小池都政と安倍政権の大失敗により日本が滅亡の危機に
さだお先生、こういう”馬券”だけ見事的中
先月のマガジンにこのような記事を掲載した。
馬券などは滅多に当たらないのに、こうしたネガティブな予感だけはバシバシ的中するようで、この記事は早くも「大正解!」という結論が出てしまったようだ。
新宿区の劇場で、850人(観客800人 キャスト・スタッフ50人)規模のクラスターが発生した。
これは若者向けのイケメンアイドルが多数出演する作品だったようだが、感染が確実となっているだけでも30人を超えているそうだ。
舞台・演劇といえば、5月に平田オリザ氏が「演劇界だけ特別扱いしろ」としか受け取れない発言を繰り返して大炎上したばかりだが、今回の一件はそれに対する強烈過ぎるしっぺ返しになってしまったようだ。
劇場側は、フェイスシールドを配布するなど可能な限りの感染防止対策を講じていたようだが、現地にいた人間からは「使う事を拒否している客がいた」といった声も聞こえて来ている。
安易に真犯人を設定した事は大失敗
平田氏の言動も中々の痛々しさだが、それ以上に問題のある発言を繰り返して来た人物も大勢いる。その代表格は小池都知事だ。
彼女は事あるごとに 「夜の街が~~~」 と、ホストクラブも風俗店も居酒屋も何もかも一緒くたにして真犯人扱いして来た。
「感染者が減らないのは薄汚い夜の街の住民らが協力しないからだ」と、暗に繁華街に全責任を押し付けるかのような物言いだった。
ところが、緊急事態宣言そして東京アラート解除後の最大規模のクラスターは、夜の街とは程遠い ”劇場” だった。
小池都知事らの夜の街真犯人説があまりに流布し過ぎてしまったために、それ以外が丸ごと死角になってしまっていた点は否めないだろう。
私は過去に何度も何度もその事を指摘して来たが、事ここに至っては 「やはりこうなったか」 と言うよりない。私ごときでも見通せるのだから、これを想像出来なかったヤツは大バカ野郎である。
そういえば、全く同じロジックを児童ポルノ問題でもよく使うのだが、「アイツらが酷い目に遭ったらいいなあ」といった個人の願望を込めてインチキな真犯人認定をしてしまうと、それ以外に人の目が向かなくなり、そこでこそ深刻な被害が生じるものなのだ。
今回のクラスター騒動は、まさにそれが具現化されたものである。
ウィルスにキレイもキタナイもない
これは新型コロナに限らず、ウィルスに対しての基本的な考え方のはずなのだが、ウィルスは聖人君主だろうとセックスワーカーだろうと、上級国民だろうと貧困層だろうと、一切の区別なく平等に襲ってくる。
だからこそ、ウィルス対策に ”職業の貴賤” や ”人種の違い” といった概念を、もっと言えば 「個人的な願望を」 持ち込んではならないのだ。
それは何故か。
もうすでに小池都政の失敗はいくつも ”実績” として積み上がってるが、仮に「コロナ対策のついでに街の浄化作戦を……」なんて考えたとしたら、確実にその手のいかがわしい商売が感染源となる事例は減らせるだろう。
その代わり、それ以外のクラスターは防げなくなる。
これは実に当たり前の話で、いくら都だ国だとはいえ労力にも予算にも限界はあるのだから、より効率良く予防策を講じて行かねばならない。
そうした方策を考える場合に 「汚らわしい商売を締め上げたい」 なんて余計な考えを挟んでしまっては、本来割く必要のない人員や金を、”賤業イジメ” に費やさねばならなくなる。
そして、そんな無駄な事をした分だけ、どこかがガラ空きになるのだ。
今回はたまたまそれが劇場だったというだけの話である。
返す返すも、小池都政の夜の街をスケープゴートにする手法は 「致命的なまでの大失敗だった」 と評するよりない。
アレでは夜の街以外が気を抜くに決まっているのだから、「新宿の劇場クラスター騒動は小池都知事が招いたものである」 と言うべきではないか。
まあどうせ彼女の事だから非を認める訳がないんだけれども、「夜の街が~」「若者が~」と言い続けた小池都知事に対する、次なる天からの贈り物は、おそらく 「利用者の殆どが高齢者である場所のクラスター化」 ではないだろうか。
小池語録によると、夜の街と若者がウィルスをまき散らしているそうなので、それらと無関係な人間は完全に油断し切っているはず。
であるなら、次に深刻な状況になるのは ”それ以外” である可能性が極めて高いと思われる。
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