新庄市城下町旧町名等保存事業 ・その2

9・山口丁(やまぐちちょう・現在の宮内町):清水川町南端から西に入り、南に伸びる通り。通りの西側に大場・森・平賀・岡野氏などの侍が屋敷を構えていた。

10・御長柄町(おながえまち・現在のおおまち):長柄の衆が屋敷を構えていた町。御長柄町は古くは現在の清水川町にあったが、享保3年(1718)、ここに移された。

11・南岡崎丁(みなみおかざきちょう・現在の宮内町):南御門から御馬出口に至る通り。黒川・津田・駒杵・常井などの中級家臣の屋敷があった。

12・南御門跡(みなみごもんあと・現在の堀端町):外曲輪東南隅にあった門の跡。南御門は高い石垣を土台とした櫓門であった。

13・御馬出口(おんまだしぐち・現在の大町):藩主が馬に乗って御城から馬喰町(羽州街道)に出たところ。

14・名古屋敷(なごやしき・現在の大町):在方から出て来て、侍屋敷に奉公する人々を名子と呼んだ。これらの人々の屋敷があったところ。

15・馬喰町(ばくろちょう・現在の大町):諸国の馬喰が集まって馬の売買を行った。領内の小国駒をはじめ、秋田・南部・津軽・本荘などの馬が取引された。

16・紙漉町(かみすきまち・現在の沖の町):新庄藩お抱えの紙漉職人が、清水川の清流を利用して紙を漉いた町と伝えられる。藩政時代後半には、侍と町人が入り交じって住む町となった。

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