病室、思い出。リハビリの仕事のお話
こんにちは!大橋しんです。
リハビリに関係したことを書いてみますね。
僕は理学療法士になって最初に就職したのは救急病院でした。
そこで新人研修を半年して、整形外科班に配属されました。
他の班には脳神経外科・外科内科・外来がありましたが、僕が働き始めてまもなく外来は廃止されました。
総合病院が外来リハビリを抱えるのをやめたからです。
10年ほど前(もっと前からかな?)に医療費抑制のため国の方針で、全国で在宅医療シフトを進めました。
「大したことなければ、大きな病院には来ないでね」
という流れでした。
その後訪問看護、訪問リハビリが雨後のタケノコの如く開設され、今はさまざまな問題が出てきますがそれはまた別の話なので戻ります。
整形外科に配属されると仕事のノルマは21単位、1単位20分だから、大体40分から60分の枠を分配して一日7〜8人を担当する事になります。
整形外科では一日に3〜5件の手術があり、次々新規の患者さんに担当があてがわれます。
患者さんは1〜2週間で退院します。年に400人は担当するはずです。
救急病院は目まぐるしく状況が変わります。患者さんもご家族もけっこう忙しいです。
ほいさっさ、ほいさっさ。人が退院しても亡くなっても、喜んでも悲しんでもいられない。次の人が入ってくるから…。
こんな書き方をすると工場みたいですが、実際はひとりづつに笑いあり涙あり、出会いと別れを繰り返します。
僕は全員覚えています。名前まではムリだけど、顔を見ればおそらく思い出します。
どこが悪くてどんな手術をしたのか、どんなリハビリの経緯だったか…名前よりも体や状態の方を思い出します。
よく晴れた気持ちの良い午後、Sさんというリウマチのおばあちゃまと一緒に歩いていると
「気持ち悪い」
と言われ、僕もすぐに「ぐにゃ〜?」とした感覚に襲われ、外を見るとビルと木が揺れている…
3月11日のお昼過ぎでした。
びっくりした事もあります。
リーダーが休んだ時、僕が代理でリハビリをした女性患者さんは僕がコントラバスを弾いていたのを聞いて、誰かに習ったのか質問をしてきました。
え…まさか…。
その日の夜、僕の10代の時のコンバスの先生が病室に…。
「久しぶりやな!立派になったな」
患者さんはその先生の愛人だったのです…!10年ぶりにお会いして、病室で話し込みました。
粋なこともあるもんだ。
数年後、転職した後に彼女が亡くなったのを聞きました。先生もどこかに癌を再発したとか。
それを聞いて連絡したわけでもなし。
彼らだけじゃない。僕が10年前に見た90代の方はおそらく全員この世にはもういないはずです。
時は流れる、誰も止められない。リハビリの思い出は、散り散りに…。
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