「彗星アルカンティルを追いかけて」第1話【創作大賞2024・応募作品】
第1話:プロローグ
星空の下、
町から少し離れた静寂な山間に響くのは風のささやきだけだった。
少年カケルは丘の上から眺める無数の星々に心を奪われていた。
夜空に浮かぶ彗星「アルカンティル」は、彼の目にとってひときわ特別な輝きを放っていた。
彼は近所の大学生のお姉さん、ミズキと一緒に観測機器を操作しながら、彗星アルカンティルの美しさに感動していた。
「カケル、アルカンティルが見えるよ。あの光がそうよ」
ミズキの声が響く。
カケルは望遠鏡を覗き込み、彗星の姿を見た。
――瞬間、胸に強い鼓動が走った。
それは漆黒の宇宙空間に浮かぶ美しい光の球体だった。その姿は星々の間を滑るように進み、長い尾を引いていた。尾はまるで銀河の中で踊る光のリボンのように、淡い青色から白銀色へと変化しながらきらめいていた。彗星の核は、まるで内側から発光しているかのように明るく、周囲のダストやガスが淡く光り、幽玄な光のベールを形成していた。
まるで神話の世界から現れたかのような、幻想的な美しさだった。その光景は、星の海に浮かぶ宝石のようであり、宇宙の神秘と美しさを象徴していた。
*
夜の静寂が辺りを包み込む中、町から少しはなれた山間部にあるこの小高い丘の上に集うのは、中学生のカケルと、近所に住む大学生のミズキ。
二人はアマチュア無線という共通の趣味を通じて出会い、頻繁に交流していた。大学で天文学を専攻しているミズキは、カケルによく星や宇宙の話をした。たまに二人で待ち合わせて天体観測に行ったりもして、友情を育んでいた。
今夜、彗星「アルカンティル」が地球に最接近する――。
ニュースはこの話題で持ちきりだった。太陽系の外側から旅する彗星が飛来するというロマン溢れるこのイベントに、カケルは胸を躍らせていた。
そして、夜を待ち切れずに早くからミズキの家にやってきたカケルは、目を輝かせて言った。
「今夜は特別な夜だよ、ミズキ姉さん! もしかしたら、何か特別なことが起こるかもしれない」
「そうね、カケル。天文イベントっていつもワクワクするわ」
玄関先でミズキは、微笑みながら応えた。
カケルは、ミズキの家にある天文学の資料や観測機器を眺めたり、準備してきた無線機の調子を確かめたりしながら日が暮れるのを待った。
夜が更けて、ミズキが運転する車でこの丘に来た。
*
カケルは望遠鏡から目を離すと、用意していた無線機のダイヤルを調整し、様々な周波数を試していた。ミズキはその姿を静かに見守っていた。
ミズキにとって、カケルの存在は特別だった。彼の純粋な情熱からくる探究心は、彼女にとっても大切なものだった。彼女から見たカケルは、まるで世界のすべての謎を解き明かそうとするかのように美しく輝いていた。
そうしたカケルの姿に、彼女は強く惹かれていた。
「CQ、CQ、CQ。こちらJQ1ZYW。どなたかお聞きの方、交信願います」
カケルの声が繰り返し静かな空に響き渡る。
「CQ、CQ、CQ。こちらJQ1ZYW……」
彼は、根気強く待ち続けた。
(カケル、あなたは本当に特別なことが起こると信じているのね)
ミズキは心の中でそう思った。
カケルの祈りが現実になることを、彼女もまた心の底から願っていた。
――突然、不思議な音が届いた。
それは通常のノイズとは異なり、まるで誰かが語りかけてくるかのようだった。
「ミズキ姉さん、これを聞いて!」
カケルは興奮を抑えきれずに叫んだ。
ミズキも耳を傾け、無線機から聞こえる不思議な音に耳をすました。次の瞬間、明瞭な声が聞こえてきた。
『こちら、アルカン、ティル。どなたか、聞こえて、いますか』
その声は、まるで星空そのものが語りかけているかのように静かで美しく、澄んだトーンだった。低い音域から高い音域まで、まるで音楽のように滑らかに響いていた。
二人は驚きのあまり息を呑んだ。
「えっ…これは何?」
ミズキは信じられないという表情を浮かべた。
カケルはマイクを握る手が汗ばんでいくのを感じながら、震える声で応答した。
「こ…こちらは地球、日本のアマチュア無線局JQ1ZYW。僕はカケルです。あなたの声が聞こえます。」
一瞬の間のあと、再び声が聞こえてきた。
『アルカンティル、より、地球の方。お名前を、もう一度、お願いします』
「アルカンティル。こちらは地球、僕はカケルです」
――再び静寂が訪れた。
カケルは目を見開いて夜空を見上げた。ミズキも驚きのあまり固まったように、空に輝く彗星を凝視していた。すると再び声が響いた。
『…地球の、カケル、初めまして』
カケルとミズキは目を見合わせた。彗星からの通信など信じられない。だが、その声は次第にはっきりと、そして確かに彼らに向けられていた。
カケルはとまどいと興奮で、震える声で尋ねた。
「こんにちは、アルカンティル。君は本当に……あの彗星なの?」
『はい、カケル。私は彗星、アルカンティル。とても美しい星、地球が見えます』
カケルとミズキは信じられない思いで、無線機を見つめた。彗星と交信しているというこの奇跡的な瞬間に、彼らは心を奪われた。
アルカンティルの声は優しく、温かかった。その声には不思議な安心感があった。
『お話し、できることを、嬉しく思います』
カケルは一瞬、夢を見ているかのような感覚に陥った。しかし、その声は間違いなく現実のものだった。彼は興奮を抑えきれず、すぐに応答した。
「僕も嬉しいよ。君は今どこにいるの?どんな世界を旅しているの?」
短い沈黙の後、再びアルカンティルの声が響いた。
『今、私は太陽系の、外縁を旅しています。宇宙は、無限に広がっていて、闇の中には、星々が遠くで、瞬いているのが見えます』
カケルは想像力を働かせ、その壮大な光景を頭に思い描いた。彗星の果てしない旅を想像して、彼の心は感動で満たされた
「君が見ている世界を想像するだけで心が震えるよ」
彼は言葉を探しながら、さらに続けた。
「アルカンティル……君の姿は、本当に美しいよ」
アルカンティルの声は少し笑ったように響いた。
『ありがとう、カケル。あなたの言葉は、私に温もりを、与えてくれます。そして、私もまた、地球の美しさを、感じています。青く輝く海、緑豊かな大地、そしてあなたのような優しい人がいる星。地球は本当に、美しい場所です』
カケルの胸は高鳴り、心の底から言葉が湧き出た。
「僕も、君と一緒に、同じ景色を見たい」
――少しのノイズ。数瞬の沈黙。
その後、アルカンティルは優しく答えた。
『カケル、あなたのその夢が、叶うのなら、なんて素敵なのでしょう』
その声はまるで遠い星の光が直接語りかけてくるかのようだった。
『この瞬間、あなたと繋がって、私の旅路は一人じゃないと、感じています。私はまた、先へ行きます。カケル、ありがとう』
カケルは胸がいっぱいになり、涙を浮かべながら応えた。
「アルカンティル、こちらこそありがとう」
その瞬間からカケルの心には、強い思いが芽生えた。
(君にもう一度、会いたい)
最後に聞こえたアルカンティルの声は優しく、きらめくように響いた。
「あなたに会えて、嬉しい。さようなら、カケル。」
その瞬間、再びノイズが入り、アルカンティルの声は徐々に遠ざかっていった。
カケルは胸がいっぱいで、流れ落ちる涙を拭おうともせず無線機を見つめていた。
それはほんの短い、数分ほどの交信だったが、カケルの心に深い印象を残した。彼はこの出来事がただの偶然や幻覚ではないことを信じた。そして、カケルの中でアルカンティルへの特別な感情が芽生えたが、それをなんと呼んだらいいのかわからなかった。
カケルは夢見るような表情で空を見上げた。
そこにはまだ、夜空に輝く彗星が見えたが、さっきよりもずっと遠いところに行ってしまったように感じた。
「僕は絶対に君にもう一度会いたい。そして、また話をしたいんだ」
ミズキはその様子を見て、今の出来事がただの幻ではないことを感じ取った。
ミズキはカケルの肩に手を置き、温かい笑顔を見せた。
「カケル、その夢を大事にして。でもね……」
ミズキは少し躊躇しながらも続けた。
「もしかしたら、これは誰かのイタズラかもしれないよ」
カケルは驚いてミズキを見つめた。
「ミズキ姉さんは、本当にそう思っているの?」
「私も信じたいけど、こんなことが起きるなんて普通じゃないからね」
カケルはミズキの言葉に少し悩んだが、気持ちは変わらなかった。
「それでも、僕はアルカンティルにもう一度会いたい。そのために、絶対に宇宙飛行士になるんだ」
ミズキはカケルの決意を見て、彼の夢を応援することを心に決めた。
「そうね、カケル。これがイタズラだとしても、本物だとしても、君の夢、私も一緒に応援するわ。君の夢が叶う日を楽しみにしてる」
――彼の情熱と純粋な心があれば、本当に宇宙にまで行けるかもしれない。
彼女はカケルの肩に手を置き、静かに微笑んだ。
「カケル。今夜起きたことは、本当に特別なものね」
カケルは涙を浮かべながらうなずき、無線機をそっと抱きしめた。その夜、星空の下で交わされた短い交信は、二人の心に永遠に残るものとなった。
*
こうして、カケルとミズキの心に新たな夢が芽生えた。
のちに『プロジェクト・アルカナ』と呼ばれる、彗星を追いかける物語は、この星空の下での奇跡的な出会いから始まった。
カケルとミズキの運命が交差し、果てしない宇宙への大きな夢が動き出したのだった。
(第2話に続く)
本編
▶︎(第2話:夢への一歩)
▶︎(第3話(最終話):プロジェクト•アルカナ)
サイドストーリー(ミズキ視点)
▷サイドストーリー(1)
▷サイドストーリー(2)
▷サイドストーリー(3)ラスト