分裂小説「紫陽花」
まず、私が三年間つけまわしていたあの淫売の娘の話から始めよう。
淫売の娘は毎朝五時に帰宅する淫売の母に卵粥を作り、あかぎれた指で残飯と食器を片付け、ひとしきりの罵声を浴びてから五時五十分にアラームをセットして床に就く。
五時四十九分に飛び起きてまだ鳴らないアラームを止め、その小さな小さな口の端からこぼれ落ちそうになる希死念慮を噛み潰してから、薄っぺらな布団をもっと薄く平らにする。
それから、それ以外は何も入っていない、ひどく軽い勉強机の一番上の棚を開け「名前ノート」を取り出す。そこに彼女が唯一書ける二つの文明文字を使って自分の名前を書き込み、ノートは元の位置に戻される。
生まれてから一度も欠かしたことのないこのいじらしい習慣のせいで、彼女は自分が何者なのかを忘れられずにいた。彼女はシロという名前だった。
シロは白痴の隠語である。それから、シロは淫売の母が昔飼っていたトイプードルの名前でもあった。
淫売の母は、淫売になる前、どこにでもある中小企業でどこにでもいる男と出会い、どうしようもなくつまらない恋に落ちた。
二人はよく犬のことで揉めた。男は保護犬を引き取りたいと言った。女はペットショップで犬を買いたかった。
女は、保護犬を引き取りたいと言う男をひどく軽蔑した。犬ではなく自分を愛している醜い男を見つけた女は、自分もこの男ではなく自分自身を愛していたことに気が付いた。
次の日から女の腹には嫌いな男と嫌いな女の作った子供がいた。それから十月十日を経て、シロは「シロ」が産まれる十五分前に水疱瘡で死んだ。
「シロ」に出会った頃、私は三十一枚の紙を三十枚に数え間違った罪で、ある大いなる存在から追われていた。正確に言うと彼らはいつも私の傍に居たのだが(私の人生の狂言回しでもしているつもりなのか?)、私を司法に突き出すでもなく、命を奪うでもなく、私自身の呵責が私を殺す為のお膳立てをしてばかりである。まるで私の人生の狂言回しでもしているかのように。
例①:私が風呂場に行くと、ドリルの先端のようなものが回転する音を鳴らす。
例②:私がトイレに行くと、大きな声で電話を始める。
例③:常備薬の置き場所がいつも変わっている。一昨日など三キロも離れた公民会の炊事場でそれは見つかった。
例④:鏡に細工をして、私が映ったときだけ私の顔でない別の(いかにも数を数え間違いそうな、目の細い、見当違いの)何者かを映し出す。
例⑤:家のソファでジッとしていると、突然体が巨大化して街を見下ろすような巨人になったり、逆に座面と背もたれとの谷間に吸い込まれるように小さくなってゆき、最後には消えて無くなってしまう。
例⑥:そのとき、確かに体は無くなったが、「体が無くなった」ことを認識している何者かの存在をほとんどゼロ距離に感じる。(あえてゼロ距離と書いたのは、体が無くなった今、その内外を示すあらゆる言葉は断罪されるべきだからだ)
例⑦:例①、②について、これらは私の行動に追従して行われている嫌がらせのはずだが、いつの間にかこれらの嫌がらせに追従して私が行動しているかのように因果を逆転させ、すべて一人相撲にしたてあげの刑によって私を裁こうとしている(私の姓は、家族経営の裁判所としては最も歴史の古い「⚪︎⚪︎裁判所」の一家のそれと酷似している)ことは明らかな事実である。
以上の結果から私の自我同一性は脅かされ、私と私以外のもの・ことの境界線は漸次的に消去され、私の天使が私を殺すよう私自身がそそのかしを行っているのだ。
ヘンゼルとグレーテルの兄妹は、自らが蒔いたパン屑を辿って帰るうちにスーパーエゴの牢獄に閉じ込められてしまったというが、私のそれはリンボの地平線のように無限の円環構造で以って私を四次元的永遠に抱き寄せている。
そんな私にも比較的調子の良い日があって、あの日は確か左右バラバラのスパイクシューズを履いて散歩に出ていた(ご存知の通り、人は左右バラバラのスパイクシューズを履いて出歩くことがある)。気温が摂氏六度を下回ると下着泥棒は稼業をやめると言われているが、あの日もそんなひどく冷える日だった。
目的地は近所の小学校。私の膝丈ほどに顔をつけた子供たちが、放課のチャイムと共に昇降口から駆け出してくる。私は校門から少し離れたところでじっとそれを眺めていた。
三十分の間に計百五十七人の子供を吐き出した昇降口は、思いを遂げたファルスのように萎びて大人しくなった。数年前からインポテンツになった私はこうして代理オルガズムを探し彷徨うことが日課となっている。知恵とチンポは現世で使え、とは誰の言った言葉か。私は今回の生ではどちらとも使えそうにない。
シロは、そんな弛緩した海綿体状校舎の尿道で、曇ったガラス戸に自分の名前を書いていた。その指先には彼女がいつも見せる恥じらいめいたものはみとめられない。彼女の指はどんな季節風よりも気儘に曇りを溶かしてゆく。その透明な隙間越しに私たちは出会った。
私たちは海沿いのモールで遊んだ。広大で永遠で(この瞬間も無のおしくらまんじゅうを繰り返す宇宙のように寂寞とした)使い捨てのはずが捨て忘れられた超施設。家庭と社会に育児放棄された娘はこの余剰空間で私と親子だった。
7Fはいつも薄暗く、蚤の市に並ぶ開光虫のペンダントだけがうっすらとその痩せた腹部を光らせている。
無人レストランで紫陽花を食べたシロが、それは球根植物かどうかを私に尋ねた。私はそれを知らなかったが(正確には「それを素直に話してしまった途端目が覚めてしまうような気がして」)それは勿論球根植物だろうという旨の回答をやった。すると彼女は満足げに、前食べたユリ根と同じ味がしたからきっとそうだと思ったと言ってニッコリ笑った。
ところで、私がその花について本当に知っていたのは別のことだったので脅かすつもりで彼女に話してみたが、それはすぐにつき返されてしまった。なんでも雨のよく降る地域のそれは毒を持たないらしい。花弁の色が変わるのも塩基と酸のつりあいで、降雨の頻繁な地域では雨水に含まれる酸を多く吸い上げることで塩基が中和され、多くの人の心配するようなことは起きないのだと言う。(しかしこの会話は、自分の名前しか知らない筈の白痴の娘と交わしたものとは考えにくい。大方、過去の誰かが発したこだまだろう。)
少女はすこし喋りすぎたことを恥じ、弁明に私の手の甲を撫でた。(これもおかしい。初潮も迎えていない少女には、このように恥じらいを性的に換言するような高度の精神構造はない。)
そうして我々は二人でいるべきときに二人でいるだけで充分だった。
☆
「なるほど、それが君が犯した少女と君の出会いか。」
O尋問官は禿げた頭に霧を吹きかけながら重い調子でそう言った。
「しかし、私が聴きたいのはそんなことではないのだよホドラー君。わかるね。」
巨大スクリーンに映し出された16対9比のO尋問官が両手を広げる。スクリーンが大き過ぎてアスペクト比が狂っている。彼の右手指は外側に向かうほど長くなっていて今にも画面からはみ出しそうだ。
「もう出よう」横に座っていた友人が私に目配せした。私も随分前から映写機の光河を流れる埃の方に集中していたから丁度いいタイミングだった。
☆
「それにしても酷い映画だったな。これを映画と呼んでいいものか。ずっと白菜の一番外側を食わされているような気分だったよ。」
劇場の戸も閉じきる前に彼は批評を始めた。
「私も同意見だ。終始主人公の説いていた真理はドクサに過ぎない。人物描写も冗漫だから何をしても上っ滑りだ。特に小型犬のシーン。普通、犬を持ち上げて腹の下にあんなものを見つけたらもっと戦慄してもよさそうなものだが…」そういうところが陳腐だよな。そう言いかけて私は閉口した。振り向いたO尋問官の間延びした右手に、もっと間延びした糸鋸が握られていたからだ。
「続けたまえホドラー君。伸び伸びやってくれたほうがこっちも心を痛めなくて済む。」
O尋問官は濁ったタバスコで鋸の刃を消毒しながら恐竜のように無意味な瞬きをした。その目に潤いはない。嫌悪を多分に含んだぬかるみがあるだけだ。すべて命をもつものは例外なくぬかるんでいる。それは生者だけの持つ特権であり、誰しも死へ向かう直前に全てのぬかるみを回収される。その回収業者が彼である。私の命の泥は、もう半分以上この男の瞼に回収されてしまった。
私と友人は、飲み残したコーラとホットドックの殻を遠心分離機に投げ込み、足早に劇場をあとにした。
☆
私たちが足を止めたのは凍てつく寒さも和らぐ三月のことだった。
「ここまで来れば追ってこれまい。」
豪胆な友人と違って、シロは死んだミノムシのように怯えていた。シロは心身ともに限界がきているようだった。私の残金も残りわずか。友人と合わせても今夜の宿代には到底届かない額だろう。どこか、彼女を休ませる場所を見つけなくては。それから風呂だ。我々は三人とも腐ったバスタオルのような臭いを発していた。
「おい、ミューラーリアの錯視は知っているか?」
石三つ分沈黙を守った我々をよそに友人は続けた。
「同じ長さの線分の両端に内向きの矢をつけたものと外向きの矢をつけたもので長さが違って見える錯視のことだよ。
これは四角い建造物に住む俺たち文明人にしか起こらない錯視だ。俺たちは生まれた時から環境レベルで幾何学的遠近法を刷り込まれているから何を見るにも角度をとっちまう。
だがな、人間の手作業によって作られた有機的な形の家に住む未開人達には、生まれた時からその遠近感が無いから線分の錯視も起こらない。これを構築世界仮説と呼ぶらしい。」
クソ野郎め。俺は黙っていられなかった。
「それで、ロバみてえに歩き回って死にかけてる俺たちに講釈垂れて、テメエは結局何が言いたいんだ?」
「つまりだ、大工がこの世の見え方を決めちまってるってことだよ。お前ら随分と大工を馬鹿にしていたようだがな、もう少し接し方を考えた方がいいぞ。奴らが全員デタラメなビルを建てたら、産まれてくる子供達はモナリザを捨てちまうだろうからな。」
チッ!俺はこのときほどコイツと友人をやっていることを悔やんだことはないだろう。
「いつ俺たちが大工を馬鹿にしたってんだよ、え?デタラメなのはテメエの記憶だろうが。錯視?自虐をやってんならもっとわかりやすく言いやがれ。ここで死にかけてる白痴のガキにも伝わるようにな。」
口角泡を飛ばしながら真っ赤になった俺はカニみたいだったが、これ以上このシゾ野郎が口を開くことはなかったのでホッとした。
それにしても妙だ。
俺は元々何をしてこんな風に追われているのか思い出せない。
そもそも誰に追われているんだっけ。
いや、追われているのかさえ怪しい。
そして何故これを妙だと思ったのか。
妙な感覚が湧き上がったことは事実だが、その出処は判然としない。そもそも感覚がどこかから湧き上がるという考え自体間違っている気がする。
感覚の方が先に在った。ずっと前から存在していた感覚に、俺が生まれ、俺が育ち、俺が追いついた。感覚それ自体は火のようなもので、燃え移る何かがないと目に見えない。俺は火を灯すための蝋燭だ。蝋燭が溶け切ると火も消えるが、火は条件さえ揃えばいつでも生まれ得る。火はいつでもそこに在る。媒体となるものは蝋燭じゃなくたって、紙でも、木でも、なんでもいい。感覚とはそういうものなのではないか。
だが次の瞬間、これらは全て俺の杞憂だったことがわかる。俺たちに追いついた奴の顔を見て全てを思い出した。俺は確かに追われていた。そして俺の罪も。
俺は年端のいかないガキに紫陽花の球根を食わせて殺した罪で追われていたのだ。ガキの名はO尋問官といって、大工と淫売の間に生まれたスパイクシューズみたいなガキだった。
小学校の教師だった私は、毎日学校をサボって映画館に入り浸っているシロとその友人に嫉妬し、清掃員の特権を利用して彼女の飲み残したコーラに精液をかけることでなんとか自分自身を保っていた。そんなクソみたいな毎日の中で私は狂気を積滞させていった。
あの日、私はいつものように映写室で丸つけをしていた。ガラス瓶に閉じ込めた開光虫の腹がぼんやりと光って手元を照らしていた。三十人分のテスト用紙に百点を書いて、もう手元に紙がないことに気が付いた。
私はパニックになった。我が軍は総勢三十一名からなる。しかしそれは司令である私を含めて三十一名なのか、私を除いて三十一名なのか、全くわからなくなってしまったのである!
そして、あろうことか私は乙女座だった。乙女座にとってこの手のミスは最もプライドを傷付けられる。ああ、牡羊座だったらよかったのに。牡羊座だったらどれだけ気持ちが楽だったかわからない。私は母の生理周期とカルデアの羊飼いたちを呪った。
しかしどれだけ悔やんでも生まれ月は変わらない。人のせいにしてても始まらない。私が受精したのが悪いんだ。そう思うことにしよう。
そうだ、私が生まれてから母はおかしくなった。
母は元々動物好きな優しい人だったのに私が生まれてからは馬券の一枚も買わなくなった。毎日リビングに寝そべってテレビ局に自分のサインを送りつけてばかりいる。母が狂ったのは私のせいだ。私が生まれたせい。
それに母が今あんな仕事をしているのは、私という、男性器よりも遥かに大きくて太いものをひねり出したからだろう。きっと母は、あのときの快楽をもう一度味わいたくて、だから風俗なんてやっているんだ。母は私を産んだことを後悔していないと言ってくれたけど、それはきっとそういう意味だろうと私は解釈している。母親というものは皆、こぞって色気狂いなのだ。
お母さんのバカ!
ヘンタイ!!
キモいんだよ!!!
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そして、産んでくれてありがとう…。
(母に捧ぐ)