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10/7

朝、猫の容体が悪く、会社を休んだ。
(申し訳ないけれど、これはもう私が何よりも大事にしていることだから。幸いにも仕事の方は何事も無かったようで良かった。)

2匹のうち1匹は、6月頃に体調を崩してからずっと病院に通ってきた。腎臓が悪くなり、排便が難しかった。水分と栄養と腎臓病ケアの点滴をしてもらって、便秘の薬を飲み、めやにや目の傷のために目薬もさしていた。

先日20歳と書いたけど、正しくは19歳だった。19年もの間、大きな病気や怪我もなく本当に健康そのものでいてくれたんだ。ここにきて、慣れない薬を飲んだり注射をされたり、時には辛い思いをさせてしまったかもしれない。

それでも、6月の体調を崩した時にはもう動かず、水もご飯もとれず、ああもう死んでしまうのかもしれないと思った。家族全員が覚悟をした。それが信じられないほどに回復したのだ。わざわざ遠方から帰省してくれた兄も、もう間に合わないかもという話だったのに元気な姿を見ることができた。


朝の様子は、あの危機を彷彿とさせるほどぐったりしていた。この数か月、体調に波はあってもここまでのことはなかった。だから猫を理由に会社を休むのはあれ以来初めて。会社には自分の体調不良だと伝えたけど。

毛布を持ってきて、横で寝た。昼間は少しベッドの方で寝たけど、その後から夕方にかけてもずっと横で寝ていた。朝、自分から起きて水とちゅーるを一袋なめれたものの、その後はもう水もなにも口に入らなかった。少し注射器で水を飲ませてあげたりはしたけど、首を背けるものだから、嫌ならあまり無理もさせたくなかった。

18時頃、母が見舞いに来てくれた。突然の来訪が嬉しかったのか、少し動いたりもした。兄にも連絡しようということで、テレビ電話で兄の顔が猫にも見えるようにしながら話した。この子は兄にとても懐いていて、兄もこの子をすごく可愛がっていたから。電話中も画面を見るように目をひらいて、時々腕を動かしたりした。

本当に今までよく頑張ってくれた、あとはもう猫自身が望むように、頑張りたいなら頑張ったらいいし、しんどいならもう無理をしなくていいから。とにかくありがとうを伝えようと、そういう話をした。兄が大丈夫と言えば、大丈夫になるような気がした。

「水やご飯が食べられるなら食べるんよ」と声をかけて兄が電話を切った後、猫が起き上がりたいというように顔をあげたので支えてあげながら水を口元に運んだら、本当に水を飲んだ。それもたくさん飲んだ。奇跡だと思った。兄の言葉にこたえようと、生きようとしているんだ、と思った。

弟にも連絡した。弟は21時ごろまで残業していて、やっと家に着いたというのですぐテレビ電話をして様子を伝えた。猫はもう本当にぐったりとしていたけど、兄の時のように画面越しの弟を見て、時々腕を動かした。弟の声も、兄の声も、ちゃんと猫に届いていたと思う。

夜、父も自室で横になっていて、私は変わらず猫の隣で横になってスマホを見ていた。時々猫の様子を見て、掛け布団をめくっては息をしていることを確認していた。23時過ぎ。ふと目をやると、首が上を向いていた。首の下のタオルを戻してあげようと顔に触れて分かった。死後硬直だと。

口を開いて、喉を伸ばして、空気を吸おうとしていたのだと思う。もう息をしていなかった。腕も足もかたくなり始めていた。急いで父を呼んだ。


にわかには信じがたかった。
時が止まっているようだった。
あまりにも静かな別れにどうすることもできなかった。
父と顔を見合わせて、お互いに、亡くなったのだと実感した。

もう一匹の猫は、まだ何も分からないというようにあたりをうろうろしていた。ご飯でももらえるのかなというように。その背中を撫でてやりながら、働かない頭で何を考えていたのかもはや分からない。

生前の姿を思い出して初めて涙があふれてきた。元気に走り回る様子、膝の上で丸くなる姿、ごはんをガツガツ食べる横顔。ここで今、横たわっている猫は、こんなにもたくさんの思い出と幸せをくれた。亡くなってしまったのだ、今日。ただそれだけが明らかなことだった。

どうしてもっとはやく気付いてやれなかったのだろう、もっとずっと見ていたら最期の瞬間に呼びかけてあげられたかもしれないのにという気持ちもあった。でも、それ以上に、この子が静かに亡くなったのだということが、この子の選んだ最期かもしれないと思った。それから、家族全員が今日、この子に声をかけてあげられたこと、この子の様子を見てあげられたことが本当に良かった、と思った。

家族全員に連絡をして、兄とはビデオ電話で、弟と母は直接家に来た。弟は比較的近くにいながらも最期の日に直接は会えなかったこと申し訳なかったが、先日の帰省でたくさん一緒にいることができてそれだけでも本当に良かった。待っていたんだと母が言った。みんなに挨拶するために、頑張って待っててくれたんだって。本当にそんな気がした。みんなに挨拶できて、ほっとして、安らかに眠れただろうか。

10/7。お祭りの日に、あの子は旅立った。
家族がそばにいる時に。
さいごのさいごまで、優しい子だった。

ありがとう。ありがとう。ありがとうしかない。
あなたと一緒に生きられて本当に幸せだった。





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