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「鬼人追儺録」第③話【創作大賞2024・漫画原作部門】

鬼人追儺録 第3話 臆病者(後編)


 ◆夜

 カイリが目覚めたのは、小さな居間だった。鼻をくすぐる香りで<臆病者>の家だと察した。倒れた後、運ばれたらしい。彼とは違う甘い香りは娘のものだろうか。家に漂う、慎ましくも優しい温もりが心地よかった。
 そんな時、チェスが勢いよく家に飛び込んできた。

「はあはあ……カイリ、大変だワン! あの<臆病者>という男、刀を持っていきおったワン」
「あいつ一人で突っ走りやがって」
「吾輩村を調べたが、どうも羅刹が絡んでる気がするワン。気づかなんだか?」
「メシの匂いがキツくて鼻がきかなかったんだよな」
「嗅覚ばかりに頼るからだ。調査の基本は足を使うのだワン」
「犬に言われちゃおしまいだな……」

 外に出ると村人の気配はなく、深い闇が広がっていた。奥の森にあるという祭壇へ二人は走り出した。





◆山の神

 夜が更けて、生贄の儀式が始まった。祭壇は村と外の世界を分断するかのように大きく裂けた大地をまたいで建てられていた。下は深い崖で、闇が広がっている。<臆病者>の娘ヒナは、闇と対照的な純白の着物をまとい、生贄になるため静かに祭壇へと歩を進めた。村人たちは息を呑み、その様子を見守りながら祭壇の周りに集まっていた。

 緊張が張り詰める中、村長が祭壇に上り重々しい声で山の神を呼び出すと、突然大地が震えだした。村人たちはひざまずき、次々にひれ伏してゆく。

「ヤマガミさまのおなりだ」

 大地の裂け目から現れたのは、一匹の大蛇。その巨体は、全長およそ一町(約109メートル)にも達し、村人たちを戦慄させた。

「いや……助けてお父ちゃん……」
「<臆病者>の娘も臆病か、ヒナ。肉と魂をヤマガミさまに捧げよ」

 村長がそう告げると、大蛇の両目に睨まれた少女は、震えて膝をついた。
 その時、祭壇を駆け上がってくる<臆病者>の姿が見えた。手にはカイリの剣を握っている。

「待て」「何のつもりだ」「祟りが来るぞ」

「何をしている<臆病者>!!」
「今行くぞ、ヒナ!!」

 村人たちの制止を振り切り、村長の怒声も意に介さず、彼は娘を庇い大蛇に立ち向かう。剣の柄に手をかけようとしたその時、
「ーーうッ!」突然、金縛りにあったように体が動かなくなった。

「お父ちゃん!」
「なんで……どうして動けない……ヒナ!」

 体がいう事を聞かない。口を開けた大蛇が娘を飲み込もうとする。それをただ見ているしかできない。悲痛な叫びがこだまする。

 その時、カイリが疾風の如く現れた。
 一瞬の閃光のように速い動きで、<臆病者>の手にある鞘から剣を抜き放つ。

「桃源流『桃花一閃』!」

 剣が空間を切り裂き、切先が大蛇の頭に命中するが、刃は堅牢な骨を断ち切れずに弾かれる。大蛇は距離を取り、ガラガラと怒りの音で空気を震わせた。

「なんだこの蛇! 獣の匂いだ。羅刹じゃねえ」
「そいつはおそらく羅刹の使い魔だワン。奴はどこかにいるワン!」祭壇の外からチェスの声が響く。
「集中せんとやべえ。羅刹は後回しだ」

 隙を見せたらやられる。カイリは大蛇から一瞬も目を離せない。
 大蛇は鎌首をもたげて攻撃体制をとった。両目はしっかりとカイリを見据えている。

「ヒナ!」束縛が解けた<臆病者>が娘を抱き寄せる。
「二人は下がってろ! 鞘は使っていい、身を守れ」
「すまん、カイリ」
「来るぞ!」

 大蛇の巨大な首が鞭のように唸りを上げてカイリに迫る。カイリは巧みに剣で防ぎつつ再びチャンスを狙うが、怒涛の攻撃をさばくのに精一杯だ。鋭い金属音と大蛇の咆哮が闇夜に響く。



 その凄まじい攻防に、<臆病者>と娘が急いで祭壇から離れようとした時、またしても<臆病者>は体を動かせなくなった。

「そんな勝手が許されると思うか」村長の低く冷たい声が響いた。


◆羅刹

「ワンワン。束縛の術だ! そいつが羅刹だワン」チェスが叫ぶ。

 <臆病者>は驚愕する。村長の金色に光る瞳に見覚えがあった。その眼は母と妻を失った時の記憶をよみがえらせる。

「村長……貴様だったのか!」

 <臆病者>はもがくが、動きは術によって完全に封じられていた。

「……許さない!」
「何のことだ? 貴様の家に代々、白羽の矢を立てたことか? 術で縛り、目の前で妻の死を見せたことか? それとも臆病者と罵ってきたことか?」
「ぐっ、うう……」
「ヤマガミを通して長年この村で肉と魂を得てきたが、ここまで邪魔が入ったのは初めてだ」

 村長は冷酷な笑みを浮かべ、鋭い爪を娘のヒナに向けた。

「逃しはせんぞ。使い魔に力を渡していようとも、貴様らの命など造作もない」
「……逃げろ、ヒナ」

 村長はヒナに迫り、<臆病者>の目の前で引き裂こうとする。
 カイリは大蛇と戦いながら<臆病者>に向かって叫んだ。

「大丈夫だ、お前は臆病なんかじゃねえ。ヒノクニの魂はそんなチャチな術に負けたりはせん!」

 その言葉に、<臆病者>の魂に再び火が灯った。妻のチヨを失ってから、今度は決して屈しないと誓ったのだ。

「もう……家族を……ヒナを、あきらめん!」
「無駄じゃ。儂の術が人間に破れるものか」

 <臆病者>の瞳の中で炎が燃え上がると彼の周囲の空間がひび割れ始めた。

「チヨ。俺たちの娘を守る、力をくれ!!」
「はあ、バカな……儂の術を!?」

 バキバキと音を立てて術が崩壊し、束縛を破っていく。力を振り絞り、村長の腕を掴むと、持っていた鞘で思い切り叩き伏せた。その一撃に、村長は地に沈む。



ヒノクニの魂、しかと見た!


 カイリの声が響き渡る。鬼の力が内から解放され、瞳は燃え上がるように赤く輝き、額に角が現れる。大蛇がその一瞬の隙をついてカイリの剣をくわえ、彼ごと空高く首を持ち上げた。地面に叩きつけるつもりだ。剣を抑えられたまま、カイリは冷静に技の構えをとる。

「終わりだ、蛇め」

 覚悟と同時に、瞳がさらに赤い輝きを増す。全身から蒸気が上り、気迫が満ちていく。

「桃源流『桃花繚乱とうかりょうらん』!」

 カイリは体を捻じるようにして、抑えられた大太刀を逆手で抜き放つ。その刃が瞬間的に七色の閃光を放ち、一瞬で何度も斬りつけた。無数の斬撃が走り、全身を切り裂いていく。そして大蛇の体は、まるで咲き誇る花のように弾けて飛び散った。技の衝撃でカイリが宙に飛び出し舞い上がる。

 戦いが終わったと思ったその時、倒れていた村長の目がカッと開き、羅刹の真の姿を見せた。口が裂け、牙が伸び、皮膚は鱗のように固く変わっていく。闇夜に浮かぶ蛇のようなその姿に、村人たちは震え上がった。使い魔を失った羅刹は、<臆病者>と娘に襲いかかる。

「鞘だッ!奴を突け!」上空にいるカイリが大太刀を構えて叫ぶ。

 その声に<臆病者>は一瞬の躊躇もなく、鞘を羅刹に向かって突き立てた。彼の瞳には、失われた家族の怒りと娘を守る強い決意が宿っていた。

「家族のかたきだ」

 鞘を持つ方とは反対の腕で娘をしっかり抱き寄せる。 
 その瞬間、カイリは全身の力を込めて剣を放つ。

角折つのおれ 鬼鵬丸きほうまる・『天牙一撃』!」

 剣は閃光のように空を切り裂き、真っ直ぐに羅刹へと突き進む。轟音と共に衝撃が走り羅刹の心臓を撃ち抜いた。羅刹は信じられないという表情を浮かべると、やがて身体が崩れ落ちた。次の瞬間、カチンと金属音が鳴り響く。呆気に取られる<臆病者>の手には、剣が鞘に完璧に納まっていた。稲妻のような凄まじい納刀術だった。

 カイリは息を整えながら鬼の姿から元に戻り、戦いの幕を閉じた。
 <臆病者>はカイリに大太刀を手渡した。

「カイリ、ありがとう。助けられた」
「そっちこそ勇敢だったさ。ええと……」
「臆病者のタケルだ」
「ははっ。やったなタケル」

 そう言って肩を叩き合うカイリとタケル。
 そこにチェスがやってきて言った。

「しかし、村の伝統と長を失った。大丈夫なのかワン?」
「ああ、俺たちはここからだ。新しい生き方を探さなきゃいけない」

 タケルは手を握る娘と、祭壇の下でうろたえている村人たちに目を向けた。



ー終幕ー 闇夜の光

 祭壇を下りると村人たちの混乱と非難の声が降り注いだ。

「村長があやかしだとは……」「ヤマガミさまを殺すなんて」「村はどうなるんだ」「祟りがくるぞ」「何てことするんだ」

 その場の空気は重く、カイリはその反応に驚きと戸惑いを隠せなかった。

「カイリ、よく見ておくワン。羅刹を斬ったからと言って全てが丸く収まるわけではないワン。それほど狡猾に人間の心は支配されておるのだワン」

 カイリは村人たちの顔を一つ一つ見つめた。恐怖と不安、怒りが入り混じったその表情は、羅刹の影響を色濃く映していた。

「そっか、これが羅刹の力か」

 カイリは改めてその狡猾さと闇の深さを知った。村人たちの非難が渦巻く中、タケルは静かにカイリに近づき、穏やかな声で語りかけた。

「カイリ、大丈夫だ。この村は俺たちの手で立て直す。ここから先は、人間の力で乗り越える時だ。さあ行け、君の旅はまだ続いているんだろう」

 その言葉に、カイリは改めて<臆病者>と呼ばれていた男の姿を見つめた。彼がいかに多くの苦しみを乗り越えてきたのかを知り、深い感銘を受けた。彼の真の勇敢さはカイリの心に新たな火を灯した。

「ワシは羅刹をヒノクニから祓う。必ず鬼と人がともに生きる世界をつくるぞ」
「やろうとしてることは変わらんが、心構えができたようだなワン」
「なんでチェスが偉そうなんだよ」
「精進するんだワン」

 フッと笑うタケルに送り出され、カイリは決意を新たに村を後にする。
 歩みの途中、ふと振り返ると、村人たちに向き合うタケルが見えた。<臆病者>と呼ばれた男が示した真の勇気の炎が、闇夜に確かに灯っていた。

 その光景を胸に刻み、カイリは再び前を向き、旅路を進んだ。


ーー「臆病者」(了)ーー


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