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[Vol.5_コラム]サステナビリティトランジション研究の主要な理論

大橋研究室のトランジションデザインnoteシリーズではサステナビリティトランジションを中心に、分野としての変遷や特徴をご紹介してきました。このコラム記事では、サステナビリティトランジションをどのように捉え、実現するのかを考える上で有用な理論を解説します。これらの理論は社会全体をシステム的に理解し、根本的な変革を促進するための視点を提供するものとして多くの研究や制度・政策設計、プロジェクトで用いられてきました。
サステナビリティトランジション研究は多様な研究領域が重なり合って進化してきましたが、中でもイノベーション研究を基盤に、新しい技術や社会的実践が既存のシステムにどのように統合されるかを探索し、持続可能な社会の実現を目指すための社会の移行を促進するためのフレームワークの開発や活用が進みました。本記事では、代表的な5つの理論を以下に詳しく解説し、各理論の歴史と背景、提案者、特徴を説明しながら、具体例を挙げてその重要性を探っていきます。


理論1. Multi-Level Perspective (MLP): 社会システムを3層で捉える

歴史と背景
MLPは、技術トランジション研究の中で、フランク・ギールズ (Frank W. Geels) によって2002年に提案されました。この理論はイノベーションの普及が単なる技術的変化ではなく、社会、経済、文化の変化と深く結びついているという考え方に基づいています。ギールズの研究は、技術革新がどのように既存の社会システムを変えるかを分析することに焦点を当てています。

理論の特徴
MLPは、社会システムの変革を「ニッチ(新しい技術や実験)」「レジーム(既存の体制や規範)」「ランドスケープ(外的な広範な変化)」の3層で説明します。

  • ニッチ: 革新的な技術やアイデアが生まれ、試験的に実践される場。初期段階では脆弱であり、特別な支援や保護が必要。

  • レジーム: 社会の主流を構成する既存の仕組み。アクターの行動を規定するさまざまなルールの束であり、安定性を保つ反面、変革への抵抗が強い。

  • ランドスケープ: 経済的、文化的、環境的な広範な変化。システム全体に影響を与えるが、直接的に制御することは難しい。

MLPの3つの層

具体例
19世紀末の馬車から自動車への移行は、MLPの典型例です。自動車(ニッチ)は、当初は富裕層に限られていましたが、技術革新とフォード社の大量生産方式により、馬車を中心とした交通のレジームが変化しました。同時に、都市化や道路整備(ランドスケープ)がこの変革を加速させました。

なぜ重要か
MLPは、システム全体の変化を俯瞰し、どのレベルで介入すべきかを明確にするためのツールです。エネルギーシステムの移行や気候変動への対応といった現代の課題にも適用されています。


理論2. Transition Management (TM): 長期的な変革の道筋を描く

歴史と背景
TMは、オランダのヤン・ロットマンス (Jan Rotmans) とその共同研究者たちが2001年に提案しました。この理論は、特にオランダのエネルギー政策や気候政策の中で実践的に使用され、長期的な視点から持続可能な社会への移行を支援する方法論として発展してきました。ロットマンスは、システム変革におけるステークホルダーの役割と、実験的アプローチの重要性を強調しています。

理論の特徴
TMは、未来のビジョンを共有し、その実現に向けて計画的かつ段階的に変革を進めるフレームワークです。主な特徴として以下の3つが挙げられています:

  • 長期的視点: 社会システム全体の持続可能性を目指すため、数十年単位の計画を立てる。

  • 実験的アプローチ: 小規模な試行を通じて、現実的な解決策を模索しながら学びを重ねる。

  • 柔軟性とフィードバック: 社会の変化に対応しながら計画を調整する。

具体例
オランダの「エネルギー転換政策」では、TMが重要な役割を果たしました。政府、企業、研究者、市民が協力し、再生可能エネルギーへの移行を段階的に進める中で、2050年までのカーボンニュートラル達成を目指しています。この取り組みは、長期的な目標設定と短期的な実験を組み合わせた成功例です。

なぜ重要か
TMは、長期的な目標を具体的な行動計画に落とし込む方法論を提供します。短期的な成果を追うだけでは解決できない社会課題に対して、戦略的かつ持続的なアプローチを可能にします。


理論3. Strategic Niche Management (SNM): 革新を育てる場を提供

歴史と背景
SNMは、1990年代にヨハン・ショット (Johan Schot) とレネ・ケンプ (René Kemp) によって提案されました。この理論は、新しい技術や実践がどのように既存の体制に組み込まれるかを研究する中で生まれました。特に、新興技術が市場や社会で受け入れられるまでの初期段階を支援する方法論として発展しました。

理論の特徴
SNMは革新的な技術や取り組み(ニッチ)が、既存の社会システム(レジーム)に統合されるまでのプロセスを支援し、以下の取り組みを推進します:

  • 保護された場の提供: 初期段階での競争を避け、新しい技術や実践を試験的に実施する。

  • 社会的受容の促進: 市場や社会での認知度を高め、支持を得るプロセスを重視する。

  • 学びとフィードバック: 実験を通じて課題を特定し、改良を重ねる。

具体例
電気自動車(EV)の初期普及は、SNMの成功例です。政策的な補助金や専用のインフラ整備が、市場での競争力を高める支援となりました。また、パイロットプロジェクトを通じて消費者の意識を変え、現在では主要市場の一部として成長しています。

なぜ重要か
SNMは、革新が社会全体に受け入れられるプロセスを支援します。特に初期段階でのサポートが重要な技術革新において不可欠なフレームワークです。


理論4. Technological Innovation System (TIS): 技術の普及を支える仕組みを整える

歴史と背景
TISは、スウェーデンの研究者ボー・カールソン (Bo Carlsson) とリカード・スタンキエヴィッチ (Rikard Stankiewicz) によって1991年に提案され、「技術開発、普及、利用の全体的な機能に貢献するアクター、ネットワーク、制度を含むシステム」として定義されています。特に、この枠組みは技術革新の進行を理解し、そのダイナミクス(動態)を分析するためのツールとして機能します。
その後、アンナ・ベルゲック (Anna Bergek) や マーク・ヘッカート (Mark Hekkert) による研究により、TISの「7つの機能(Functions)」を通じた分析が発展しました。これにより、政策決定者はシステムのパフォーマンスを評価し、課題を特定するための実践的なフレームワークとしてTISを応用することが可能となりました。この方法論は技術革新の成功要因を明確にし、目標設定を促進します。
なお、この記事ではTISの7つの機能において、政策立案や実務での適用を容易にするために、相関性や役割の近い要素を統合し、「法制度」「資金援助」「ネットワークの構築」「市場形成」の4つに簡略化して、以下ご紹介します。

理論の特徴
TISは、新しい技術が社会に受け入れられるために必要なエコシステムを整備することを目指します。具体的には、以下の要素に焦点を当てます:

  • 法制度: 技術革新を支援し、市場の障壁を取り除くための規制緩和等。

  • 資金援助: 初期段階の研究開発や市場導入を支えるための投資。

  • ネットワークの構築: 研究者、企業、政府機関などの間で知識とリソースを共有する連携。

  • 市場形成: 新たな技術を普及させるための市場環境を整備し、早期のイノベーターたちを支援する制度の構築。

これらが相互作用することにより、新しい技術が競争力を持ち、社会に普及するための条件が整います。

具体例
再生可能エネルギー技術、特に風力発電の普及は、TISの成功例の一つです。デンマークでは1970年代の石油危機以降、風力発電を推進する政策が整備されました。これには、政府の補助金、研究開発への投資、国内外の専門家や企業間でのネットワーク構築が含まれます。さらに電力市場の規制緩和が新しい技術の普及を後押ししました。このようなエコシステムの整備により、デンマークは現在、風力発電の世界的リーダーとなっています。

なぜ重要か
TISは、単なる技術革新の成功だけでなく、社会全体のトランジションを進めるために重要です。技術が普及しない理由は、その性能や市場価値の問題だけでなく、制度的障壁や社会的受容の欠如にも起因します。TISはこれらの課題に対応し、新しい技術が既存のシステムを変革する力を持つよう支援します。特に、エネルギーシステムの転換や持続可能な都市開発といった大規模な変革においてTISの役割は欠かせません。


理論5. Social Practice Approach (SPA): 日常行動を変える力を育む

歴史と背景
SPAは、社会実践理論(Social Practice Theory, SPT)を基盤としています。この理論は、マーリーン・サハキアン(Marlyne Sahakian, 1996) やアンドレアス・レックヴィッツ (Andreas Reckwitz, 2002) の理論に起源を持ち、その後、エリザベス・ショーヴ、 ミカ・パンツァー(Elizabeth Shove and Mika Pantzar, 2005) らによって発展しました。特に、持続可能性や消費行動における応用に焦点を当てています:

理論の特徴
SPAは人々の日常的な行動や習慣に焦点を当て、社会変革を促進する方法論です。以下の観点に着目しながら変革を理解し、推進します:

  • 行動の文脈重視: 個人の行動を、その背景にある文化や社会規範の中で理解する。

  • 習慣の変化: 新しい行動を日常生活に根付かせることで、システム全体の変革を実現する。

  • 技術と行動の統合: 技術革新を社会で受け入れられるために、行動の変化を伴わせる。

具体例
防災では、住民が定期的に避難訓練を行う取り組みがSPAの成功例です。訓練が「特別なイベント」ではなく「日常の一部」として認識されることで、災害時の対応力が向上します。

なぜ重要か
社会変革の成功には、技術や制度だけでなく、人々の日常行動の変化が欠かせません。SPAは、そのための具体的な方法を示します。


まとめ:5つのフレームワークの関係性と次へのステップ

サステナビリティトランジション研究は、これらの理論を基盤に、持続可能な未来を描くための道筋を示します。MLPやTMはシステム全体を俯瞰し、長期的な計画を立てるのに役立ちます。一方、SNMやSPAは、技術革新や個々の行動変化を具体的にサポートする視点を提供します。
これらのフレームワークは、相互に補完し合いながら、複雑なトランジションプロセスを多面的にサポートします。以下のように、それぞれの役割が連携しています:

  • MLPが変革の全体像を描き、システムの相互作用を俯瞰する。

  • TMが長期的なビジョンを設計し、ステークホルダー間の協力を促す。

  • SNMが革新を育てる初期段階を支援する。

  • TISが技術の普及を支える仕組みを整える。

  • SPAが日常行動の変容を通じて、社会全体に変革を浸透させる。

これらのフレームワークを適切に組み合わせることで、複雑な社会課題に対して包括的かつ実践的なアプローチが可能になります。また、これらのフレームワークは、持続可能な未来を構築するための体系的な道筋を示しています。ただし、理論だけでは実現に至りません。次に必要なのは、これらの理論を現場でどのように実践するかを示す方法論です。
この記事の著者の一人はタイの法学部出身で、またタイの公務員としての経験を持つことから、特にTIS(技術の普及を支える仕組み)とSPA(社会を巻き込む力)に深い関心を寄せています。法制度は技術革新を支援する基盤であり、新しい技術が普及するためには欠かせない要素です。一方で、どれだけ技術や政策が整備されても、それが日常生活や社会全体に浸透しなければ、持続可能な未来は実現できません。そのため、法制度の重要性とともに、社会全体の行動変容を促すSPAの役割も特に注目されています。
次の記事では、アメリカのカーネギーメロン大学でデザイン研究者や社会科学の研究者たちを中心に開発された「トランジションデザイン」と呼ばれる方法論を取り上げます。このアプローチは、新たなデザイン方法論としてトランジションフレームワークを実際に適用するためのステップやマインドセットを提案したものです。どうぞお楽しみに!

著者

著者:ラーオスンタラー・アンパン 村山 修太

編集:木許 宏美

東京科学大学 環境・社会理工学院 大橋研究室
ohashi-research-group.com


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