つゆくさを食(は)む
畑や庭につゆくさが旺盛に繁る季節になって、
にんじんの間引き菜の中にもツユクサの小さな葉が紛れ込んでいました。
確か、食べられるってどっかで見たな、と思い、パクっと口にいれてました。
癖がなくて美味しい。
ツユクサはものすごい生命力で夏中繁茂します。
抜いて土の上に置いておくと、その茎の節から発根して、またどんどん生えてくるのです。
夏は葉物がとれなくて、って思っていたけど、
今年は畑に死ぬほど生えてくるこれを食べてみようかな、と思ってる次第です。
生命力が強いものを食べると、なんかよさそう。
シソとか、ヨモギとか、ドクダミとか、めちゃめちゃ生命力強いから、
薬草になってますよね。ただ、クセも強い。
ツユクサはその点くせがないので、フツーに子どもたちも食べそう。
(野草利用の際は情報を参考の上自己責任でお願いします)
ツユクサの季節になると、大学時代に受けた講義を思い出します。
私はお世辞にもまじめに勉強していたとは言えない大学生でしたが、
自分の卒業単位に関係ない講義をいくつか聴講していました。(単位をとったかは忘れました)
その中で、いまでも忘れられない先生がいます。
現世の私にはとんと縁がない
理学部の生体制御という(日本語なのに意味わからん)学科の先生で、
アメリカのブルックヘブン研究所というところの遺伝子と放射線についてのバリバリエリート研究員だったそうで、
日本の野草であるツユクサとはまた違う北米原産のムラサキツユクサという植物を世界で初めて放射性物質による遺伝変異の実験に使った方でした。
なんでそんなお人がこんなとこ(関係者には誠に失礼ながら)にいて、
私の目の前で(眠気対策のためにいつも最前列あたりに座っていた)熱く講義してくれてるのか
当時はそのありがたみが、まったくわかりませんでした。
環境問題に興味があったから、この一般教養の「環境学」聴いてみよっかな~くらいの軽いノリでした。
なんの前情報もなく、呑気に教室で座ってたら、現れたのが、市川定夫先生その人でした。
一般教養科目ということで、ド文系の私にもわかるような内容になっていて、
私の学部の先生が、まったく面白くないし現場でも役に立たなそうな自著をハードカバーで2冊も教科書指定して買わせ、たるい授業をしたりしている中で(卒業単位でした)、
その理学部の先生は毎回毎回ぎっちりと板書で、自分のしてきたこと、見てきたこと、証明してきたことを、
現代(2000年前後)の環境問題にからめて講義90分ずっとしゃべりっぱなしでした。(ちなみに「環境学」という有名な著書もありますが、宣伝してませんでした)
放射能汚染、生体濃縮、化学物質、遺伝子変異、農薬、合成洗剤、電磁波、その他もろもろです。
(私はこの講義のおかげで、中学から悩まされ続けた原因不明の背中のかゆみを克服しました。シャンプーとリンス変えたんです)
一方的といえば一方的な講義でしたが、
午後いちばん最後の一番集中が危うい時間の講義にもかかわらず、
私は板書をとりつづけました。
単純に知らないこと知るのが面白かったのです。
情熱をもって研究し、行動してきた先生の言葉が。
テレビや新聞に書いてある、コマーシャルで謳っている
政府がよしとしていることが、本当は違う、
という先生の科学者としての良心の声が、ストレートに響きました。
私は無知なド文系ゆえに反駁するなにかなど全く持たず、
人生全だしぐらいの勢いで熱くしゃべりまくる先生の言葉を漏らさず聞こうと
必死でした。
単位関係ないのに。名前も認知されてないし、言葉を交わしたこともない。
板書は必死にしたけど、やっぱりよくわかんないことも多い。
それでも半期、ずっと先生の講義に出られたことは、もしかしたら大学で一番、自発的に勉強した記憶かもしれません。
ムラサキツユクサがそのへんに生えてるツユクサとは違うって、多分講義中に教えてくれたんだろうけど
忘れてしまって、
最近ネットで見て「あ、違うんだ」と気づくしまつ。
でも先生があの時、「ムラサキツユクサ」って何度も言ったおかげで、
ツユクサを見ると、思い出します。
名もない学生たちに真剣に向き合う、
科学者の良心という姿を。