卒業論文
妹が卒論の提出を終えたらしい。
私も初稿の提出はお年始だったな〜と少し懐かしい気持ちになるなどした。
もう一度アウトプットしておきたいと思ったので、残しておく。
研究テーマ
私は教育学部なのだが、社会科学科の西洋史ゼミに所属していた。やっていること自体は文学部の史学科と同じようなことをした。全く教育に関係ないのである。
ナチズムに興味があったので、そのあたりで書こうとしていたのが、3回生のころである。3回生のゼミ発表では、ニュルンベルク裁判の成立あたりのことについて発表をした。卒論ではそれを掘り下げようと見通しを持っていたからである。しかし、普通に行き詰まってしまった。
方向転換をし、ライプツィヒ裁判という戦犯裁判について書くことにした。めでたしめでたしである。
なかみ
はじめに
ライプツィヒ裁判というのは、第一次世界大戦後に行われた戦犯裁判である。山川の世界史の教科書には記述がないレベルである。インターネットにも大した記事がない。
なぜこんなことになっているかというと、ザコ裁判だったからである。
当時のドイツ皇帝であるヴィルヘルム2世や戦争犯罪人を、連合国側は訴追してどうにかしようとしたのだが、どうにもならなかった。結局十数名ほどが起訴されるものの、半年ぐらいの禁固刑の判決を出し、閉廷してしまった。連合国側としてはかなり不本意な終わり方なのである。
話は変わり、戦犯裁判といえば、ニュルンベルク裁判や東京裁判である。そうでない人もいるかもしれないが、そういうことにするのである。
「勝者の裁き」「文明の裁き」論はご存知かもしれない。これまでの論争として、判決結果のみで判断した二項対立的なものが多かった。それは仕方ない部分もあって、そりゃあ、国家指導者が軒並み戦勝国によって処刑されたら、ムカつきますよ。
という感じで、著名であるはずのニュルンベルク裁判や東京裁判の研究も、史学的なアプローチをもとにしているかというと、若干怪しいところがある。
そこで、私は、ライプツィヒ裁判がザコ裁判ではないと信じることにした。
信じることによって、その後の戦犯裁判へつなげようと試みたのである。
おわりに
本論は記憶にないので、省く。
論文で大切なのは、「はじめに」と「おわりに」ではなかろうか。
ともかく、ライプツィヒ裁判はザコ裁判ではあったものの、かなり重要な先例となった。
そもそも「戦争犯罪」という概念自体が、被害がエグいことになった第一次世界大戦の頃から出てきたものなのである。したがって、「戦争犯罪」をどう規定するのか、どう処罰するのかなど、当時の司法の枠組みを超えた問題として立ち向かっていかなければならなかったのである。
そして、ニュルンベルク裁判開廷にあたって、ライプツィヒ裁判の経過がかなり注視されていた。ザコ裁判と同じ轍を踏まないためにも、ニュルンベルク裁判開廷にあたっては、色々と検討されたのである。
ライプツィヒ裁判はザコ裁判ではあったものの、そこから教訓を得るところが大きかった。みたいなことを書いて終わった気がする。信じると、卒論は書ける。
参考文献
芝健介には本当にお世話になった。まじでありがとうございます。長生きしてください。これからもよろしくお願いします。
芝健介/ニュルンベルク裁判
あと、クロードムーリンみたいな名前の人。読めない。インターネット上に全文アーカイブが載っていたのだが、見つけられない。
ディープルにぶち込み、全ページ和訳をした。自分で訳す技量はない。
言い訳
史学科でもなんでもないので、ガバガバな研究である。
でも先生に「あーたの文章がいちばん読みやすいねぇ」と言っていただいて、とにかくすごく嬉しかった。だからオールオッケーである。
3億円ほしい