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あくまで「星野源さんの作品」である『地獄でなぜ悪い』
このような発信をすることに怖さもあるけど、私は気持ちを表明したいと思うのでこの記事をあげることにします。
この件について、正解がないことと思っているので、あくまで私個人の考えです。
私の考えとは別の考えを持っている人の言っていることも理解できるし、それを否定するつもりは全くないです。
今年の紅白で、「地獄でなぜ悪い」を歌うと知ったとき、私は嬉しかった。なんなら、そのタイミングで上がったYoutubeのライブ映像を見てテンションが上がった。
映画の件をリアルタイムでは知らなったし、「園子温の作品の主題歌」ではなく「源さんの闘病を経て生まれた作品」という印象が強かった。
この曲を聞いて、嫌な記憶を思い出す人がいることを結びつけることが出来なかった。
ただ、それって星野源さん側が気にすることなのか?
映画主題歌ではあるものの、その前に「星野源の作品」だ。
主題歌になったときは、その件について発覚する前だったわけだし、なんならそのような印象を曲にまでつけられてしまった、星野源さん側だって「被害者」ではないのか?
性加害を軽視するつもりはないし、そこに対する配慮というか、ゾーニングは必要だとは思う。
だけど、星野源さんが自分自身の作品までゾーニングの対象にされるのはおかしくないか。
星野源さんがそれを紅白歌合戦で歌うことで、「園子温の加害をなかったこと」にはならないし、「園子温を肯定する」ことにもならない。
なぜそこに結び付けられなければいけないんだ。勝手にこじつけて連帯責任で星野源さんにも罪を押し付けているように思える。
意味のわからない連帯責任だ。
というか、別に主題歌を歌っただけで「連帯」なんてしていないのに責任を負う必要があるのか。
もう一度いうが、私は性加害を軽視するつもりは全くない。
園子温がやったことはなかったことにはならない。
でも、それは源さんがこの曲を歌うこととは全くの別軸の話だと思う。
あー。やりきれないね。
「他にももっといい曲があるから、頼むからほかの曲を歌ってほしい」というようなファンの声もよく見る。その気持ちもわかる。
今年夏フェスで歌って、Youtubeで流れても何も言われないのに、紅白だと言われるんだ。
国民的番組だから?規模感の問題?とかそういうモヤモヤもある。
星野源さんの耳にもきっと届いてしまっているはず。
どんな選択をされるかわからないけれども、私は源さんの決めたことを応援したい。
源さんが自分自身の作品を歌うことは自由だとは思うけど、ここまで物議をかもしているのも事実であり、配慮する可能性もあるから。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。