おやさまはありがたい 小貫分教会 田中雄二郎
山口の大布教師よりお話の御命を頂戴いたしましたので、少しの間ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします👏👏
3月18日、事情教会の祭典準備中、一通の電話が鳴った。
「先日、〇〇町でチラシをもらった〇〇です。天理教のお話を聞かせてもらいたいんだけど、いいかな?」
事情教会に居候を始めて半年、ついにこの教会にも数年ぶりの初参拝者!、、心躍らせ、期待と半信半疑の心で待つ。
10分ほど後、降り頻る雨音の中、「ブロロォーン」という音と共に一台の車が事情教会の前に停車したことを知らせた。
「あ、ほんまに来てくださったんや。」
半信半疑だった自分を申し訳なく思う。
”ガララアァー"と玄関の戸が開いた。
さっき電話させてもらった〇〇です。
(あれ、二人いる、、初参拝者二人かぁ、、神様もったいないなぁ、、)
我を取り戻し、「ささ!どうぞ上がって参拝してください!!」
〇〇さん「いや、ここでいいです。」
玄関で立ち止まる。。ん、なぜ?
私「いや、入ってすぐ神殿なんでどうぞどうぞ!」
すでにニヤケ面である。
どうやら、そんな調子ではないようだ。
「私たちはこのお話をしにきました。」
名古屋時代から通算○回目、新潟布教以来の再会。〇〇会の皆さんが乗り込んでこられました。
ああ、全国どこ行ってもでもおんなじ因縁やなぁ、、。〇〇会の方とは名古屋時代から数えて3年、どこで布教をしても、幾たび顔を合わせては、問答をしてはの間柄でした、、。
「私たちの信仰する親神天理王命様はこの世界お創りくだされた神様、万物をご守護くださり、このお身体をお貸しくださる神様です。この世界で陽気ぐらしを実現するため信心しております。生涯、この神様を信心して参ります。
この度は足元悪い中、お運びいただいて申し訳ないです。この度はお引き取りください、、。」
アドレナリンが溢れ、震える手を押し殺してこんな言葉しか紡げなかった。
お帰りいただいた後、日々の真実のたりなさに、自身の情けなさに泣きそうになるのが一割、「いや、この展開おもろすぎやろ」が九割を占めた。これに関しては申し訳ない。
「初参拝者かと思ったら、反対勢力が乗り込んできた!」これYouTubeのサムネいけるんちゃうか、、?不謹慎な思い胸をよぎったが、それ以上に教祖のお雛形が心を埋めた。
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(時) 天保9(1838)年10月26日
(ところ)大和國山辺郡庄屋敷村[現:奈良県天理市三島町]にて、
(魂) 中山みき様は、
41歳の御時、「月日のやしろ(この世界、人間をお創りくだされた"元の神様、実の神様"[親神天理王命様]のやしろ[やしろ:神が祀ってある建物])」となられた。
「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。」
と親神天理王命様の思召に添い、中山家の私財、家財を貧しい方々へと施された。
これから現身を隠されるまでの50年の道すがらは世界一れつのこどもである私たち人間をたすけたいとの大きな大きな親心で、食べるにこと足りない中でも、あばら屋に隙間風が吹き荒ぶ日でも喜び勇んで通られたのでございます。
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教祖(以下、天理教の方々がお慕い申し上げる「おやさまと」表記)がお通りくだされた50年の道すがらには幾重もの道があったと教えていただきます。
貧しい方々へ私財を施し、「狐憑きや阿呆や」と罵られても、近隣の方々への施しをやめられなかった道がございます。
旦那様には「恐ろしい」と言うて、白刃を突き立てられ、親族からは縁を切られた日もございます。
また、親神様の不思議なたすけによってたすかる方々が出てくると、それに対して、天理教とは違った信仰を持つ方々が反対攻撃に乗り込んでこられる日も出てまいります。
時にお宅を荒らされ、刀を突き立てられる日もあったと教えていただきます。
どれだけ、人々をたすけられても20数年は信心される方もおられなかったのでございます。
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天理教東中央大教会、初代会長、柏木庫治先生のお話に「お断り」についてお話しくだされたことがございます。
天理教の人間が神様の尊いお話をお取り次ぎさせてもらいたい、何かお困りごとでもあればお力になりたいとインターンを押す、戸を叩く、そんな時に、「天理教なんかいらん!」と言われる。
これはありがたい「雛形なんだ!」
親神様は「おやさま」をもらい受けられる時には何度も「お断り」を受けられた。断られることこそがそもそも親神様が通られた道なのである。
親が通ってくださった道ならありがたいじゃないか、、。
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「お断り」が雛形なら、反対攻撃を受けるのもまた雛形である。
話はまた飛ぶが、私の所属する教会の信仰は私で5代目になる。初代は近隣を布教や人助けに歩き、時に女一人、無人のお寺の隅で寝ることもあったと伝えられる。
初代の弟には信仰に対して罵詈雑言を浴びせられ、孫(私の祖父の代)には信仰はなかなか伝わっていかなかったという。
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天理教教内では、教祖140年祭へと向かう年祭期間であります。令和8年1月26日の教祖140年祭、その日に向かって、ご存命の「おやさま」にお喜びいただける成人の道を信仰者は辿っていることかと思います。
現在、私の年祭期間の通り方として、事情教会に住み込み、この天理教のにをいがけ(布教)をさせていただくことを神様と約束している。
道中、「お前はなんで働かないんだ。」「天理教のことやってたって食べていけないんだぞ」世間的な目で見れば至極ごもっともなご意見を度々いただきます。
時に心を倒し、罵詈雑言を受け、反対勢力の方が乗り込んで来られる日もあります。なってこない日に畳に額を擦り付け、情けなくて情けなくて畳を濡らす日もあります。
なんでやねん。なんでやねん。そんな問答を繰り返すとふと、ああ、「おやさま」はこれ以上の日を通られたんやな、親戚縁者からは縁を切られ、おたすけされた方々からは悪口を言われ、人助けをすると攻撃される。
あれ、今の俺よりも上位互換過ぎんかなぁ、「おやさま」こんなことまで見越し過ぎちゃうんかなぁ、流石すぎるわ、、そんなことを思います。
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このお道は神様が世界一れつをたすけたいとの大きな大きな親心から始まっています。
どんな日も一人ひとりに対して、絶対的にたすけたいとのプラスのお心がかけられています。
悔しくて、情けなくて、泣きたくなる日もいっぱいありますね。
でも、そんな中でも、それはあなただからその奥にある本当の親心を分かって欲しいと神様がご期待をかけてくれているのではないか、と思っています。
人のために頑張っているあなたを、優しさを忘れないあなたを神様はきっと大好きです。
大丈夫です。きっと未来は明るいです。
もし、辛くて逃げたくて悲しくて、どうしようもなくなった時、お近くの天理教の教会にお立ち寄りください。私は天理教小貫分教会の者です。もしお近くでありましたら、是非お立ち寄りください。少しでもお話聞かせていただきます。お力になれることがあれば、お力になります。
皆様の今日が、また明日が、幸せな一日になりますようにお願い申し上げまして、お話終えさせていただきます。
ご清聴いただきありがとうございました👏👏
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