見えない通貨
「人と人とが何の対価もなく継続的に関わり続けるには、『見えない通貨』を支払っている」
『見えない通貨』ー親切や優しさや思いやりや愛という、目に見えない類いの人が大切とするもの
昔の私にはそれが分からないまま、
人と関わり一人になりました。
「あなたにはそれ(愛や優しさや親切)がない」と責められ続けました。
人を何かの方向にさせたいのなら、
具体的にその方向を示すのが一番いいと私は思うのですが、
誰からもそれを教えられず示されず。
(恨んではいません。
勝手に体得するものと世間ではされているのだと思います。)
『それ』は本来的に持つもののように世間では言われます。
しかも、その人の中身、性質や性格を評価するものとして。
どうしたらいいのか、
でも本来的な中身として足りないと言われたらどうしようもないじゃないか。
そう思っていました。
足りないものを埋めようと、必死でした。
生まれたのは、過剰に人に気を使う私でした。
今度は優しい、愛があるなどと言われるようになりました。
「温かな家庭で育てられたんだね」と、育ち方の評価もプラスされるようになりました。
これは一体何なのでしょうか?
昔の私と今の私は同じ人なのに。
同じ場所で育ってきて、
『それ』が分からないから必死で人から盗もうとしてきたのに。
私には周りが見えている『見えない通貨』が見えないのだと思いました。
今も「優しい人、愛ある人」という言葉には違和感を覚えます。
他人のいう愛や優しいを評価する何かがあるのなら、
それを具体的に示して欲しいと思うのです。
今、
その『見えない通貨』をいくら払うのが適性なのか分からずに、
疲れきってしまいました。
でも、これを止めたら原因の分からない一人ぼっちに戻るのかと思うと怖いのです。