思い出を独り言
中学生の頃の思い出は、いじめ問題が大きいです。
私の立ち位置は、
いじめられっ子の友達
でしたかも。
といっても、私はいじめっ子からはいじめられず。
逆に守ってもらっていたとあとから聞いたり。
でも、いじめられていた友達は、とても悩んでいた。と思います。
いじめで転校してしまった友達、いじめでも3年間通った友達、不登校から立ち直った友達、転校してきた友達、小学校から仲良しの友達。
何だか仲良くしてくれて。嬉しかったです。
それでも、人間関係で悩む友達は多くてですね。
中学時代はなやんだ時期でしたねー。
無口でしたのもこの頃。成績があがったのもこの頃。人間関係になやんだのもこの頃。
そんな、中学生時代でした。
それで、どうして私がいじめられていた子の友達でいられたかですけれども。
よく分からなかったのですね。
陰湿な陰口での笑い声を、ダジャレかな? と思っていました。後で聞いて、びっくりしました。
助け方とか、分からなかったです。
ただ、友達だから、普通に接していただけでした。
たぶん、私への悪口もあった可能性もありますが、気づいていないので、無傷でした。あるいは、だれか助けてくれていたのかな。わかりません。
いじめの構造は、知りませんけれども、私の認識によると、
いじめる人、
いじめられる人、
みてみぬふりをする人、
がいるとのことです。
私は、どれも違うようで、いじめられっ子の友達、という色合いが強かったのでは、と思います。
でも、いじめる人の話をちゃんと話を聞くことはできました。
いじめる人の言い分は、ワガママ、とか、自己中、とか、人をふりまわすとか、なんとか言っていた気がします。
でもそれで、悲しませるいじめするのは、良くないな、と思っていました。
それで、私はそのいじめる人とそれ以上共感はできませんでした。
いじめられる子の方は、とても苦しんでいました。
私もどうしたら良いのかわかりませんでした。
そこで、とりあえず、普通に友達でいた、ということでした。
ある日、スクールカウンセラーの方がいじめられている子と相談されていました。
私もその時は付き添ってました。
それで、帰るときに、よねさんは大丈夫ですか? と聞かれました。
私はびっくりしました。今まで私を直に心配していると言われたことがなかったからです。
私はとっさに、大丈夫ですよ。とへへっと笑いました。でも、心の底では、あ、この人は気遣ってくれたのだな、と、とても心があたたかくなった記憶があります。
いじめる人に、もやもやがある、こともあるでしょう。しかし、それをぶつけるといじめられる人を、とても傷つけます。その周りの人々も悲しみます。
人は誰でも満たされない思いを持ちながら歩いています。
それは、人にぶつけることで解決はしません。人へ優しさとおもいやりをもって、はじめて癒えてくるものと思います。
だから私は今でも、優しさを大切にしたいです。
優しい連鎖を、地球中に巡らせたいです。
読んでいただきまして、ありがとうございました。