豪雨から町を守る、全長930キロのお堀
御盆真っただ中、停滞する前線の影響で西日本を中心に激しい大雨が降り続いています。
福岡県にも大雨特別警報が発令されており、柳川も危険な状態です…!
みなさまどうか、安全を第一にお過ごしください。
ありがたいことに御花のSNSでも心配の声をいただき、このような中でも温かいお言葉に励まされる日々です。
✳︎ギリギリまで雨水を受け止める掘割
昨年に続きたびたび見舞われる豪雨を経験する中で、私たちは改めて「掘割の大切さ」について考えるようになりました。
本日はそんな掘割の水害から守る機能について少し紹介したいと思います。
全長930キロのお堀に囲まれた町、柳川
柳川のお堀の長さは930キロ。
網の目のように広がり、なんと直線距離だと横浜くらいまで行ける距離に匹敵するそう。
柳川の町のどこにいても、気づけばそこにある穏やかな水辺。癒され、川下り等の風景は柳川の町に欠かせない存在です。
✳︎夕暮れは水鏡となり美しいお堀のある景色
お堀の成り立ち
もともと海に近い低くじめじめした湿地帯や干拓地が多く、掘っても海水しか出ず真水の確保が難しかった柳川で、河川から水を引いたり雨水を貯めるために掘られたのが掘割です。
起源は弥生時代から、その後江戸時代にほぼ現在の形になります。
豪雨から町を守る仕組み
豪雨の際は、雨水を受け入れ「平地ダム」として冠水被害を食い止める役割を担います。
その機能を最大限に生かすため、市の水路課の方々が中心に主導するのが「先行排水」。
雨量を予測し、豪雨になりそうな場合に掘割の水を有明海へ流す作業です。
✳︎河口へ雨水を流し、有明海へ(強制排水)
近年は、水門から排水させる自然排水と併せて排水専用のポンプでくみ上げていきます(強制排水と呼ばれます)
どちらも、有明海の潮の満ち引きに合わせて満潮になる前にできる限り抜いておくことでより多くの雨を受け入れられるように準備するのです。
✳︎自然排水に加えてポンプで応援(強制排水)
この作業が昼夜問わず干潮と満潮のサイクルに合わせて作業が繰り返されます。
沢山の方の努力に支えられて、多くの被害を抑えることができているのです…!
今も、命を守る活動が続いています。尽力されている全ての方へ感謝いたします。
✳︎大きなポンプが沖端のとりでに設置
自然排水ができる仕組みとして、掘割には水門がおよそ1100箇所もあるのだそう…!
中でも砦となる水門が男井樋(いび)女井樋(いび)と地域の方々に呼ばれる二つの水門です。
✳︎男井樋とよばれる水門
✳︎女井樋と呼ばれる水門
✳︎翌朝には水位がだいぶ下がった掘割
✳︎限界まで水位を下げ、明日以降の大雨に備えます
なんと江戸時代でも、同じく豪雨を防ぐため、柳川藩で先行排水が進言された記録があるそうです。
先人の知恵と新しい工夫でいつの世も、水との向き合いはこの町で続いています。
「水と共に生きる」
不便な土地柄とうまく付き合い、「自然の大きな循環の中に人間もいる」ということを忘れなかった先人の知恵と努力の結晶が掘割です。
上水道の普及や生活排水による水質悪化により埋め立てられそうになったこともありましたが、現在も埋め立てられることなく、残すことができました。
✳︎高畑勲と宮崎駿が初めて挑んだ実写映画、柳川掘割物語。
「自然との循環の中で一本の小川を守り育てた祖先に学び、小川をよみがえらせる中に生み出される柔軟な技術と工夫、小川への愛と労働にこそ、都市河川を真に復活再生させる正しい鍵が隠されているのではないか」
そう高畑勲は柳川の掘割を通して強く感じ、ドキュメンタリー映画を作ったそうです。
今から34年も前に、その大切さに気づいている人たちがいたのです。
時代は変わっても、水と人とのかかわりあいは、大きな問題として私たちの前にあり続けています。
もし掘割がなかったら…
かけがえのない命。そして御花の歴史建造物や文化財も後世に残せない危うい状態になっていただろうと思うと、恐ろしくなります。
✳︎明治後期の近代和風建築が残る御花
私たちはこの今一瞬も先人の知恵と人々の努力に守られております
「水と共に生きる」。
自然との循環の中でどのように生きていくのか、掘割とのより良い向き合い方は何なのかをより一層考えていかなければと思いました。
これ以上被害が出ず、穏やかな水辺が戻ってきますようにと願います。