新庄市城下町旧町名等保存事業 ・その6
41・鍛冶町(かじちょう・現在の北町):たくさんの鍛冶屋がいて、侍が使う刀や槍、農民が使う鍬・鎌・山刀などを打っていた。刀鍛冶としては高橋一郎兵衛が有名である。
42・三本橋(さんぼんばし・現在の沼田町):藩主が鷹狩りに通うために、ここに三本の丸太を渡して仮の橋としていた。当時は太田・荒小屋あたりが格好の鷹場であった。
43・水上丁(みずかみちょう・現在の石川町):御城から見て水上の方角にある町だから水上丁と呼ぶ。この町には、水原氏・星野氏・大田原氏などの中級の侍が住んでいた。
44・石川丁(いしかわちょう・現在の石川町):新庄城北御門から三本橋に至る通り。新庄城三の丸にあたる。瀬川氏・田口氏・折下氏などの上級・中級家臣の屋敷があった。
45・北御門跡(きたごもんあと・現在の堀端町):外曲輪の北にあった門の跡。北御門は高い石垣を土台とした櫓門であった。
46・川原町(かわらまち・現在の堀端町):城外曲輪北御門前から堀沿いに西に伸びた通り。通りの北側に十時氏の屋敷や板前長屋があった。
47・堀端丁(ほりばたちょう・現在の堀端町):外曲輪東側の堀に沿う通り。大手門より北を上堀端丁、南を下堀端丁と呼んだ。古くは清水町と岡崎町と呼んだ。
48・大手広丁(おおてひろちょう・現在の大手町):大手御門から南本町(羽州街道)に出る大通り。天野八右衛門・長野藤兵衛などの上級家臣の屋敷があった
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