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なんだか疲れたな、の日▪︎文

こんばんは。

今日のこと、
やる気が枯渇した日の過ごし方。

なんだか疲れたな
なんにもやりたくないな

大きな出来事があったわけでもないけど
日々何がが蓄積されていく
はたまた、
すり減っているのかもしれない。

そのことにすら気づかないふりをして
日々を生きていると
どうにもおかしいことになる。

自分の心を遠くにやっているのに、
それでも身体や意識は
自分というものを運用してくれる。

ありがたいけど、
それができてしまうから困る。

もっともっと自分の心が遠くなると
病気とか事故とか
えらいことになるんだと思う。
過激に、
「 気づいてよ 」を仕掛けてくる。
心のストライキ。
人生で何回もそういうのやってる。
ごめんね。

今回はわりと初期段階。

とりあえず
なーんもやりたくない
に従うことにした。
これもまた難しい。
人はがんばっているのに、
全然出来てない自分なのに、
と休むことに対する不安、罪悪感。
それでも休みたい心に従う。
だって、きついんだもん。

第一段階クリア。

次は、休む言い訳探し。
ただ休みたいだけなんだけど、
それだとかっこつかないから
近くにあった手頃な材料を探して
せっせと言い訳を作る。
ただただ、
疲れていて
休みたいだけなのに
なんだか複雑にしてしまってる。
そのことにも気づいたら
ごにょごにょ言ってる自分をなだめる。
いいよ、休んでいいよ。

第二段階クリア。

次は、
休むにしてもなんかやろうよって、
生産的なことをしていないと
落ち着かない自分がうるさい。
そういうのもうやめましょうね。
だから、疲れるんですよ。
本当の本当はどうしたいの。
焦らずに聞いてあげる。

こんな感じで、
ただ疲れた、休む、にしても
一筋縄じゃいかない。

「人間は考える葦である。」
フランスの哲学者パスカルの言葉。

よく言ったもんだなと思う。
休んでても
こんだけ脳みそまわしてる。
人間としての宿命であり
よろこびでもあるなと思う。
この機能がある限り一生退屈しないな。

こうして丸一日を
ほとんど寝て過ごした。
太陽の光が眩しいな、
と一瞬意識を取り戻し、
次の瞬間真っ暗な夜。
ああ、夜かあ。
夜に来た。
そんな感覚。
私は動いてないのに、
世界は動いている。
でも私を置いていかないで、動いている。
寝てようが
何もしてなかろうが
どれだけ不安で罪悪感があろうが
悲しかろうが苦しかろうが
一緒に連れていってくれる。
安心した。

一日、何も食べてない、
お腹が少し空いている。
昨日の夜、
まだやらなきゃってなってた頃、
豚肉をひとかたまり塩漬けにしておいた。
それを焼こうかなと思った。
えごまの葉に巻いて食べよう。
梅干しをほぐして、わさびも添えて
ごま油を垂らして食べよう。
この食べ方は
友人宅で食べさせてもらって習得した。
すごくおいしくて、
家で7回くらい再現してる。
何回やっても感動する。
しみじみとおいしい。
今日はとびきりやさしいのがいいから
お味噌汁も作ろう。
昨日安かったにんじんの葉とわさび菜。
いつもなら味噌を丁寧に溶かすけど
今日はもうめんどくさいので
かたまりをぼとりと入れる。
それでも溶けてくれたし、おいしい。
最後に
業務スーパーのごまペーストを
ひと掬いお味噌汁に入れる。
これもまた別の友人宅で
食べさせてもらったやつ。
おいしかったひと工夫。
いろんな人にもらったもの、
そのかけらを
自分の中に入れて
生きてるような感覚。
ありがとうと思う。
じんわり疲れがほどけていく。
おいしいってやっぱり大事だなと思う。

料理も無理ない範囲でやった。
お昼に一度
作ろうかなと思ったけど、
寝ることを優先した。
回復すると、細々とでも
あれやろうかな、
これやろうかなが
じわじわ芽吹いてくる。
ここで焦って無理しない。
じわじわでいい。
すぐ全開でいくのは、まだきつい。
情けないなあ、とも思う。
それすらも、大事にしてあげようね。
一緒に明日に行こうね。

#疲れた日
#休息
#暮らし
#エッセイ


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