幸せの与え合い 瑞ノ郷分教会 谷垣みさき


「人救けて我が身救かる」の意味


"人救けて我が身救かる"
私は当初その意味を、良いことをしたらその分良いことが返ってくることくらいに考えていました。しかし仕事を通してこの言葉の捉え方が変わりました。諭達に"ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心が澄み、明るく陽気に救われていく"とあります。人救けて我が身救かるとは、人をたすける行為そのものが自分の心に影響する。日々の生活の中にもそれを実感することがあります。

「保育の仕事を通じて」


 私は現在、こども園で勤務しています。保育で対するのは子どもと言えど、人との関わりなので、悩むことや難しいと感じることも多く、日々学びの連続です。私は育児をしたことはありませんが、親として子どもを育てることも想像できない程の苦労があると思います。子どもそれぞれに個性があり、発達のスピードも子どもによって違います。私が受け持っているクラスにも保育士の支援が必要な子もいます。保育という仕事は正解が無く、毎日が試行錯誤の連続です。そしてきっと育児も同じだと私は思います。
 私もまだまだ未熟ですが、そうして子どもたちの成長を守り、たすけているようで、その反面私が子どもたちに救けられているように感じます。

「子どもたちの素直さに救けられて」


 面倒くさがりで心配性な私はマイナスなことを考えることがよくあります。
今の時期だと、寒くて外に出るのが嫌だとか、雪が降ったら車に乗るのが怖いなぁと考えてしまう時もあります。
 そんな中、職場に行くと、子どもたちが毎朝「氷あったよ!!」と満面の笑顔で見せに来てくれます。寒さも冷たさも関係なく、氷を見つけたことが嬉しくて、触りたくて、それを共有したくて心を躍らせている姿を見ていると自然とこちらも笑顔になります。どんなことにも喜べることや喜びを周りの人へ広げられる素直な心は、本当に素敵です。そうやって笑顔を分けてもらえる瞬間は本当に幸せで、悩んでたことやマイナスな気持ちも消えていきます。
 そんな子どもの姿が見られるのも、その姿に心を動かされるのも、普段の関わりがあってこそです。子どもに対してだけでなくても、本気で相手のために悩んだり、自分のことの様に喜ぶと、いつの間にか自分の心が救われる気がします。

「これからの私」


誰もが幸せを与え合えることに感謝して、優しい心で人と向き合っていきたいです。私も、誰かに笑顔を分けられる存在になれますように。

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