初めての経験に、何ともいえない爽快感を感じ、ワクワクした。

次は就職活動の面接。
スピーチ、というほどではないけど、自分の予想に反して、いざ面接に挑むと、私はよくしゃべった。
大学に入って勉強をしなさ過ぎたのと、そもそも大学受験で完全に数学を捨ててしまって、頭が悪すぎたので、筆記試験で落とされがちだったけど、面接で落ちたことはなく、面接中に「きみと働きたい!」と言ってくれた方もいた。(でもそこはその後行われた筆記試験が絶望的に分からず、落ちた。)

そして就職してからの自己紹介。
同じエリアの同期の前で、これから一緒に働く人たちの前で。
これも、「おぉっ。」と言ってもらえることが多かった。
ただ、自己紹介の評判に反して、仕事はさっぱりできなかったんだけど…。

最後に、親友の結婚式での、友人代表のスピーチ。
今思えば、あきれるほど何の準備もせずに挑んだが、思いのままに話したのが良かったのか、これも評判が良かった。新郎の会社の上司にも「スピーチ素晴らしかったねぇ。うちの会社に来てほしいよ!」と言ってもらえて、すごく嬉しかった。

スピーチハイ、とでも言おうか。
聞いてくれている人が好意的な反応をしてくれる、というのは何ともいえない快感をもたらす。

あの快感をもう一度…!
この本の感動とノウハウを生かして、スピーチしたい…!

そんな思いがあふれたけど、人生でスピーチをする機会なんて、そうあるもんじゃない。まして、引っ越しの多い専業主婦には、死ぬまでない可能性の方が高い。

それから8年後。
また別の土地へ転勤し、3人目も生まれ、2人目が卒園を間近に迎えたある日。

幼稚園へお迎えに行くと、担任の先生がかしこまった様子で話し出した。
「実は、お願いがありまして…。」
「卒園式の保護者代表の挨拶を、お願いできませんか?」

き、きたー---------!!!!!

もう死ぬまでないと思っていたスピーチチャンス。
まさかの場所で到来した!!!

「はい!私なんかで良ければ!!!」

もちろん、二つ返事だ。

先生は、自分が依頼してきたはずなのに、
「えっ…!?」
という顔をしていた。

たぶん、こういうのは一度は断るものなのだ。
それを、「いやいや、ぜひお願いしますよ」なんて言いながら、先生が頼み込む、みたいなスタイルが定石なんだろう。

まして、ママ友も少なく、子供が目立って優秀というわけでもない私。
きっと萎縮して断ると思っていたに違いない。

それが、二つ返事で目を輝かせてOK。
そりゃ驚くはずだ。

でも、これを逃したら、もう本当に死ぬまでスピーチチャンスは訪れない。
来たとて、夫の葬式の喪主くらいか。それも、私が先に死んだら雲散霧消となる。

そんなわけで、その日はスキップしたいほどワクワクしながら、帰路についたのだった。

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