中絶した①
1月31日に中絶手術を受けた。
今割と辛いのだが、事実と、自分の感情は、忘れてはいけないと考えている。
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妊娠が発覚したのが、1月中旬である。
生理が若干不順気味なのが続いていたので、ついでに低用量ピルを処方してほしいな〜ぐらいの気持ちで婦人科を受診した。
が、妊娠しているからそりゃ来ませんよというオチだった。
全くそういうつもりで行ったわけではなかったし、心当たりもうっすらとしかなく、「いやあれで妊娠すんの!?」と、ものすごく驚いた。
妊娠のことを聞いたときは、すぐに医師に「産めません。堕ろすと思います。」と伝えた。中絶する気だった。相手にもそう伝えるつもりだったし、話し合ったところ、相手も育てられないとのことだった。
中絶の方向で話を進めることになった。
金銭面でいうと、ちょうど奨学金を繰り上げて完済したところで、100万以上飛んでいっていたり、賃貸の契約も更新の時期で、かなり貯金が少なくなっていたり、という時期だった。
また、社会人になってまだ2年目で、子どもを産んでしまうと自分の時間もお金も全て奪われてしまうだろう。相手との結婚もほとんど考えていないし、出産は現実的な選択肢ではない。中絶することが、現時点で最も経済的かつ合理的なのである。
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と、割り切れたらどんなに楽だろうか。
初めはそう考えていたし、そうするより他ないと思っていた。
こういうタイミングで性教育をしなければならなかったり、子どもたちが「生まれる前のわたし」「生まれたときのわたし」とかについてインタビューしたりしてくるのである。
ああ、この子たちはこんなに愛されて育てられてきたんだ、生まれてきたんだ、というのをまざまざと見せつけられた。
外を出ているときも妊婦さんや小さい子がものすごく目につく。見てしまうのだ。
私の勝手で妊娠したのに、きっとたくさんの人に「おめでとう」と言われ愛されるであろう小さい子の未来を、私の勝手で奪ってしまうことにものすごく罪悪感を覚えた。流産してくれたら、勝手に死んでくれたらどんなに楽かと考えてしまう自分も本当に嫌いになった。人として最低である。
仕事柄、子どもと接触しないわけにはいかない。中絶したらこれからずっと、目の前の子どもたちや保護者に「あなたたちは経済的にも余裕があって、タイミングも悪くなくて、愛されて産まれてきてこれてよかったですね。」と、きっと、ずっと、卑屈な目で見てしまう。
時間が経つにつれて、「中絶するしかない」という考えから、「産みたい」に変わっていくのである。多分男性にはわからないと思うが、本能がものすごく抵抗している。夜になると悲しくなって、声を上げて泣いたときもあった。基本的にあくびでしか涙を流さないのに、かなりしんどかった。
管理職や親しい知人には妊娠のことは言ったものの、家族には伝えていない。私はこれから、このことはずっとひた隠しにして、後ろめたい気持ちを抱えたまま生きていくんだろうなと思った。それもしんどかった。
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延々と気持ちのことなら書き連ねられるので、とりあえずこの辺で。
また今度手術のことについて書きます。
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