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おはぎと女の子

夕方の散歩を、「雨が降りそうだから」という理由でいつもより少し早めに行った日のこと。

おはぎの散歩コースはいくつかあって、その日おはぎが行きたがる方に行ってもらうことにしているのだけれど、その日の散歩コースには、途中三つの公園があった。そのうちふたつの公園は犬立ち入り禁止なので、おはぎはいつもそこで遊ぶ子供たちを羨ましそうにみているのだけれど、ときたま公園の中から小さな子どもが「わんちゃん!」と声をかけてくれたり、犬が入っていい比較的広い公園では、小学生たちがたまに、「一緒に鬼ごっこする?」なんて聞いてくれたりする。(飼い主の体力がもたないので丁重にお断りする)

その日はちょうど三つめの公園に差し掛かった頃、公園を出てきた親子と出くわした。

アレルギーなんかもあるし、そもそも犬自体を怖がる子供も多いので、ちょうど歩く方向が同じだったのだけれど、すこしだけスピードをゆるめて親子を追うような形で進むことにした。幼稚園の制服を着たちいさな女の子は、あかるくおしゃべりをしながらお母さんと楽しそうに歩いている。子どもがすきなので、怪しまれない程度に「ほほえましいなあ」とその光景をにこにこ眺めながらおはぎを連れて、ゆっくりと歩いていた。

ふと振り返った女の子が、おはぎを見て目をきらきらさせて立ち止まったのは、それからしばらくも経っていないころ。立ち止まって、「わんちゃん!」「かわいい!」「さわる!」と明るい声で女の子が告げる。栗色の髪をふたつ結びにした、くりくりした目をした女の子。


ほんの少し開いていた距離は、わたしとおはぎが近づけばあっという間に近づいた。飛びつかないとも限らないので、リードを短く持って、「おはぎだよ」と挨拶する。おはぎ、2歳。柴犬のおんなのこ。女の子はにこにこ笑って、おとなしく座ったおはぎの背中を、そうっと撫でた。

わたしといえば、尊いものと尊いものが触れ合うようすに、密かに感動していた。おはぎを撫でる女の子の手つきはとても優しいし、おはぎはおはぎで、犬相手にはあれだけ飛び付きたがるくせ、子ども相手にはなかなかおとなしくしている。普段おはぎは子供と触れ合う機会などほとんどないが、たまにこうして子供と触れ合うとき、「子どもを子どもってわかってるのかなあ」という感覚に陥る。もちろん何かあってからでは遅いし、細心の注意をはらうのだけれど。


そこから次の曲がり角まで、おしゃべりしながら進んだ。女の子は数歩歩いてはおはぎを撫で、喋りかける。お母さんはずっと苦笑していて、わたしはずっとにこにこしていた。

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帰り際、おはぎにバイバイ!した女の子が、おはぎの背中に手に持っていた小枝をプレゼントしてくれた。

わたしも幼稚園くらいのころ、こういう枝とかどんぐりとか、トゲトゲの実とか、赤い葉っぱとか泥団子とか、そういうのがすきだったな。

当時住んでいたアパートの道向かいに同じようなアパートがあって、そこに同じ幼稚園に通う同級生の女の子がふたりいた。転校してすっかり疎遠になったけれど、その二人と毎日のように空き地で「探検ごっこ」をしたり、泥団子をどこまでピカピカにできるか、みたいなことに全力を出していたころのことを思い出して、なんだかふたりに会いたくなった。数年前、偶然連絡を取り合って、三人で集まったことがあった。すっかり三人とも大人になって、目指している場所も、すきなものも、全然違った。あの頃は三人とも同じものがすきだったのに、なんだか不思議だ。

大人になったわたしにとって、この小枝はただの「小枝」なのだけれど、あの女の子にとっては短い間一緒に過ごした犬の友達に、「ありがとう」と言って渡せるくらい価値があるものだったんだろう。そう考えるととてもうれしくておはぎに渡してみたのだけれど、一瞬口に入れてすぐ「ぺいっ」とした。

アパレルをしていると、お客様のお子様から思いがけないプレゼントをいただくことがある。穴の開いた葉っぱにどんぐりに、お手紙に。そのとき口から出る「ありがとう」ほど、心がこもったものってないかもしれない。誰かの宝物やまごころを「こんなゴミ」なんて思うような大人には絶対になりたくない。小枝も葉っぱもどんぐりも、コートのポケットに入れて大切に持ち帰った。

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小枝は、おはぎはぺっとしたので、わたしが預かることにした。いまだにポケットに入ったままである。

嬉しかったきもちと幸福だった気持ちを残しておきたくてしたためた。世知辛いこともたくさんあるけれど、意外と世の中、やさしさとかしあわせであふれている。

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ohagi
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