私の信仰を支えるもの 千喜分教会 田中一世


はじめに




皆様こんにちは。お忙しい中、私の投稿を読んでくださりありがとうございます。

突然ですが皆様は、何を信仰の原動力として毎日を通られていますでしょうか。

人それぞれこの道にお引き寄せいただいた経緯は異なると思いますので、様々な形があることだと思います。

今回お話しバトンを受け継ぎ、何を話そうかと考えていたところ、自身の信仰と向き合う機会になりました。そして自分は何をエネルギーとして信仰をしているのだろうかと疑問に感じ、今までの姿を振り返ると、一つ思い当たるものがありました。それは、親に喜んでもらいたいという『親孝行』の気持ちです。これが現段階での私の信仰の原動力となっています。

今回はその『親孝行』を思うようになったきっかけについて、お話しさせていただきます。


分岐点は高校卒業前




私は高校から親元を離れ天理高校第二部に進学しました。将来の夢も特に決まっていたわけでもなく、ただ楽しく高校生活を送っていましたが、高校二年生のこどもおぢばがえりひのきしんで転機を迎えました。プールのひのきしんを通して子供と関わる楽しさを覚え、将来は保育士になりたいと強く思うようになったのです。そして二部の卒業生がよく進学している専門学校もあると聞き、自分の中で保育士になる夢がどんどん大きくなっていきました。

しかしそれと同時期に、自分が生まれ育った教会の事情もあり、親にはこれから道一条に進んでほしいと伝えられました。当時の私は親の思いが受け入れられず、双方の意見は平行線のまま高校三年生の冬を迎えました。いよいよ高校卒業後の進路を決める頃になり、上級の会長様同席のもと、これからの話をしようと両親から提案されました。専修科進学を提言されることが分かり切っていましたので、絶対に断ってやろうと意気込みその場に臨みました。そして上級の会長様より専修科進学の旨を伝えられ、さあ今ぞ断る時!!と口を開こうとしたその瞬間、脳裏に浮かんだのは生まれ育った教会の会長様と両親の顔でした。「今ここで断ったら、親の顔に泥を塗ってしまのではないか」という思いがうかび、気付けば泣きながら「はい」と答えていました。


今思えば、、、、




専修科に進学してからはつらい時期も沢山ありました。そして卒業後は実践課程に進み、現在は大教会青年をしていますが、この間幾度となく世間の生活に憧れ、道一条の将来に不安を感じました。ですがそれ以上に、この道の教えが素晴らしいと思える経験を沢山させていただきました。また、不安や葛藤を感じる度にあの時の光景が思い起こされ、親に喜んで貰うにはどうしたらいいのかと考えられるようになり、止まった足を前に踏み出すことができています。

今思うと、親の声に添って道を進めて本当によかったと心から感じています。何より、高校卒業後の進路を決めるあの場において、親の顔が思い浮かんでいなかったらと思うと、、、自分がより幸せになる方向に導くため、教祖が手を引いて下さったのかもしれないと今では思えます。

あの時の経験から生まれた『親に喜んでもらいたい』という気持ちは、今の私の信仰を支える柱であり、原動力であると言っても過言ではありません。


神様にも孝心を




逸話篇百四「信心はな」では、

『神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで。』

とあります。

教祖百四十年祭に向かうこの旬に、信仰の原動力をさらに大きく強いものにしていくためにも、肉親などの親への孝心と、神様への孝心も強く思い念じて、より一層勇んで心明るく通っていきたいと思います。



長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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