全て親神様のなさること 生駒学生会 金子実友葵
自己紹介
直属教会である生駒の学生会で委員長をさせていただいております、金子実友葵です。普段は天理大学で臨床心理を学んでおり、詰所で生活しています。今日は、私のこれまでと信仰についてお話したいと思います。
私は生まれてから小学校4年生の終わりまでの10年間、両親が詰所勤務をしていたため、天理の生駒詰所で育ちました。私が生まれる前、母は2回の流産を経験しています。両親の詰所勤務という心定めによって御守護頂き、私は生まれることができた、と聞いています。詰所で生活している間は天理幼稚園・小学校へ通っていました。学生会で再会した友達もいて、有難いご縁だなと感じます。
身上を頂いて
天理で過ごした中で一番大きな出来事は、私が8歳の誕生日直前のことです。私は8月生まれで、その時天理はこどもおぢばがえりの真っ最中でした。私は突然高熱を出し、父に連れられて憩いの家を受診しました。ただの風邪などではないと、脳のCTをとることになりました。すると脳に「大きな何かの影」があったそうで、さらにMRIをとることになりました。当時の私は熱が高いもののそんなことが起こっているとは知りませんでした。両親や祖父母、所属教会の会長様など多くの人におさづけをしていただいたことは覚えています。その際、父は自分の寿命を私に10年でも20年でもいいのでわけてやってほしいと、親神様にお願いしていたそうです。
そのお願いを聞いてくださったのか、両親の心定めもあり、MRIには「大きな何かの影」は映っておらず、きれいな脳だったらしく、私はその日のうちに退院することができました。夏休みに起きた、たった一日の出来事でした。
心を神様の方へ
その後は何事もなく元気に過ごし、親戚の事情で私は家族とともに10歳で山口へ引っ越すことになりました。引っ越すまで天理教のことを知らない人なんていない、と心の底から信じていた私は、環境の変化に混乱し、世界がひっくり返る思いでした。公立の小学校を卒業し、中学生に。中3の夏休みに心身の疲れから倒れて、起立性調節障害と診断されました。その身上から不登校、保健室登校、自宅学習などをしていました。
天理高校2類を志望し、合格しましたが、体調が悪化し6月ごろには休学、ほとんど通うことなく学年末で退学しました。退学する際、17歳の誕生日が来たら修養科にはいりたいこと、高校卒業程度認定をとり、天理大学へ通いたいことなどを決めていました。
退学後は、詰所でひのきしんをさせていただき、8月の17歳の誕生日後、9月から修養科へ入りました。修養科中に別席を運び17歳3か月ちょっとでようぼくにならせていただきました。修養科中には布教の家の話を聞かせていただき、教会長である父と相談し、2月に教人講習を受け教人となり、高校3年生の年に布教の家愛媛寮へ入寮し、1年間布教させていただきました。
節から目が出る
このとき私は親神様の大きな親心に気づきました。父から10年の寿命を頂いた8歳の誕生日前から、ちょうど10年目を布教の家で迎えることになる、と。
それまでの人生を振り返っても、私が布教の家を志願したのは自分で決めたのではなく、親神様、教祖のお導きであったと納得しました。
天理で生まれ育ったこと。8歳で身上をしたこと。引っ越しをして天理教を知らない人ばかりの環境を経験し、おぢばのありがたさに気づかせるため。身上を頂いたのは、当たり前に使える身体のありがたさや、様々な身上事情で苦しんでいる人がいる事実に気づかせるため。天理高校を辞めたのは、17歳の誕生日のあとすぐ修養科へ行き、布教の家の話を聞くため。修養科修了最短で教人講習を受ければ布教の家の志願締め切りに間に合うことを知るため。8月生まれだからこそ丁度間に合うという事実は、日が空いてやはりやめておこうかな、と思う心のすきを作らせないため。私が8月生まれであることさえ、布教の家志願につながっていると思いました。
布教の家では、コロナウイルスにより緊急事態宣言が出されたことや、身上によって思うように布教ができない日もたくさんありました。しかしたくさんの方に支えられ、多くのご縁を感じて、無事1年間通り多くを学ぶことができました。その間、特別に天理大学の伝道者選抜試験を受験させていただき、天理大学に合格しました。
現在は将来のおたすけにつながると考え、大学で臨床心理を学んでいます。
お道のありがたさ
私はこれまで、様々なふしと多くのありがたい御守護を頂いてきました。その度に親神様の親心を感じ、また信仰のすばらしさを実感しました。
しかし、私はこれまでずっと、「こうしなきゃ」「こうしてはだめ」など「信仰をさせられている」と感じたことはありません。起こってくることに対して両親が「親神様、教祖はこんなことを伝えてくださっているのかもね」「(マイナスな出来事も)こんな風に考えたらプラスに思える」と日常的に話して聞かせてくださったことを「ふーん、そうなんだ」と特に気に留めることなく「当たり前」に聞いていました。そんな当たり前の繰り返しが、私の信仰につながっているのだと思います。こんな有難いことはないですね。
親神様、教祖やお道の教えを身近に感じて、「どんなことが起こっても守ってくださるから大丈夫」と思って過ごすことで、だんだんと本当に喜びやすい、さとりやすい人生へと親神様が変えていってくれます。私は自身の体験からそう信じています。
(追記)父は、「もしかしたらあの時の寿命は10年じゃなくて、20年だったかも」などといいます(笑)。私は28歳までの10年もその先があるならばその先も、目の前に起こってくることはすべて親神様からの親心、御守護であることに「気づき」「感謝すること」を続けます。そうすることで少しでも寿命を延ばしていただき、親神様教祖に使っていただきやすいようぼくとなって、どんな時もひのきしんの精神の布教師となれると思っています。
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